花、昆虫、風景など

日常感じる季節の諸々を、花、昆虫、風景などを通じてアップしていきたいと思います。

爺ちゃんとの散歩

2004年01月28日 | Weblog
予定ではこの日午後1時半から地球環境の講演会があったのです。
これを私の一寸した勘違いで逃してしまったのです。
正直辛かったのですが、別の楽しみも残してきました。
この日は白浜に滞在していたのです。
で、なんて事無しに夕飯を一緒にと言うことになってあるお宅で過ごしていました。
其処の爺ちゃんが、久し振りに散歩に出るというので付いていきました。
この爺ちゃん、昔は結構な勢いだったのですが、胸を手術してからと言うもの体の自由が思うように利かなくなり家族から一寸はじかれた存在だったのです。
爺ちゃんの若い頃からの話だけ聞けば確かに爺ちゃんも悪いところがあるのですが、今体が動かなくなってこうしてはじかれるのも私には凄く気の毒に感じられたのです。
歩いていると爺ちゃんは語るともなく昔話をしてくれました。
元気の良かった昔、家族に手を振り上げることも多々あったと言います。
子供にも迷惑をかけたと反省もしています。
人と言う動物は、先に立たぬ後悔をしか出来ないものなのです。
ゆっくりゆっくり力無く歩くその姿に、私はしかし生きることの素晴らしさを感じたのです。
こうして聞かせていただく話は私にとっては先の悔いなのです。
これからの私は恐らくこういうことはしないでしょう。
爺ちゃんの素晴らしさを体全体で感じながら、私たちは海に行きました。
風の冷たい日でしたが、陽の当たる小屋の陰でベンチに腰掛けました。
其処にワンカップを持った漁師と思しき人がやってきたのです。
その人はもう66だと自分で言いながら、側に来て酒を飲み始めました。
海に魚が居なくなったと言います。
釣り堀を始めたが、魚が育たないと言います。
ここの設備も、もう使い物にならないと嘆いています。
昔は良かったと、船に乗っていた時代の楽しさを語ってくれました。
もう船は捨てたと言うその人の声は力がありませんでした。
息子は陸(おか)で勤めていると言います。
酒がどんどん減っていきました。
話は悲しく響きました。
爺ちゃんも黙って聞いていました。
見通しの目印が削られてしまったと言います。
造成で形が変わり、目印が無くなったと・・・。
一体人の営みって何なんでしょうね。
風がいっそう冷たく感じられました。
でも日溜まりだけは3人を包んでくれていました。
懐かしそうに話すその声の響きが、耳の奥に残りました。
浜からの帰りは、一寸声が出ませんでした。
夜の酒は深酒になってしまいました。