徒然おさんぽゴコロ

ハナコプターの思ってることを徒然と。ただの独り言です。

取説、もしくは解答と解説。

2019-07-15 17:21:14 | 日記
正解がほしい、と思うことが最近多々ある。
子どもとの接し方、学校への対応、全部全部初めてのことばかりで。

子育てなんて、自分自身の育ってきた環境のことしか知らない。
体は弱かったけど、周りの空気をある程度読んで合わせていたってことしか覚えてないし、それなりに当たらず障らずやってきた。

だからこそ、こんなに構ってちゃんのくせに己の中で完結しようとしてる息子のことは分からないし、こうすれば楽に生きられるのに、ということが伝わらないのが歯がゆい。
己の中で完結型としては、娘も別ベクトルでそういう部分が強まってきていて、それに対してもどう応じていくべきか毎日毎日悩んでばかり。

ああ、正解がほしい。
取説を、喉から手が出るほどほしいと思ってる。
そんなもんないから人間は面白いんやけど、面白がる以前に気力と体力が削られすぎて、そんな境地に辿り着けない。

明日からまた、試行錯誤の1週間。
サンタさん、今年のクリスマスには子ども達の

呪縛

2019-07-09 11:18:55 | 日記
学校って、呪縛だ。

「なぜ学校に行かなければならないのか?」
誰もがその問に満足できる答えを持っていないのに、それでもなんとなく学校には「行かなければならない」。


そして学校からはみ出てしまった子供には「行かなければ」「なぜいけないんだ」、そんな呪いがふりかかる。

捨てればいい。
学校なんて自分の人生にはいらない、って、切り捨てればいい。
でも、この言葉は、なんとなく行っていた方が楽だから行っていた人間の口から言っても何の説得力もない。

学校に行かなくても、集団に入ることができなくても、最低限友達もいて勉強も壊滅的ってわけじゃないなら、もうこっちから捨ててやればいいのに。

そんな願いも届かないほど呪いにやられている子どもを見て、思う。
やっぱり学校って呪縛だ。

後悔、のようなもの

2016-11-30 08:20:57 | 日記
生きていくうえで、後悔のない人なんてそうそういない。
みんなあれこれ悩んで進めていく人生、あの時ああしていれば、こうしていれば、なんて思うことはよくある話だ。
かくいう自分はどうかというと、当然何かしらの後悔はあって。
ただ、中学のころから思っていたのが、
「死ぬときに未来への未練はアリだが過去への後悔はアウトだ」
ということ。

明日ああしたかった、来年にはこうなりたかった、その思いはOK。
あの時こうしてればよかった、なんであっちを捨ててこっちを拾ったのか、はアウト。
まあ、そんなこと考えてる中坊もどうかとは思うけど。
なるべくその意志に忠実にやってきたつもり。
だから、基本的な生活を立ち行かせることのほかに、
やりたいことはある程度やってこれたんじゃないか、とは思ってる。

そんななかで、後悔のようなものがあるとすれば、もうスポーツしかないと思う。
前提として、私はものすごく運動ができない。
反射神経ゼロ、運動センスマイナス、走るのカメ以下。
おまけにやや病弱だった過去を持つ。
それでも、小学生の時にはまったのがバレーボールだった。
もちろん見る専門やけど。
となれば、当然やりたくなるわけですよ。
中学で、バレー部入りたい!てなるわけですよ。
でも、入らんかったんよねー。

当時から熱いタイプではなく、けっこう醒めてたほうやと思うので、
分かってたんでしょう。
前提に書いたとおりの条件そろえてて、運動部に入れるわけないって。
だから、決して間違った選択をしてない。正しい選択やったってのは分かってるねん。

でも、やの。
ここから続くのは、過去への後悔。
それでもバレー、やっとけばよかったって。

やってたらもっと根性ついてたかもしれへん。
運動神経ももう少しあがったかもしれへん。
コミュ力だって身に付いたかもしれへん。
だって、どうせ運動部を選べなかった私でも、1年の9月に入院したから(笑)
入ってても入ってなくてもあかんときはあかんかったやん!て。

とまあこれが、私の後悔のようなものでした。
だからこそ、子供がちんたらサッカーやってんの見たら、
「もっと食らいつけ!」と思ってしまうのかもしれませんな・


郷愁、のようなもの

2016-11-23 16:44:31 | 日記
私自身は自他ともに認める運動音痴、そして運動嫌い。
だからこそもちろんクラブ活動は文化部の一択。
中学は帰宅部(もはや部活ですらない)、高校はフォークソング部という名のいわば軽音楽部に所属していた。

そんな私なので、会社帰りに出会う掛け声を掛けながら学校の外周を走る運動部の子たちとか、
校舎から漏れ聞こえてくる吹奏楽部のトランペットの音とか、
そういうものに対してごく一般的な「おー、いいね高校生」みたいな感覚しか持てなかったわけで。
全般的な「高校生」というものに対しての懐かしいような気持ち。
それはもう近所のおばちゃんレベルと同じ感覚。
だって自分はその中にはいなかったから。
どうしても他人行儀な懐かしさしか抱けなかった。

それがついこの間のこと。
帰り道の一つで最近使用率の高い某高校の横を通っていたときに聞こえてきた音。
何て言うか「うわっ」てきた。
言い換えるならキュン、ていうかグワッていうか。
とにかく、胸にその音はずんっと効いたのだ。

それは軽音楽部の部室であろうところから漏れているドラムの音。
粒はバラバラで、のちに入ってきてともに曲を奏でるはずのギターの音までかき消すような勢い。
とか言いつつ、ギターはギターでなんかチューニング狂ってるし、
言ってみればお世辞にもうまいといえない演奏。
それでも、なんかそのバラバラ具合がすごく懐かしくて、
これが私なりの高校生活に対しての郷愁みたいなものなんかな、なんて。

私たちも決してうまくはなかった。
みんながみんな好きな音楽の方向性も違って、
複数の固定バンドが所属するようなこともできなくて、
常に寄せ集めのメンバーが一つの曲を演奏してて。
でもそんな中でも、私は一応の青春を送っていたのかな。
ドラムの音に、こんなに懐かしくなれる具合には。
なんか、自分の糧なんてものにはなれてなくても、やっててよかったなー。
そう思えたのでした。


ズルさ

2016-11-12 17:09:14 | 日記
書きたい気持ちが決壊して3か月ほど。
その割に、たいして書けてねーな、と思う。
たぶん、書いては実力が伴わないことを実感する虚しさから逃げたいという自分の弱さ。
文章書くことが大好きでずっとやりたいのに、
嫌いになりたくない、とかわけわからん気持ちから拒絶したくなるズルさ。

昔からそういうところはあったし、ネタ書いてたときも逃げては書き書いては逃げ、その繰り返し。
それがまた楽しかったりしたのは若かったから。
今は好きなことに無心で挑む怖さを知ってしまっている程度には大人になり。
よりズルさを覚えてしまっている。

書くことは私にとっては好きなことであり怖いこと。
そして仕事ではなくて趣味。
いくらでも逃げられる。
こんなに書きたいのに逃げるってなんやねん。
そうは思うけど、どうしても逃げてしまうんやなあ。

若いころに、退路を断ってでも書く!てのをもっとやっとけばよかった。
こういうズルさを知る前に、がつがつやっときゃよかった。
そうは思っても、ええ年になってしまったのは事実で。
退路を断つほど身軽でもなく。

とはいえ文章の形を持たない言葉が体中にあふれているのもまた事実。
これを何とか逃げずに受け止めて、文章をつないでいかなければ。
自分のズルさを受け止めつつ、書いていくのがとりあえずの目標です。