ウチの本棚の一つに、私のネタ帳が何冊も眠っている。
各コントライブごとに一冊、もしくは2ライブで一冊。
ライブを自ら作り上げる人になるまえ、
人に漫才を提供する人を目指してたころのネタ帳は残ってなくて、
そう思うと何冊使ってきてん、と思う。
たまーに見返してみたらそのころを思い出す。
たくさんの完成形になる前のネタと、ぐちゃぐちゃ書き消してある跡とか、
結構生々しい当時の感じがそこにはある。
仕事の昼休み、近くのモスに走って広げたネタ帳とか、
電車の中で膝の上で書いたネタとか。
今見直してみると、ああ、私ら結構頑張っててんなー、て思う。
見返して、うわコレおもんないやん、て思うこともあるし、
このネタもうちょっと広げてもよかったかなぁ、なんて今さら思ったりもする。
それでもこれらが今のなんてことない普通の私を作ってきたんやなー、と思うと
なんかおもしろかったりする。
今はただの母で主婦で病院の事務員さんやけど、
その裏にはネタ帳があったりするんやで、と。
そしてそのネタ帳の合間に一冊、
詩なんかを書いたノートも入ってたりする。
昔、それこそネタを書くまえの私はたくさん詩を書いてた。
ロックにはまり、ベースを弾き、バンドをしたいと思っていた中坊で、
文章を書くことが好きだった場合、
確実に歌詞目的で詩を書くよね。たぶん。
それはもろに私のことで。
中坊から大学生、社会人になってからも、
それこそネタ帳よりたくさんのノートに書いてきてたけど、
書いて消して捨てて拾って、結局残っているのは一冊だけ。
それを読んでみたら、やっぱり若いなー、て思う。
カッコよさげな言葉を選んでみてたり、
あえて抽象的に書いてみたり、
若干恥ずかしくもあり懐かしくもあり、
でもやっぱりこのころもなんだかんだ頑張ってたよね、私、なんて思う。
詩を書く頻度はネタを書くにつれ下がってきて、
家庭なんてものを持つようになってからはネタも詩も書かなくなって、
今なんだかんだで文章をまた書きたくなって。
結局ここに帰ってきてしまった私は、
過去の自分の書いたものに励まされてる。
あの頃の、書くことだけには一生懸命だった自分に恥じないように。
また精一杯書いていきたいなー、と思うのでした。
各コントライブごとに一冊、もしくは2ライブで一冊。
ライブを自ら作り上げる人になるまえ、
人に漫才を提供する人を目指してたころのネタ帳は残ってなくて、
そう思うと何冊使ってきてん、と思う。
たまーに見返してみたらそのころを思い出す。
たくさんの完成形になる前のネタと、ぐちゃぐちゃ書き消してある跡とか、
結構生々しい当時の感じがそこにはある。
仕事の昼休み、近くのモスに走って広げたネタ帳とか、
電車の中で膝の上で書いたネタとか。
今見直してみると、ああ、私ら結構頑張っててんなー、て思う。
見返して、うわコレおもんないやん、て思うこともあるし、
このネタもうちょっと広げてもよかったかなぁ、なんて今さら思ったりもする。
それでもこれらが今のなんてことない普通の私を作ってきたんやなー、と思うと
なんかおもしろかったりする。
今はただの母で主婦で病院の事務員さんやけど、
その裏にはネタ帳があったりするんやで、と。
そしてそのネタ帳の合間に一冊、
詩なんかを書いたノートも入ってたりする。
昔、それこそネタを書くまえの私はたくさん詩を書いてた。
ロックにはまり、ベースを弾き、バンドをしたいと思っていた中坊で、
文章を書くことが好きだった場合、
確実に歌詞目的で詩を書くよね。たぶん。
それはもろに私のことで。
中坊から大学生、社会人になってからも、
それこそネタ帳よりたくさんのノートに書いてきてたけど、
書いて消して捨てて拾って、結局残っているのは一冊だけ。
それを読んでみたら、やっぱり若いなー、て思う。
カッコよさげな言葉を選んでみてたり、
あえて抽象的に書いてみたり、
若干恥ずかしくもあり懐かしくもあり、
でもやっぱりこのころもなんだかんだ頑張ってたよね、私、なんて思う。
詩を書く頻度はネタを書くにつれ下がってきて、
家庭なんてものを持つようになってからはネタも詩も書かなくなって、
今なんだかんだで文章をまた書きたくなって。
結局ここに帰ってきてしまった私は、
過去の自分の書いたものに励まされてる。
あの頃の、書くことだけには一生懸命だった自分に恥じないように。
また精一杯書いていきたいなー、と思うのでした。