研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

教育論への誘惑(2)

2007-03-08 16:58:09 | Weblog
公民教育とは、「政治的責任の主体となり得る市民」を育成するための教育で、18世紀の文脈では王政と対立する概念である。フィロゾーフたちの認識では、人間が腐敗堕落したために、共和政が成り立たなくなり、王政が生まれたという。だから「革命」というのは、国王を殺すだけでは終わらない。市民を作りださなければ、再び別のカエサルが玉座に座ることになる。カエサルが再び誕生するのを防ぐためには(共和政を守るためには)、愚劣な民を市民として再生しなければならない。根本から叩きなおさなければならない。革命とは政治体制を転換することだけではなく、市民を創造することによって成就するわけである。こうして、ルソーが「個人」レベルで構想した教育論が、国家レベルで展開されることになる。

1791年に公教育委員に選出されたコンドルセは、公教育計画を準備するために、フランス中の家庭をくまなく調査・分析する。すると、富裕層は生活費よりも教育費に多くの資材を投入していることが分かった。一方貧民層は、子供が学齢に達すると、親は子供を学校に行かせずに金になる仕事につかせていることがわかった。「貧乏人にとって子供は、失敗の結果生まれるものである。だから親としては少しでも早く金を稼がせて失敗を最小限に抑えなければならない。こうして共和国に貧困が蓄積されることになる」。この差は、都市と田舎でも同じ構造で繰り返される。こういう条件の中で公教育を行おうとする場合の障害とは何かというと、それは確実に社会格差の問題に行き着くことになっている。彼らは教育問題とは所得と地域の格差の問題であり、それは要するに社会問題だという結論に達した。この格差こそが旧体制(アンシャン・レジーム)を維持させていたわけである。ということは、教育を適切に行えば、旧体制が生み出した社会問題も根本的に解決することになるだろうと思われた。社会問題解決の鍵は教育にありとなる。しかして社会が悪いのは教育が悪いからであるともなる。もはや社会問題は教育問題だ。

コンドルセによれば、貧乏人の親は、子供を学校に行かせるべきことを絶対に理解しないという。彼らはすぐに自分と同じ未来のない現場で子供を働かせようとする。だからコンドルセの実感では、学齢期に達した子供は法律で親から学校に引き渡さなければならないという結論になる。公教育学校は当然無料にしなければならないし、同じ制服を着なければならない。田舎の農村地帯にも同じ教育を受けさせるには、同じ学校をたくさん作らなければならない。こうすることで、かつては失敗の結果生まれてしまった子供たちを社会の資産として再生できる。その資金は、富裕層から徴収する。なぜなら、今後は富裕層も同じ教育をうけるのだから、これまで過剰に投入していた教育費用は不必要になるのだから。子供は断固たる覚悟で共和国の費用で養わなければならない。

次にカリキュラムの革命的改革である。これには革命家たちの恨みがあった。フランス革命で名を成した人々の多くは、幼少期にはコレージュや修道院で勉強をしていた。あのタレーランやジョゼェフ・フーシェもそうである。公教委員たちもコンドルセを筆頭に、みんな苦しい思いをしてきた。鞭で打たれながら、ギリシャ語とラテン語を叩き込まれ、神学を勉強させられる。困ったことに、この二つの言語は難解な上に、結局は完全にはマスターできず、そもそも実用性がまったくなかった。本当に辛い勉強だったと思う。マルティン・ルターはこの勉強時代の日々を振り返って、「地獄のように苦しかった」と述懐している。しかも、ルターは最期までラテン語が上手に書けなかった。語学の勉強というのは一般的にも非常に辛いもので、知的に活力ある学生ほど、手足を縛られて、自分の才能が磨耗するような感覚を覚えるものだろう。こうしてなんとか解読ができそうになったラテン語で、神学という難解極まりないものの講義に耐えなければならない。

「これでは駄目だ」というのが共通認識になった。こういう教育体系が、旧体制下の人々の活力ある知識を奪ってきたのだと考えた。そこで大急ぎでカリキュラムの全面変更がなされる。
① 国語(フランス語)をこそ確立する必要がある。
② 無意味な古典語の講義を廃止し、代わりに、英語、ドイツ語、スペイン語などの役に立つ実践的な言語を学ばせる。
③ 『エミール』にならって、子供にはあまり早い段階で抽象的な学問には触れさせず、まずは肉体の強化と実際の経験を学ばせる。
④ 神学を廃止して、科学を学ばせる。科学の中でも特に数学を学ばせることによって、理性的で論理的な人間が作られることは確実である。
⑤ こうした教育を通して神学ではなく、道徳を身につけさせる。

「国語熱」、「実践的外国語」、「体育」、「科学信奉」が特徴である。特に、数学は、教育内容の中でも究極の万能薬だった。数学を学べばあらゆる物事に対応できる能力が育成できるように思われた。夢はどこまでも広がる。師範学校を建設して教育の伝道者をフランスの隅々にまで送りこまなくては。教育への情熱は止まるところを知らない。公教委員の一人ルペルティエは素晴らしいことを思いついた。国民学寮を作る場合、それを老人保護施設と合併すればいいのではないか。「子供たちは人生の先輩である老人たちの世話をするという名誉ある仕事を得ることによって、徳を養うことが出来る」し、老人福祉を費用なしに充実することが出来る。ルペルティエは次のように言う。

なんと有益な制度であろう。社会的義務についてどれほど多くの生きた教訓となることであろう。人生を生き始めた者と晩年の者、年老いた障害者と活力ある子供を近づけることには、何か心をうつ宗教的なものがあるように、私には思われる。


・・・とにかく、物事は上手くいかないものである。彼らの計画通りに教育改革がなされたら、何もかもが解決されたのだろうか。それにしてもこの上滑りする感覚は何なのだろうか。教育それ自体というのは、どのくらい真面目に論じればいいのだろうか。