クタビレ爺イの二十世紀の記録集

二十世紀の2/3を生きたクタビレ爺イの
「二十世紀記録集」

ユーゴの悲劇(5)

2009年02月23日 | 欧州・中東関連
[6]ユーゴ紛争解決実況中継 
           
先日、コソボ紛争の歴史的背景について書いたし、『欧州ピクニック計画』と言う題材でハンガリーの事を書いた。そのハンガリーの南に問題のユーゴが在る。昔から中東のこの地域には『バルカンの火薬庫』との有り難くない異名が付けられている。世界の地図を見て陸続きでいろんな国が、ゴチャゴチャと混在している地域は大抵が紛争の元になっている。欧州がその典型であり、インド・パキスタン紛争も絵に書いたような好例である。 ソ連や中国のように強権を以てそれらを封じ込めて来た国も、強権の元が崩壊すれば、チェチェンの様になる。狭い地域で国が多くあると言うのは民族的か、或いは宗教的な問題でそうせざるを得ない事情が、歴史的にあったからであろうから、陸続きで国が細かく分かれている事自体が紛争の温床と言う宿命を持っているのである。このユーゴも、第二次大戦後は民族解放軍の英雄チトー大統領が、米ソ二超大国の間で上手い国家運営をしていたが、その重鎮が亡くなると即座に火薬庫に火がついた。

①コソボ撤退手順の提示                             1999年 6月 5日になって、NATOの空爆停止の手順に関する会議が始まったので、74日に亙るコソボ紛争は、戦後処理、平和建設に向かって動き出す公算が強くなった。ユーゴ紛争はコソボに始まってコソボで終わろうとしている。
会談ではNATO側から、ユーゴ対空防衛網の機能停止、特定道路網を使ったユーゴ軍の撤退開始、そして空爆の停止と言う順序を説明し、ユーゴ側も大枠で受け入れる公算である。NATOのシェイ報道官が言明したように、NATO側はユーゴ側に軍の撤退手順を交渉ではなく一方的に要求して、承諾を待つと言う姿勢である。この撤退の範囲は、正規軍は勿論、国境警備兵、治安部隊、民兵等あらゆる武装組織が含まれるから、ユーゴにとってはコソボ内の無条件降伏に等しい内容となる。しかし撤退に当たっての最大の懸念材料は、独立を叫んで闘争を続けてきたアルバニア系住民武装組織『コソボ解放軍KLA』の出方である。和平案はKLAの武装解除を盛り込んでおり、これにKLAが応ずるかどうか?の見通しは定かではない。そのため、米国政府は、KLAの扱いに対して、完全なる武装解除を求めるのではなく、軽武装の警察部隊として再編する方針を固めている。
それは、和平案履行に当たってKLAをNATO側に引きつけて置くと言う事の外に、アルバニア系住民に敵対的なセルビア警察の今までの行状から判断して、アルバニア系住民の独自の治安組織は不可欠で、軽武装したKLA要員の活用が現実的との判断による。
この余波として、コソボ和平の国連安保理決議案を纏める予定であった、ボンでのG-8外相会議が、ロシアの和平案内容への反発から、次週に延期になってしまった。

②コソボ撤退協議の詰め                             1999年 6月 6日の会議では、ユーゴ軍側が撤退の日程に付いて時間的猶予を求め、延々と議論が続いている。NATOの要求は、コソボからの7日以内の撤退、コソボ周辺の幅 25㌔の緩衝地域の設定である。しかしユーゴ側は、空爆による輸送力の低下で7日以内の撤退は不可能であること、緩衝地帯の設置は主権侵害であることを主張して反論しているが、引き伸し工作との懸念がある。                 これ以降の手順は、ユーゴ軍が会談終了から24時間以内に撤退を開始、対空防衛網も停止、NAT0は偵察飛行等で撤退を確認し次第、NATO大使級理事会で空爆の停止を決定することになる。会談の内容からすると、ユーゴはコソボ内の一切の軍事力行使の権利を失うことになり、ミロシェビッチは事実上の降伏を迫られていることになる。
しかし、コソボのアルバニア国境付近では、ユーゴ軍が相変わらずKLAに対して攻撃しているとの情報もあるし、部分的空爆も続いている。
ユーゴ国内では、密かにNAT0側が期待していたミロシェビッチへの国民の反発は高まっていない。これを見ると、湾岸戦争でイラクが反フセイン機運によって自壊する事を望んだ米国の思惑が外れて逆に国内が結束してしまったことを思い出す。
ミロシェビッチは、和平合意に盛られたユーゴの主権尊重、領土保全等を『成果』として強調する事で国民の反発を取り敢えず押さえ込む事に成功している。従って彼の責任を追及する声は鈍い。セルビア議会で唯一、和平受諾に反対した『セルビア急進党』のシェシェリ党首は、NAT0軍のコソボ進駐は神聖な領土への侵害であると反発して、連立離脱の可能性もある。その彼にしても、今まで批判の『常套語』である『裏切り者』と言う言葉は使わず、正面衝突は避けている。
それに国民の間に、和平進展を安堵感を以て歓迎する雰囲気が漂っていることが、大統領批判が起きない要因の一つでもある。

③コソボ撤退協議不調
案の条と言うか?やっぱりと言うか? 6月 7日の未明まで続いていた協議は決裂した。ユーゴは和平案が主権の侵害になるとして受託を拒否した。NATO軍代表の説明に因るとユーゴは逆提案してきたが、いずれもアルバニア系住民の安全な帰還とユーゴ軍の完全撤退をもたらすものではなかったという。NAT0は、このことを受けてユーゴーの空爆を過去の最大規模までに最強化する方針をとり、一切の譲歩なしで和平案の完全実施を迫るつもりである。G-8の方も、ロシアがコソボへの国際駐留組織の構成に抵抗しているので、戦後処理計画の決議案を示す場になれるかどうか?不透明である。
ユーゴ政府側は協議の不調に就いて、決裂ではなく継続する事を強調して居るが、この協議を少しでも有利なものにしようとしているのは間違いのないところで、コソボ自治区で主権を失い、事実上の無条件降伏となる事態に最後の抵抗を試みて居るのであろう。
情報によると協議の対立点は、(1) 撤退完了期間に付いては、NAT0の一週間に対してユーゴは二週間 (2) 撤退後の治安では、NATOは全武装組織の撤退要求であるが、ユーコは、KALに付け込まれると反対 (3) コソボ進駐の国際組織については、ユーゴが進駐兵士は全て査証が必要というのにNAT0は、こちらが国境管理するから必要なし………などである。どうもユーゴの時間稼ぎは、G-8でロシアが援軍となる期待感であるかもしれないが、NAT0の譲歩は期待薄であるので、ミロシェビッチの選択肢は極めて限られているのではないか?しかし、因みに現在ユーゴは、20項目のNAT0提案の14項目に同意していない。 
        
④G-8外相会議合意
1999年 6月 8日、ケルンでのG-8緊急外相会議が、前日に引き続き協議を行い漸く合意に達した。但し、ロシアのイワノフ外相は、『決議案は原則と目的を定める物で、詳細は今後の交渉に委ねられる』と微妙な発言をしているので、ロシアが全面的に合意したとは思えない。とは言っても、この合意がコソボ問題を再び和平実現へ軌道を戻した事は確かで、一時暗礁に乗り上げていたマケドニアの軍事拠点で行われている軍事責任者間の協議も、再開されるであろう。
ミロシェビッチは既に、6 月 3日には、ロシア大統領特使チェルノムイジンとフィンランド大統領アハティサーリにより提示された和平案を受託して居るので、和平への大枠は決まっていると言える。それ迄、NAT0による二ケ月半の空爆は、軍関係だけで一万人の死者とインフラへの多大な損害を被り、国民生活も次第に窮迫の度合いを強めている。 大統領が突然和平案を受託したのも、こうした危機感が最大の理由と言われて居るが、彼としては、これらの損害を正当化するのに『ユーゴの主権尊重、領土の確保』と言うことを強調すると共に、NAT0に屈するのでは無く、国連決議に従って国際治安部隊の進駐を認めると言う形を取りたいのである。
この件の心配事は、NAT0がユーゴ軍撤退問題を優先する余り、ゲリラ活動を活発化させ、武装解除を拒否しているKLAへの対策が十分に講じられていないことである。彼等の狙いは、ユーゴ軍の撤退による『力の空白』を突いて、コソボを制圧し独立することである。これを指揮するのは『タチ政治局長』であるから彼の協力なくしては、真の和平は訪れそうにもない。
現在判明している駐留計画は、州都プリティシュナの中心部に英軍 12.000 、東部は米軍7.000 、西部のアルバニア国境沿いに仏軍 6.500、北部にイタリア軍 4.000、南部にドイツ軍 6.000と言う5分割を目指して、隣国マケドニアに集結中である。ロシアも治安維持のために10.000人を用意しているが、NAT0の指揮下には入らないと意地を張っているので進駐部隊にはNAT0の名前は冠さないであろう。

⑤ドラシュコビッチ構想
九日も殆ど徹夜に近い状態で、NAT0とユーゴの軍関係者との話し合いは続き、NAT0報道官は、合意達成を楽観視しているとコメントしている。
そんな時、ミロシェビッチの最有力後継と言われる『セルビア再生運動』党首の元副首相ドラシュコビッチが、和平成立後も大統領の即時辞任は要求せず、大統領と野党との『大連立』による暫定政権を樹立し、政治・経済改革を始動させると言う戦略を発表した。
彼は『コソボに導入される国際機構による暫定統治は、ユーゴ国家の降伏ではなく、間違った政策の降伏であるし、和平受諾意外には選択肢がない』と指摘する。彼はセルビア政界では、ミロシェビッチの最大のライバルで、大統領退陣要求デモを指揮したために、二度も逮捕されている。そして連立与党の一つである『セルビア急進党』に対しては間違った民族主義政策の元凶として厳しく糾弾しているが、大統領への名指し批判は慎重に回避し、暫定政権のパートナーとなり得る事を示唆している。
しかし欧米各国は、早急な大統領の退陣と民主化を求めており、厳しい外圧の中で大統領が、セルビア再生運動等との連立でどの様な生き残り作戦を展開するか?が注目される。もともと、ユーゴ現政権は、左翼政党である与党『左翼連合』と極右民族主義政党の『セルビア急進党』による『左右両極連立』にその成立基盤を置いている。そして『急進党』が内戦中に高まった大衆の民族主義の受皿になり、『左翼連合』が支配層である国営企業幹部や軍部を掌握すると言う分業体勢ができていた。しかし急進党は、今回の和平案受諾に関して『コソボには外国兵の一兵たりともいれない』として、大統領からの独立色を強めている。
それでなくても、ユーゴはセルビア・モンテネグロ両共和国を含む連邦政府・議会とセルビア共和国政府・議会との二重構造になっており、人口の90% 以上を占める共和国議会か重要で、今回の和平案受諾も共和国議会の決定である。しかしその議会での大統領与党の『左翼連合』は250 議席のうちの110 を占めるだけであり、過半数を占めるには 85 議席の『急進党』の 82 議席、『再生運動』の 45 議席との協力が不可欠なのである。それゆえに今回のドラシュコビッチの暫定政権構想は、大統領への助け船になるかもしれない。ドラシュコビッチは、国際法廷がミロシェビッチら旧ユーコ指導部の五人を戦争犯罪人として起訴していることに対しても、欧米の政治的挑発にすぎないと片付けて、国内政治上は全く問題にしないと言う見解も発表している。

⑥合意文書調印
6月 9日の夜、NAT0とユーゴ軍のコソボ撤退を巡る協議は漸く調印に漕ぎ着けた。これを受けてユーゴ軍は10日に撤退を開始し、NAT0も空爆を停止した。これによってコソボ危機は政治解決に向かって大きく一歩を踏み出したことになる。

[合意文書の要旨]
(1) 一般的な義務
1)双方はフィンランド大統領が、6 月 3日に提示して、ユーゴ連邦政府が承認した、国連 承認下での国際部隊の展開を盛り込んだ米・欧・露の和平案文書を最確認。国際部隊展 開に関しては、国連安保理が決議を採択する準備があることに留意する。
2)ユーゴ連邦、セルビア共和国は、前項の国連安保理決議に従い、コソボ平和維持部隊
(KFOR)がコソボに展開し、妨害されること無く任務を遂行する事に合意する。
(KFOR)はコソボの全住民の安全な環境を確立するために、必要なあらゆる行動を取 る権限をもつ。
3)合意の発効は合意の調印日とする。
4)一般的義務の目的は次の通り
(A) ユーゴ軍はいかなる状況下に於いても、コソボ及び地上安全地帯(コソボ州境から5㌔以内)、安全空域(同25㌔以内)に入らない。地方警察は地上安全地帯に残   留できる。
(B)(KFOR)が必要な武力行使、和平合意履行の保証、国際文民部隊展開のための安全な環境確保などの任務を遂行する事を援助する。
(2) 戦力引き渡し
1)ユーゴ軍は合意の調印後に直に、コソボ内でのいかなる敵対行為も停止する。
2)ユーゴ地上軍は、コソボから段階的に撤退する。その際に地雷の施設場所を明示する。 同時に(KFOR)が、コソボに展開する。
(A)合意の調印から一日以内に、ユーゴ軍はコソボ北部地域から撤退。撤退確認後、   NAT0は空爆を停止。空爆停止は和平合意が完全に履行されている間は継続する。(B)六日以内に、南部地域からも撤退。
(C)十一日以内に、コソボと安全地帯から完全撤退。この時点でNAT0からの空爆命令は取り消される。
3)ユーゴ空軍は、段階的に撤退。
(A)合意の調印から一日以内に、ユーゴ軍のコソボ上空と安全空域での飛行を禁止。
(B)三日以内に、全ての戦闘機、防空兵器を安全空域外に撤去。
(C)(KFOR)がコソボ上空と安全空域での制空権を確立。

⑦ロシアの強硬姿勢
心配していたことがやはり起きてしまった。ロシアのゴネである。国連安保理決議に基づくコソボ展開の『コソボ平和維持部隊KFOR』への参加を表明していたロシア軍は、ボスニア駐留の部隊をユーゴ国内入りさせ、コソボ方面に向かわせたが、イワノフ・ロシア外相は準備行動にすぎないと言明していたから、部隊は州境に止まると思われていた。
しかし、KFORの指揮権問題を巡り、モスクワで開かれていた米・露の軍事専門家協議が事実上決裂してしまった。ロシアの強硬姿勢は、NAT0の完全主導下で進められた和平プロセスに対するロシア政府、軍部の強い憤懣の現れであり、解決の軌道に乗ったコソボ情勢を再び混乱へ引き戻す危険も孕んでいる。
米・露の軍事専門家協議は、 6月10日から行っていたものであり、NAT0を代表する米国は、KFOR指揮の全権はNAT0が握る事、露軍はコソボ五分割のうち南部の一区域に配備されることを提示したのに対して、露側は露軍部隊は自軍の指揮下に置かれる事、北部を単独管理する事を主張して対立したのである。ロシアの強硬姿勢の背景は、『ユーゴ軍の撤退前に空爆停止、平和維持軍は国連支配下としてNAT0を中核としない』と言った自国の要求が、ことごとく排除された事への怨念である。ロシア人と民族的、宗教的に近いセルビア人のコソボの場合、ボスニアとは違って『ロシアの裏庭』と言う意識が強い。しかし、このロシアの姿勢は、NAT0側に駐留費の負担を求める駆け引きではないか?と言う声さえもある。
いずれにしても、ロシア軍部隊による12日のコソボ進駐はNAT0主導の和平プロセスから実質的に締め出された同国が、劇的な形でその存在感を示そうとした行動と見られる。作戦の遂行上、イワノフ外相の言うように偶発的な要素があった可能性は否定できないとは言え、進駐決定自体がクレムリン幹部によって下されたのは明らかである。駐留の既成事実を確保することで、NAT0側との交渉で有利な立場を獲得するのが最大の狙いであろう。確かに、この駐留は展開が早かった分だけ政治的効果は予想以上に大きかった。
当日のロシア各テレビは、NAT0側の当惑ぶりと共に、地元のセルビア人たちが、ロシア軍を歓迎する様子を繰り返し放映したが、NAT0の鼻を明かし、セルビア人住民や国内世論の歓心を買う目的は達したようである。この進駐は、平和維持部隊の展開を定めた国連安保理の決議に添っている限り、国際法上は非難の対称とはならない。しかし、『横紙破り』すれすれの盲点を突いていることは事実である。

⑧コソボ暫定統治機構
1999年 6月 14 日、ユーゴ・コソボ自治州に設置される『国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)』の概要が、アナン国連事務総長の報告で判明した。それは『コソボの将来的な地位を決定する政治プロセスを整える』を目的とするPKOであり、欧州の主要地域機構を傘下に置くと言う前例のない組織である。
これは頂点に『国連事務総長特別代表』を置き、その下に四つの部門を設けている。
第一の部門は、文民警察や行政組織などの『暫定統治部門』であり担当は国連(UN)、第二部門は、難民帰還や支援活動等の『人道支援部門』で担当は『国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)』であるが、異色なのは欧州の二つの地域機構が参加していることである。それは第三部門としての『全欧安保協力機構(OSCE)』が、人権監視や選挙の実施、警察官養成などの『行政組織整備部門』を担当することと、第四部門として『欧州連合(EU)』が仮設住宅建設・通信・交通・農業などの『インフラ再建部門』を担当することである。
今回の方式は、明石氏が率いた国連カンボジャ暫定統治機関が治安・選挙・行政などの全てを統括したのに比べると、寄合所帯の感があるし、国際的に中立な国連と欧州の利益を代表する地域機構との間には摩擦は避けられないとする識者もいる。
この形の中では、NAT0主導の国際治安部隊である『コソボ平和維持部隊KFOR』とは完全に切り離されているので、UNMIKは主力治安部隊を欠くと言われている。従ってUNMIKの活動には、コソボの治安維持に関しては、KFORとの連携が前提となっている。そこで両機関の連携を密にするために『軍事連絡班』が設置され、KFOR司令官と、UNMIKの責任者である国連事務総長特別代表との接点になる。
尚、ワシントン発の情報では、14日に電話会談をしたクリントンとエリツィンは、数日内でヘルシンキで、コーエン米国国防長官とロシア国防相セルゲーエフとの会談を行い、オルブライト国務長官とイワノフ外相も合流させることを決めたと伝えているので、ロシアとNAT0の関係修復が期待される。






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