1959年の1月14日、南極の昭和基地に置き去りにされて
当然全滅したと思われた15頭の樺太犬の内、「タロ・ジロ」の
2頭の生存が確認され、日本中が感動した。2010年の1月14日の
今日辺り、何処かのマスコミで50年以上前のこの件に触れるかと
期待したが、空振り。そこで昭和史の記録としてこの事を記録
しておく。
(1)選抜への道
1955年と云えば東京オリンピックの9年も前だから随分昔の話だが
左右社会党が統一され、保守合同によって自民党が生まれた、
所謂「55年体制」の出来た年。
この年、国際地球観測への参加の一環として、南極探査が決定。
奇しくも、ストーリーの主役になる「タロ・ジロ」はもう一頭の
兄弟「サブロ」と共に3兄弟犬としてこの年に生まれる。父犬は
後に一緒に南極に行く「風蓮のクマ」と呼ばれた名犬で当時2歳。
生後間もない3兄弟犬。
皆同じに見えるが左からジロ・タロ・サブロ。

翌年の1956年の1月、日本隊の南極探査に際して犬橇を使うことが
決定され、北海道にいた約1000頭のカラフト犬の中から40頭が
選抜されて稚内訓練所に集合して3月から過酷な訓練が始まった。
訓練所にある記念碑。1960年7月の建立、芸術院会員加藤顕清。

勿論、「タロ・ジロ・サブロ」の3兄弟も招集されたが、サブロは
不幸にも訓練中に死亡してしまった。
その年の11月、遠征隊長・永田武の下に西堀栄三郎を越冬隊長とする
第1次越冬隊員11名と選抜された最精鋭の22頭のカラフト犬は8日、
総勢の中に混じって宗谷に乗り込み東京晴海埠頭から南極へ向かった。
勿論、タロ・ジロ・風蓮のクマも一緒。風蓮とは当時の上川郡風蓮の
生まれだったから。
カラフト犬の名にはその容貌・体型から「クマ」「クロ」が多いので
人間並みに出身地で区別したらしい。
(2)置き去り
1957年の1月、南極に着いた隊員は基地予定地のオングル島への
ルートを開きながら再び猛烈な犬橇訓練を開始。2月になると
宗谷は越冬隊のみ残って永田隊長以下は帰国の途に付くが、怪我・
病気のため3頭が宗谷で送り返されたから現在員(犬?)は19頭。
地質調査・氷質調査の間に、8月・9月・12月に各1頭が死亡や
失踪。所が10月に「シロ子」が8頭の子供を生み、総勢24頭。
1958年2月、第1次隊の収容のため、交代要員の第2次越冬隊を
乗せた宗谷が再び永田隊長に率いられて南極を訪れる。悪天候の
ために苦労しながら第1次隊と「シロ子と8頭の子」を収容。
他の15頭の犬は第2次隊に引き継がれる予定だったので昭和
基地の鎖に繋がれた。
氷結は厳しく宗谷は一旦外洋に避難して第2次隊の上陸機会を
一週間も窺っていたが、それ以上は宗谷自体の氷海離脱が難しく
なるとの判断で永田隊長は第2次隊の上陸の中止を決断、15頭の
収容も不能となった。そして結果的に彼らは繋がれたまま、
僅かの餌のみで昭和基地に置き去りにされてしまったのだ。
因みに宗谷は第一次から第6次までの船で全長84mの僅かに
2936頓、2代目で第24次までつとめた「ふじ」は100mで
5250頓、それ以後現在まで活動しているのは「しらせ」で
134mで17600頓。当時の宗谷が如何に非力であったかが
想像できる比較である。下の写真は「しらせ」。
7月、国内では犬たちの生存は絶望視され、大阪に慰霊碑が
建立され越冬隊員たちも参列して盛大な供養が営まれた。
下の写真は昭和基地。設置場所の標高は29.18m、現在は53棟。

(3)生存への闘い
かつてこの事件を扱った「南極物語」という映画があつた。
高倉健・渡瀬恒彦の二人が犬係りの科学者を演じたが、その映画の
中では翌年に発見されるまでの彼らの生き残りの苦闘を克明に
再現している。勿論、誰も見ていないから発見遺体などからの
推定だが、あらゆる想定がされていて頷ける内容だった。
1958年11月、村山雅美を隊長とする第3次越冬隊が出発するが
同行したカラフト犬3頭は犬橇用ではなくペットだった。
それに隊員の北村氏が人間の都合によって全滅と想定される
犬たちを慰霊する阿弥陀如来像を持ち込み、基地に設置する。
高さ25センチ、ブロンズ製の阿弥陀如来像。

そして上陸した隊員は犬たちの無残な姿を目撃するが、同時に
奇跡的に生存していたタロ・ジロを発見、感動の対面を果たす。
映画の中で「首輪をはずせるかが生き残りの鍵」と語られていたが、
15頭の中で7頭が首輪を千切れずに鎖に繋がれたまま凍死・飢死に、
首輪を外しても基地に固執して離れなかったらしい2頭が生存、
他の6頭は行方不明で結果的に推定死亡。
9月、動物愛護協会が15頭のカラフト犬記念像を東京タワーに設置。

(4)その後のタロ・ジロ
1960年1月に到着した第四次越冬隊が11頭を連れて行ったので
再び、極地調査に犬橇が復活。
7月になると9日にジロが昭和基地で死亡。短い生涯だった。

1961年5月、第五次越冬隊を輸送した宗谷が帰りにタロと他の
14頭を連れて帰り、タロは北大植物園で休養させられることになる。
その後、タロは14歳7ヶ月まで生きて1970年8月11日に亡く
なったので十分な余生を過ごした事になる。

第3次隊が設置した仏像は長い事、所在不明になっていたが
2005年に隊員が発見して管理棟に納められ、第49次の
隊員によって2009年に持ち帰られている。
現在、南極では51次隊員たちが活動中であるが、基地は昭和基地
だけではなく、その他に3箇所。
「ドームふじ」
1995年の設置。昭和基地から1000kも離れた
標高3810mの高地で年間平均気温マイナス54.4℃、最低記録は
マイナス79.7℃という想像を絶する極寒の地。

「あすか」
1985年から1992年まで稼動。標高930mにあり現在は無人観測点。

「みずほ」
1971年の第13次隊かせら1985年の第27次隊までが
利用したが、その後は積雪に埋もれてしまい、現在は昭和基地と
「ドームふじ」間で移動の拠点としての中継点。標高2230m。

当然全滅したと思われた15頭の樺太犬の内、「タロ・ジロ」の
2頭の生存が確認され、日本中が感動した。2010年の1月14日の
今日辺り、何処かのマスコミで50年以上前のこの件に触れるかと
期待したが、空振り。そこで昭和史の記録としてこの事を記録
しておく。
(1)選抜への道
1955年と云えば東京オリンピックの9年も前だから随分昔の話だが
左右社会党が統一され、保守合同によって自民党が生まれた、
所謂「55年体制」の出来た年。
この年、国際地球観測への参加の一環として、南極探査が決定。
奇しくも、ストーリーの主役になる「タロ・ジロ」はもう一頭の
兄弟「サブロ」と共に3兄弟犬としてこの年に生まれる。父犬は
後に一緒に南極に行く「風蓮のクマ」と呼ばれた名犬で当時2歳。
生後間もない3兄弟犬。
皆同じに見えるが左からジロ・タロ・サブロ。

翌年の1956年の1月、日本隊の南極探査に際して犬橇を使うことが
決定され、北海道にいた約1000頭のカラフト犬の中から40頭が
選抜されて稚内訓練所に集合して3月から過酷な訓練が始まった。
訓練所にある記念碑。1960年7月の建立、芸術院会員加藤顕清。

勿論、「タロ・ジロ・サブロ」の3兄弟も招集されたが、サブロは
不幸にも訓練中に死亡してしまった。
その年の11月、遠征隊長・永田武の下に西堀栄三郎を越冬隊長とする
第1次越冬隊員11名と選抜された最精鋭の22頭のカラフト犬は8日、
総勢の中に混じって宗谷に乗り込み東京晴海埠頭から南極へ向かった。
勿論、タロ・ジロ・風蓮のクマも一緒。風蓮とは当時の上川郡風蓮の
生まれだったから。
カラフト犬の名にはその容貌・体型から「クマ」「クロ」が多いので
人間並みに出身地で区別したらしい。
(2)置き去り
1957年の1月、南極に着いた隊員は基地予定地のオングル島への
ルートを開きながら再び猛烈な犬橇訓練を開始。2月になると
宗谷は越冬隊のみ残って永田隊長以下は帰国の途に付くが、怪我・
病気のため3頭が宗谷で送り返されたから現在員(犬?)は19頭。
地質調査・氷質調査の間に、8月・9月・12月に各1頭が死亡や
失踪。所が10月に「シロ子」が8頭の子供を生み、総勢24頭。
1958年2月、第1次隊の収容のため、交代要員の第2次越冬隊を
乗せた宗谷が再び永田隊長に率いられて南極を訪れる。悪天候の
ために苦労しながら第1次隊と「シロ子と8頭の子」を収容。
他の15頭の犬は第2次隊に引き継がれる予定だったので昭和
基地の鎖に繋がれた。
氷結は厳しく宗谷は一旦外洋に避難して第2次隊の上陸機会を
一週間も窺っていたが、それ以上は宗谷自体の氷海離脱が難しく
なるとの判断で永田隊長は第2次隊の上陸の中止を決断、15頭の
収容も不能となった。そして結果的に彼らは繋がれたまま、
僅かの餌のみで昭和基地に置き去りにされてしまったのだ。
因みに宗谷は第一次から第6次までの船で全長84mの僅かに
2936頓、2代目で第24次までつとめた「ふじ」は100mで
5250頓、それ以後現在まで活動しているのは「しらせ」で
134mで17600頓。当時の宗谷が如何に非力であったかが
想像できる比較である。下の写真は「しらせ」。
7月、国内では犬たちの生存は絶望視され、大阪に慰霊碑が
建立され越冬隊員たちも参列して盛大な供養が営まれた。
下の写真は昭和基地。設置場所の標高は29.18m、現在は53棟。

(3)生存への闘い
かつてこの事件を扱った「南極物語」という映画があつた。
高倉健・渡瀬恒彦の二人が犬係りの科学者を演じたが、その映画の
中では翌年に発見されるまでの彼らの生き残りの苦闘を克明に
再現している。勿論、誰も見ていないから発見遺体などからの
推定だが、あらゆる想定がされていて頷ける内容だった。
1958年11月、村山雅美を隊長とする第3次越冬隊が出発するが
同行したカラフト犬3頭は犬橇用ではなくペットだった。
それに隊員の北村氏が人間の都合によって全滅と想定される
犬たちを慰霊する阿弥陀如来像を持ち込み、基地に設置する。
高さ25センチ、ブロンズ製の阿弥陀如来像。

そして上陸した隊員は犬たちの無残な姿を目撃するが、同時に
奇跡的に生存していたタロ・ジロを発見、感動の対面を果たす。
映画の中で「首輪をはずせるかが生き残りの鍵」と語られていたが、
15頭の中で7頭が首輪を千切れずに鎖に繋がれたまま凍死・飢死に、
首輪を外しても基地に固執して離れなかったらしい2頭が生存、
他の6頭は行方不明で結果的に推定死亡。
9月、動物愛護協会が15頭のカラフト犬記念像を東京タワーに設置。

(4)その後のタロ・ジロ
1960年1月に到着した第四次越冬隊が11頭を連れて行ったので
再び、極地調査に犬橇が復活。
7月になると9日にジロが昭和基地で死亡。短い生涯だった。

1961年5月、第五次越冬隊を輸送した宗谷が帰りにタロと他の
14頭を連れて帰り、タロは北大植物園で休養させられることになる。
その後、タロは14歳7ヶ月まで生きて1970年8月11日に亡く
なったので十分な余生を過ごした事になる。

第3次隊が設置した仏像は長い事、所在不明になっていたが
2005年に隊員が発見して管理棟に納められ、第49次の
隊員によって2009年に持ち帰られている。
現在、南極では51次隊員たちが活動中であるが、基地は昭和基地
だけではなく、その他に3箇所。
「ドームふじ」
1995年の設置。昭和基地から1000kも離れた
標高3810mの高地で年間平均気温マイナス54.4℃、最低記録は
マイナス79.7℃という想像を絶する極寒の地。

「あすか」
1985年から1992年まで稼動。標高930mにあり現在は無人観測点。

「みずほ」
1971年の第13次隊かせら1985年の第27次隊までが
利用したが、その後は積雪に埋もれてしまい、現在は昭和基地と
「ドームふじ」間で移動の拠点としての中継点。標高2230m。











