平成27年4月18日(土)久しぶりの晴天で、気持ちよい風の中、六街道の起点にあるお地蔵様を拝みに行ってきました。
そして、今回から「御朱印帳」(お寺の場合は正確には、御経印帳というそうである)を記載してもらおうと、巣鴨で買ってから地蔵様を拝した。
地蔵坊正元という人が24歳の時に大病を患って、親御さんと共に一心不乱に地蔵菩薩に祈ったら、奇跡的に回復したということから、修行の旅の際立ち寄った京都では、街道口に地蔵を建立して、祀っているのを見て、江戸の街道口にも六地蔵を建立しようと考え、
六地蔵が建立された。
まずは、巣鴨駅近くの「眞性寺(しんしょうじ)」
中山道を行き交う人々や地域のお人々の願いがお地蔵様に込められてきているという。
とげ抜き地蔵の近くにあった。
次に、山手線を右回りに回った感じで行って、「東禅寺」。
奥州街道の入口にあたる。
浅草駅よりバスに乗って、東浅草バス停で下車。そこには木村屋のパンの元祖様がこの辺に住んでいて、そのお二人の銅像が、地蔵様と一緒に建立されていた。
次に、清澄白河駅の近くの、「霊厳寺」。これは水戸街道の入口である。
ここは、実は、一度来ていて、行ってみて気がついた。
深川の芭蕉の「奥の細道」の出立の地ということで、この近くまで来た時に、この霊厳寺に来ているのである。
このお寺には「徳川定信」(吉宗の孫)のお墓もあった。
この日の最後は門前仲町駅の近くの「永代寺」。千葉街道の入口だということである。
だからか、成田山の鳥居があった。
霊厳寺からは歩いて30分位の位置にある。ここには、明治時代の廃仏毀釈により、地蔵様はもう現存していなくて、納経印は頂けるということで行く。
ここでも、行ってみて、前に来ていたことを思い出した。
13928歩、約8、3キロ歩いた。
あと二つの地蔵様は、次回にすることにした。
そして、今回から「御朱印帳」(お寺の場合は正確には、御経印帳というそうである)を記載してもらおうと、巣鴨で買ってから地蔵様を拝した。
地蔵坊正元という人が24歳の時に大病を患って、親御さんと共に一心不乱に地蔵菩薩に祈ったら、奇跡的に回復したということから、修行の旅の際立ち寄った京都では、街道口に地蔵を建立して、祀っているのを見て、江戸の街道口にも六地蔵を建立しようと考え、
六地蔵が建立された。
まずは、巣鴨駅近くの「眞性寺(しんしょうじ)」
中山道を行き交う人々や地域のお人々の願いがお地蔵様に込められてきているという。
とげ抜き地蔵の近くにあった。
次に、山手線を右回りに回った感じで行って、「東禅寺」。
奥州街道の入口にあたる。
浅草駅よりバスに乗って、東浅草バス停で下車。そこには木村屋のパンの元祖様がこの辺に住んでいて、そのお二人の銅像が、地蔵様と一緒に建立されていた。
次に、清澄白河駅の近くの、「霊厳寺」。これは水戸街道の入口である。
ここは、実は、一度来ていて、行ってみて気がついた。
深川の芭蕉の「奥の細道」の出立の地ということで、この近くまで来た時に、この霊厳寺に来ているのである。
このお寺には「徳川定信」(吉宗の孫)のお墓もあった。
この日の最後は門前仲町駅の近くの「永代寺」。千葉街道の入口だということである。
だからか、成田山の鳥居があった。
霊厳寺からは歩いて30分位の位置にある。ここには、明治時代の廃仏毀釈により、地蔵様はもう現存していなくて、納経印は頂けるということで行く。
ここでも、行ってみて、前に来ていたことを思い出した。
13928歩、約8、3キロ歩いた。
あと二つの地蔵様は、次回にすることにした。