わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

臓器移植について(1)

2022-07-31 09:18:36 | 癒し
臓器移植が良いか悪いかということはね、
今日本の中で問題になって議論されている訳
ですね。(当時)
問題になってるというのは何が根元か
というと、愛するものと別れたくない、
愛するものの体に傷をつけたくない、
という風なことねえ。
つまり、臓器を移植される側の人たちの
悲しみですよね。
五体満足のまま焼いてあげたいとかですね。
何かそういう気持ちが日本人には非常に
強いんです。
これは、何の宗教を信仰しているとか
何とかじゃなくって、日本人の精神性
といいましょうかね、国民性といった方が
いいかしら、そういうものなんですね。
だから、自分の愛するものの臓器が、
例えば肝臓や心臓、腎臓というものが、
何かの為であるにせよ、ぼんぼん
持ってゆかれる、傷がつくということは
耐えられない気持ちがする。
それと今は、人工的な、肉体の臓器じゃ
ないものが発達を致しましてね、それが
働きをするようになる。
そういうもの二つからめて考えていかないと、
つまり、人工の臓器移植と、肉体の人間の
臓器移植と両方考えていかないと、
いいか悪いかという問題は駄目なんだ
ということです。
         (つづく)

世界平和の祈り ④

2022-07-30 10:42:37 | 癒し
    (前日からの続き)
はじめから難しい課題を出したって、
人間というのはやっぱり駄目なんです。
1+1=2から始めないとね。
あるいは、1の前はゼロがあるという、
ゼロ以下のところで苦しんでる人が沢山いるの。

だから、そこへ百をもってきても駄目
なんですね。
いきなり百を解けといっても、ゼロ以下の
ところで喘いでる人にね、百のところまで
登っておいでといっても無理なんです。

ただ世界平和の祈りというのは、その百の
ところまで、あるいは千のところまで無理なく
背伸びなく、すっとゆける。

光の集まり所だから、そういう祈りなんだ
けれども、そこへ導く為にもね、一旦は生身の
人間の憂い辛さの所に立って、そういう所へ
降りて、苦労をして、その上で共感をして、
そうして大変ですねと言った末に、自然に
皆さんで、では世界平和の祈りをしましょうか
と言って統一が出来るように、そういう
雰囲気づくりをしてゆく。
ね、ここは本当に雑談の場でいいんですよ。
悩みの捨て所であっていいんです。

そういう所から、人生の苦労というものの
諸相が見えてくるし、生きるということの
大変さもねえ、またいろんなことも見えてくるし
分かってくるしね。

これも我々の修行なんです。

だから、全部神様が備えて下さるから、神様に
任せて、そうして祈って頑張ってやっていって
下さい。
        昭和63年8月26日

世界平和の祈り ③

2022-07-29 09:29:43 | 癒し
      (前日からの続き)
任せよう任せようと思っても任せられないんです。
そんなことは一切抜きにしてね、ただふんわりと
座って、ああ大変だなと思いながら聞いてあげる。
生身の一人の人間として聞いてあげる。

そういう事がね、支部や集会という集まりをする
人たちの、指導するあなた方の立場としては、
とても大事なことになってく訳ですねえ。

我々は、神様によって生命を新しくされるし、
心も新しくされるし、本心というものを磨いて
いただくんです。

神様によって我々は生きてる訳だし、糧を
いただいてる訳で、我々の生死というものも、
天命というものも、神様が貫いてずっと
見て下さる。

その信仰の上に立ってね、そうして、いろいろな
ものは神様が与えて下さるから、その上で、
世界平和の祈りを唱えていく。

世界平和の祈りの中に、日蓮もいれば親鸞も
法然もいる、あれは神様の寄り集めの所
ですよ。

あの祈りの全体というのはね。

だから、どの宗教であっても、くっつけて
祈っても祈らなくっても、世界平和の
せと言っただけで、皆あの中に全部入ってるから、
宗教を超えちゃった祈りなんだけれども、やはり、
その人の立場の尊敬、生命の尊敬というものを
一番にしてね、あなた方は、その上で自分を
磨いていくということから始めていかないと、
上から物言うとね、相手の心を萎びさせちゃう
ことになる。
              (つづく)

世界平和の祈り ②

2022-07-28 08:33:37 | 癒し
      (前日からの続き)
日本というのは特に宗教の国ですけどね、
霊(ひ)の本(もと)というくらいで。

本にも書きましたけど、要するに、霊的に指導者の
立場にならないといけないのが日本人だけれども、
それは気負いたってなるんじゃないんです。
いつの間にか染みわたるように、本心の流れが皆の
中に染みわたるようにね、そういう風に導いていく。

そういう役割を日本人がもってる訳です。
日本人がもってるの。
だから、その流れに逆らった時にはね、つまり、
強制したりするようになった時には、せっかく
このものすごい光明真言である祈りが、
その大光明が発揮できなくなっちゃう。

こっちの光の流れは止まらないんですよ。
全然遮(さえぎ)られないけれども、それを
受ける人の想いに何かわくが出来て、そうして、
受け入れられないという拒否の想いがきた時には、
その光がすっと降りていけなくなるんですね。

だから、その人の立場、年齢、経験、その人の家の
宗教、何をその人が信じてきたか、信じて
こなかったか、そういうものまでずっと心を配って、
その上で伝えていくということがないとですねえ。

私なんか、まず話を聞きますよ。
もちろん祈りが一番大事だけれども、祈りを
しましょうかとか言うより前にね、祈り心
でもって、その人の悩み苦しみというものを
ずっと聞いていくんです。

すると、聞いてもらうと、人間というのはねえ、
静か心というものが生まれて来て、そうして、
ああ良かったなあ、聞いてもらえて
落ち着いたなあという気持ちになって
くるんです。
そういうやさしさといいますかねえ、労わりが
ないと、宗教というものはね、じわじわ
染み込んでいかないんですよ。
             (つづく)

世界平和の祈り ①

2022-07-27 10:14:48 | 癒し
もう何十回何百回か知りませんけれど、世界平和の
祈りについては申してまいりましたけど、まあ
こんなに分かり易い祈りはない訳ですね。
真理の祈りといってもいいけれども、まず現代、
この祈りに反対する人がない。

たいてい宗教宗派の祈りというものはね、何か一つ
これを拝まなきゃ駄目という風な形で出発しちゃう
から、そこに把われが出来るんだけれども。

世界人類が平和でありますようにというのは、
これはもう大本心の祈りですね。
そして、神様の祈りですね。

これに反対しようと思ったって、これに反対
する人はなかなかないんですよ。
だから、うまく考えられた祈りですね。
考えられたというよりも、神様方の御心を
現わした祈りですね。
そういう意味で、これは真言だけど、神様の
言葉でもあるし、真実の言葉でもあるけれども。

しかし、やっぱり皆それぞれに宗教宗派という
ものを、日本という国は特にもってますからね。
曹洞宗だ浄土宗だ浄土真宗だ、キリスト教だ
創価学会だ金光教と、あるでしょ。

それぞれに皆、祈ってきた対象、祈っている
対象、自分はこっちを祈っていても他の人は
別のを、というのはある訳ね。
その時に、何が何でも世界平和の祈り
と言わないことです。

世界平和の祈りというのは、何も強制しなくても、
すっとその人の本心の中へ入っていくもの
なんですね。
これを広めないと、広めないと、と
やってしまうと、ピースポールは立つかも
しれないけども、祈りは深まっていかない
ということに、極端に言えばなるんですよ。

でも生身の人間というのは大事なんです。
その気持ちというものも大事なんです。

気持ちの流れというものをくまないと、我々
生きてる人間関係というものは、この世の中では
ありますからね。

その中で、世界平和の祈りというものの素晴らしさ
とか本質とかいうものを知らせていこうと思えば、
まず世界平和の祈りがありますよ、ありますよ
という風なことを言わないでね、やっぱり和顔愛語で
人に接していってね、そうすると、ああこの人の
やさしさ、この人の深さは何か違うなあ
というようなものを、神様の方が感じさせて
下さるんですよ。

で、それを皆が感じとって、ああこの人何かあるなあ
という風になれば、やっぱり聞いてきますよ。

五井先生の本でも誰の本でもね、体験談のものでも、
渡してもらえばね、あとはこっちでスイッチを
切り換えますから。
そうしないとねえ。
           (つづく)