私、希少がんP-net患者です

1996年に膵臓手術時は病名も不明。
膵内分泌腫瘍は10万人に一人の希少がん。
通称名 P-net(ピーネット)

支え

2017年02月11日 | 日記
一番初めの入院は激しい腹痛と血尿があるため緊急で入院となり
いつまでかかるか分からない状況でした。

子供たちもまだ小さく、
主人が一人で子供たちの面倒を見ながら通勤する日々となってしまって
私は何か薬でも貰って家で寝ていられるからと思ったりもしたけれど
看護師さんも先生も今の状態では帰ることは無理だと言われてました。

主人には本当に大変な日々だったと思います。
子供たちにご飯の用意をして洗濯、買い物、仕事。
なのに毎日必ず病院にも来てくれていました。

疲れてるからベッドの横で居眠りしてしまうので
お見舞いに来てくれてるパパの方が病気みたいだと笑ったりもしましたが
私、支えてもらっていたんだってつくづく思います。

その時もいつもありがとうと言ってはいたけれど
今も聞こえていてほしい
「パパありがとう!」

パパはずっと病気知らずで身体の気になることというと腰。
ヘルニアで歩けなくなって長く仕事を休んだことがあったよね
そんな時、私はパパをちゃんと支えていたんだろうか?

パパがママや娘たちを支えてくれていたのに比べたら私がしたことなんてほんとにわずかなことだけ。

パパの体調が悪くなってきて
なんだか変だって言い始めても
一時的な不調なのかと思ってしまって
今後悔しても遅すぎなんだけど
もっと早く大きな病院に行くべきだった。

パパがずっと一緒にいてくれるものだと思っていたから
私はいつも甘ったれていられた

痛みや苦しみの感じ方って人によって違うんだって思う。

パパは苦痛に耐えていた。
「なんかちょっと・・・」というのがパパの表現で
大げさな人なら痛いとか気持ち悪いとかはっきり言うんだろうけど
あいまいな表現で
それを敏感に察することもできなかった私。

本当にごめんなさい

今、私ひとりだけになって
病気に向き合わなければいけないと思うけど
やっぱりパパにそばにいてほしいと思う。

お空の上から呆れているかもしれないよね
「いつまでパパに甘えてるの?」って

でもこれは本当にどうしようもないことなの。
パパが支えてくれていると思わないではいられない。
パパがいなくても一人でがんばる・・・なんてとても言えない。