身欠きニシン
「みがきニシン」が安く売られていたので買ってみた。
というのも、双子の演歌歌手・こまどり姉妹さんが、子供の頃によくお母さんに料理してもらって食べていたという身欠きニシンのお話が、ずいぶんと美味しそうだったからである。その印象がずっと残っていたものだから、いつか食べてみたいと思っていた。こまどりさんが特別出演されているさいたまネクスト・シアター『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』を観劇したその日、帰宅途中に立ち寄った地元のスーパーでたまたま発見したものだから、これは何かの巡り合わせかもしれないと思ったのもある。
身欠きニシンとは、ニシン(鰊)の干物のことである(以下、ウィキペディアを参照)。かつてニシンは春になると、北日本、特に北海道の日本海沿岸に押し寄せ、海が白子(精子)で白く染まるほど、漁村は豊漁に沸き返ったという。しかし、水揚げしたニシンは日持ちがしないため、内臓や頭を取り除いて乾燥させて干物に加工した。北国だけでなく、保存に便利なタンパク源として日本各地にも流通した、それが「身欠きニシン」である。「身欠き」とは、戻した干物が筋ごとに取れやすくなることからついた俗称だという。稀に「磨きニシン」と呼ばれることもあるが、これは表記的な誤りだそうである。
北海道は江戸時代からニシン漁で栄え、海岸線は漁場経営のため、いちはやく開拓されたという。すでに享保2年( 1717年)の『松前蝦夷記』に、ニシンの加工品として「丸干鯡」(ニシンを内臓も取らずそのまま干し上げたもの)、「数の子」「白子」などとともに「鯡身欠」が記載されている。春に水揚げされたニシンは番屋などで干物や鰊粕に加工され、北前船に乗せて内地に流通させることで、蝦夷地開拓の大きな資金源となった。
第二次世界大戦前、とりわけ大戦景気までの時期にニシン漁は隆盛を極め、財を成した網元達が競って「鰊御殿」を造った。干物にするため内臓を抜き取ったニシンは、22、3匹ずつを藁で結び、その束を「連」と呼んだ。これを50~51連で「1本」と呼び、2人がかりで処理するニシンの量は1日8本(約9千匹)が目安とされたという。ちなみにニシン漁場では私娼のことを「七連」(ななつら)と呼んだが、これは身欠きニシン7連分の金額で買えたからだそうだ。
しかし、それほど大量に獲れたニシンも、戦中・戦後から現在にいたるまでにほとんど獲れなくなった。こまどり姉妹さんが小学校時代を過ごし、心の故郷と慕っている銭函(ぜにばこ)という土地がある。小樽と札幌の中間に位置する地域で、アイヌが住んでいた時代から鮭漁の魚場として栄え、その後はニシン漁で栄えて、各家庭には銭箱があったという伝説が残り、それが地名の由来になったという。しかし、それほど栄えた銭函も、戦後は魚場が移ってしまってすっかり町全体がさびれてしまい、結局こまどりさんの一家も夜逃げをする羽目になる。ちなみに、そのときに人知れず旅立った銭函の駅舎はいまも残っており、高倉健主演の映画『駅~station』の舞台ともなった。北海道在住の写真家さんが銭函地区を写真で紹介したサイトを見ると、その最盛期が偲ばれるようだ。
http://www.geocities.jp/sinku_spot/zenibako.html
ニシンの卵である数の子も、昔は日常的に食べられていたものが、今ではお正月に食べるぐらいで、しかもかなりいいお値段のする高級食材となっている。鯨の肉と同じ様に、ある種レアな食材と化していて、普通の食卓にはのぼらなくなっている。
私がスーパーで見つけた身欠きニシンは、商品名を「ソフトみがき鰊」といい、裏書きを見ると原料原産国はアメリカ、それを北海道岩内郡で加工したものである(株式会社山武製造)。三枚に下ろされた小振りな身が10枚ぐらい入った250gのパックで、定価が398円のところ、消費期限当日で半額の199円になっていた。以前にも店頭で見かけてはいたものの、「定価ではちょっと高いかな」と思って買わずにいたのである。それが半額になっていたのと、こまどり姉妹さんの舞台を観たその日偶然出会ったものだから、「これは買いかも」と思ったのだった。
あまり馴染みのない食べたこともないような食材でも、時間に余裕のある時に私は結構“お試し”で買ってきては、よく調理法を思案しながら食して楽しんでいる。買ってきてからネットでレシピを検索し、参照しながら料理してみるのである。クズ同然の半端な商品でも、工夫次第で美味しく食べられれば得をした気分になれる。これまでに、シュモクザメの白身でフライも作ったし、チカの唐揚げもおいしく食べた。ぶりやカンパチのあらを買ってきて、ぶり大根(かんぱち大根?)も作った。アトランティック・サーモンの骨身や頭・エラを焼いて、ほぐした身をおにぎりの具にしたこともある。いつか鯛のあらを炊き込んで鯛飯を作ってみたいのだが、まだ果たせないでいる。一人暮らしだから、見た目にこだわることはなく、一人分の食事を納得して味わえればいいのである。
私にとっての最高の贅沢とは何かと問われれば、そのように自分自身のためだけに腕によりをかけて料理をつくり、自ら食すことであると答えるだろう。成功しようが失敗しようが、それは二の次。失敗しても、どこが悪かったのかを検証し、次回はそうならないためにまた気をつければいいのである。料理をするといっても、他人の好き嫌いとか趣味嗜好、刹那的な気分や機嫌に配慮して気を使ったりする必要がないのでとても気楽だし、そうした納得のいく過程や時間を過ごせることが、ある意味幸せなのである。
料理のクリエイティビティ(創意)とは、良い食材に出会って買ってきてから、それをどう活かそうかいろいろ思案するところにあるように思う。レシピ通りに買い物をしてきて調理するのは、どうも科学の実験や数学の方程式を解いているみたいでつまらないように思う。だから、自分は創作料理が好きなタイプなのだろうと思う。そういえば、昔はグラハム・カーの『世界の料理ショー』を楽しみに見ていたし、『料理の鉄人』にも面白く見入っていた。
さて、肝心なのは身欠きニシンである。商品のラベルに「お召し上がり方」が書いてある。「そのまま焼き、大根おろしを添え、お醤油をかけてお召し上がりください。甘露煮、蒲焼き、山菜煮物などでもおいしくいただけます。」とある。買ったその晩は、焼いてしょうゆをかけて食べた(写真なし)。身欠きニシンは、脂の少ないものが上物とされるそうで、基本的に脂身の多い魚なのだろう。かなり煙も臭いも上がり、美味しそうではあるが、部屋中に臭いがつかないように気をつけた方がいい。翌日には違う食べ方をしたいと思い、ラベルに書いてあった甘露煮かなと思い、ネットを検索。クックバッドと個人ブログを参照して作ることにした。
「クックパッド」身欠きにしんの旨煮(レシピID :297232)
http://cookpad.com/recipe/297232
「オラの日常」身欠きにしんの甘露煮
http://haimoo.at.webry.info/200908/article_11.html
通常の「身欠きニシン」はカチカチの干物で、米の研ぎ汁に1週間ほど漬けて戻した後、調理するそうである。また、山形では番茶で灰汁抜きをするとも書いてある。私が買ってきたのは「ソフト」なので、一度だけ米の研ぎ汁で噴きこぼしててから、料理することにした。煮ると独特の良い匂いがする。そして、ごはんも炊いて、2切ればかりをそのままおかずにして食べた。エリンギをスライスして煮汁を吸わせ、添え菜として豆苗を載せた。美味しかった。これはご飯のおかずにも酒の肴にもいいです。残り6切れぐらいを冷蔵にし、その都度解凍して何日かに分けて食べることにした。そばの具にして「にしんそば」も食べたいと思っていたが、結局そのまま同様におかずとして食べる日が続いた。
(2012.2.26.)
「みがきニシン」が安く売られていたので買ってみた。
というのも、双子の演歌歌手・こまどり姉妹さんが、子供の頃によくお母さんに料理してもらって食べていたという身欠きニシンのお話が、ずいぶんと美味しそうだったからである。その印象がずっと残っていたものだから、いつか食べてみたいと思っていた。こまどりさんが特別出演されているさいたまネクスト・シアター『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』を観劇したその日、帰宅途中に立ち寄った地元のスーパーでたまたま発見したものだから、これは何かの巡り合わせかもしれないと思ったのもある。
身欠きニシンとは、ニシン(鰊)の干物のことである(以下、ウィキペディアを参照)。かつてニシンは春になると、北日本、特に北海道の日本海沿岸に押し寄せ、海が白子(精子)で白く染まるほど、漁村は豊漁に沸き返ったという。しかし、水揚げしたニシンは日持ちがしないため、内臓や頭を取り除いて乾燥させて干物に加工した。北国だけでなく、保存に便利なタンパク源として日本各地にも流通した、それが「身欠きニシン」である。「身欠き」とは、戻した干物が筋ごとに取れやすくなることからついた俗称だという。稀に「磨きニシン」と呼ばれることもあるが、これは表記的な誤りだそうである。
北海道は江戸時代からニシン漁で栄え、海岸線は漁場経営のため、いちはやく開拓されたという。すでに享保2年( 1717年)の『松前蝦夷記』に、ニシンの加工品として「丸干鯡」(ニシンを内臓も取らずそのまま干し上げたもの)、「数の子」「白子」などとともに「鯡身欠」が記載されている。春に水揚げされたニシンは番屋などで干物や鰊粕に加工され、北前船に乗せて内地に流通させることで、蝦夷地開拓の大きな資金源となった。
第二次世界大戦前、とりわけ大戦景気までの時期にニシン漁は隆盛を極め、財を成した網元達が競って「鰊御殿」を造った。干物にするため内臓を抜き取ったニシンは、22、3匹ずつを藁で結び、その束を「連」と呼んだ。これを50~51連で「1本」と呼び、2人がかりで処理するニシンの量は1日8本(約9千匹)が目安とされたという。ちなみにニシン漁場では私娼のことを「七連」(ななつら)と呼んだが、これは身欠きニシン7連分の金額で買えたからだそうだ。
しかし、それほど大量に獲れたニシンも、戦中・戦後から現在にいたるまでにほとんど獲れなくなった。こまどり姉妹さんが小学校時代を過ごし、心の故郷と慕っている銭函(ぜにばこ)という土地がある。小樽と札幌の中間に位置する地域で、アイヌが住んでいた時代から鮭漁の魚場として栄え、その後はニシン漁で栄えて、各家庭には銭箱があったという伝説が残り、それが地名の由来になったという。しかし、それほど栄えた銭函も、戦後は魚場が移ってしまってすっかり町全体がさびれてしまい、結局こまどりさんの一家も夜逃げをする羽目になる。ちなみに、そのときに人知れず旅立った銭函の駅舎はいまも残っており、高倉健主演の映画『駅~station』の舞台ともなった。北海道在住の写真家さんが銭函地区を写真で紹介したサイトを見ると、その最盛期が偲ばれるようだ。
http://www.geocities.jp/sinku_spot/zenibako.html
ニシンの卵である数の子も、昔は日常的に食べられていたものが、今ではお正月に食べるぐらいで、しかもかなりいいお値段のする高級食材となっている。鯨の肉と同じ様に、ある種レアな食材と化していて、普通の食卓にはのぼらなくなっている。
私がスーパーで見つけた身欠きニシンは、商品名を「ソフトみがき鰊」といい、裏書きを見ると原料原産国はアメリカ、それを北海道岩内郡で加工したものである(株式会社山武製造)。三枚に下ろされた小振りな身が10枚ぐらい入った250gのパックで、定価が398円のところ、消費期限当日で半額の199円になっていた。以前にも店頭で見かけてはいたものの、「定価ではちょっと高いかな」と思って買わずにいたのである。それが半額になっていたのと、こまどり姉妹さんの舞台を観たその日偶然出会ったものだから、「これは買いかも」と思ったのだった。
あまり馴染みのない食べたこともないような食材でも、時間に余裕のある時に私は結構“お試し”で買ってきては、よく調理法を思案しながら食して楽しんでいる。買ってきてからネットでレシピを検索し、参照しながら料理してみるのである。クズ同然の半端な商品でも、工夫次第で美味しく食べられれば得をした気分になれる。これまでに、シュモクザメの白身でフライも作ったし、チカの唐揚げもおいしく食べた。ぶりやカンパチのあらを買ってきて、ぶり大根(かんぱち大根?)も作った。アトランティック・サーモンの骨身や頭・エラを焼いて、ほぐした身をおにぎりの具にしたこともある。いつか鯛のあらを炊き込んで鯛飯を作ってみたいのだが、まだ果たせないでいる。一人暮らしだから、見た目にこだわることはなく、一人分の食事を納得して味わえればいいのである。
私にとっての最高の贅沢とは何かと問われれば、そのように自分自身のためだけに腕によりをかけて料理をつくり、自ら食すことであると答えるだろう。成功しようが失敗しようが、それは二の次。失敗しても、どこが悪かったのかを検証し、次回はそうならないためにまた気をつければいいのである。料理をするといっても、他人の好き嫌いとか趣味嗜好、刹那的な気分や機嫌に配慮して気を使ったりする必要がないのでとても気楽だし、そうした納得のいく過程や時間を過ごせることが、ある意味幸せなのである。
料理のクリエイティビティ(創意)とは、良い食材に出会って買ってきてから、それをどう活かそうかいろいろ思案するところにあるように思う。レシピ通りに買い物をしてきて調理するのは、どうも科学の実験や数学の方程式を解いているみたいでつまらないように思う。だから、自分は創作料理が好きなタイプなのだろうと思う。そういえば、昔はグラハム・カーの『世界の料理ショー』を楽しみに見ていたし、『料理の鉄人』にも面白く見入っていた。
さて、肝心なのは身欠きニシンである。商品のラベルに「お召し上がり方」が書いてある。「そのまま焼き、大根おろしを添え、お醤油をかけてお召し上がりください。甘露煮、蒲焼き、山菜煮物などでもおいしくいただけます。」とある。買ったその晩は、焼いてしょうゆをかけて食べた(写真なし)。身欠きニシンは、脂の少ないものが上物とされるそうで、基本的に脂身の多い魚なのだろう。かなり煙も臭いも上がり、美味しそうではあるが、部屋中に臭いがつかないように気をつけた方がいい。翌日には違う食べ方をしたいと思い、ラベルに書いてあった甘露煮かなと思い、ネットを検索。クックバッドと個人ブログを参照して作ることにした。
「クックパッド」身欠きにしんの旨煮(レシピID :297232)
http://cookpad.com/recipe/297232
「オラの日常」身欠きにしんの甘露煮
http://haimoo.at.webry.info/200908/article_11.html
通常の「身欠きニシン」はカチカチの干物で、米の研ぎ汁に1週間ほど漬けて戻した後、調理するそうである。また、山形では番茶で灰汁抜きをするとも書いてある。私が買ってきたのは「ソフト」なので、一度だけ米の研ぎ汁で噴きこぼしててから、料理することにした。煮ると独特の良い匂いがする。そして、ごはんも炊いて、2切ればかりをそのままおかずにして食べた。エリンギをスライスして煮汁を吸わせ、添え菜として豆苗を載せた。美味しかった。これはご飯のおかずにも酒の肴にもいいです。残り6切れぐらいを冷蔵にし、その都度解凍して何日かに分けて食べることにした。そばの具にして「にしんそば」も食べたいと思っていたが、結局そのまま同様におかずとして食べる日が続いた。
(2012.2.26.)