今日,昨日は三件茶屋の大道芸大会があった。久しぶりの秋の快晴の中で、クラシック演奏、ジャズ演奏、などの音楽演奏系。一輪車、火を噴く男、空中ブランコなど曲芸系、マイムなどの演劇系 様々な芸人の芸と周りに展開されている、様々な店舗など久しぶりに三茶の町が多くの人いる楽しい意表を見せていた。町に活気があふれることはこんなにも心に豊かさと充実感があるものだなと改めて感じた。
子供の頃は神社のお祭りや空き地にやってきたサーカス団など何となくまちに非日常を提供してくれる何かがあって、それを子供心にわくわくしながら、見に行ったりしたものだったが、いつの間にか、お祭りもどこに行っても同じような店があったり、まちもどのまちも変わらない表情を見せてきてた。そこへ嘗て横浜に行ったとき偶然野毛の大道芸大会に出会ってしまった、そこでは昔わくわくしたような様々な出し物やお店が町中に散らばって,輝いていた(そこで手づくりのオカリナを買ったのを覚えてる)その大道芸大会も直港未来の超高層ビルの中にないってしまって、芸人も元気なく、見る人も仮面ライダーショウの変わり種的にとらえているだけで全く活気のない形になってしまった。
やはり、大道芸は道と一緒でなければなー、町の中の風景でなければ大道芸でも何でもない、ただのショウになってしまうのだ
その後インドでは常にどこでも大道芸があり、常に人々がたかっていたり、していてびっくりの連続、ドイツでも日曜日などは世界各地からやってきた芸人たちがなんとか大会ではなく、全く日常の風景としてあちらこちらで芸を披露して(こちらは音楽芸が多かった)いて、昔の映画などでは江戸の町に結構たくさんの芸人たちが出てくるような場面があったりしていて、日本はやっぱり、娯楽が町からきえてしまったのだなーと考えていた。
三茶の大道芸は確かに自然発生的なものではないが、嘗てのわくわく感を与えてくれる大きな要素だったなーということを思い出させてくれた 収穫の一日だった。
写真は子供たちが(不思議なことに)<カベヌリ>といって人気のあったストリートパホーマー(ガンジス、インダス,ドーダス)のパフォーマンス。笛吹きおじさんのように子供たちをそのまま連れ去っていくような不思議な雰囲気をもった芸。
子供の頃は神社のお祭りや空き地にやってきたサーカス団など何となくまちに非日常を提供してくれる何かがあって、それを子供心にわくわくしながら、見に行ったりしたものだったが、いつの間にか、お祭りもどこに行っても同じような店があったり、まちもどのまちも変わらない表情を見せてきてた。そこへ嘗て横浜に行ったとき偶然野毛の大道芸大会に出会ってしまった、そこでは昔わくわくしたような様々な出し物やお店が町中に散らばって,輝いていた(そこで手づくりのオカリナを買ったのを覚えてる)その大道芸大会も直港未来の超高層ビルの中にないってしまって、芸人も元気なく、見る人も仮面ライダーショウの変わり種的にとらえているだけで全く活気のない形になってしまった。
やはり、大道芸は道と一緒でなければなー、町の中の風景でなければ大道芸でも何でもない、ただのショウになってしまうのだ
その後インドでは常にどこでも大道芸があり、常に人々がたかっていたり、していてびっくりの連続、ドイツでも日曜日などは世界各地からやってきた芸人たちがなんとか大会ではなく、全く日常の風景としてあちらこちらで芸を披露して(こちらは音楽芸が多かった)いて、昔の映画などでは江戸の町に結構たくさんの芸人たちが出てくるような場面があったりしていて、日本はやっぱり、娯楽が町からきえてしまったのだなーと考えていた。
三茶の大道芸は確かに自然発生的なものではないが、嘗てのわくわく感を与えてくれる大きな要素だったなーということを思い出させてくれた 収穫の一日だった。
写真は子供たちが(不思議なことに)<カベヌリ>といって人気のあったストリートパホーマー(ガンジス、インダス,ドーダス)のパフォーマンス。笛吹きおじさんのように子供たちをそのまま連れ去っていくような不思議な雰囲気をもった芸。