ヒーリングデザイン@メモ

スッと抜けていくそよ風、電気を消して気づく明るい月あかり、ぬくぬく日だまりの縁側。安心して暮らせるヒーリング空間つくり

大地震、大津波、原発

2011-03-16 | スローライフ
今だに信じがたい災害、阪神大震災の時も中越地震の時もあるいはインド沖地震の時も
これだけの激しい破壊と悲しみを経験していない。
四川大地震の時、ニュージーランドの時の惨状は変わらないはずなのに、でも何か違う。

90%以上の確立で地震発生すると言われてきて普段からその備えや施設建設をしてきたのに!
人の知の限界が経済というさらに大きな領域に制限されて人をさらに不幸にする。

建築設計という仕事に携わっているから、この限界ということが理解できてしまう不幸。

<東電に電気がない!>始めに聞いたとき耳を疑った。電気をつくる会社に電気がないって?
それでどうなるの? これが金曜日のこと。たくさんの電源車が原発に支援に向かって
いるというニュースにもあまり安心感がなかった。

東電の今までの隠蔽体質を知っていたから。何処まで本当のことを発信しているのか?
この原発設計の際に弁の取り付けをしなかった、国際情勢の中で後からつけたその弁が
今では唯一の命綱になっているという危機管理感覚。
いくら技術が優秀でもそれを扱う人の考え、あるいは経済という枠組みが正しい技術の
使い方を忘れてしまう。武谷三男の書いていた世界が今現出してしまった。

政府が直接管理指揮する体制になった今、世界中の人類の知恵を結集して事態を出来る
だけ早く終息してもらいたい。
そして地震、津波災害支援に国力の全てを傾けられるようにしてもらいたい。

あの神戸の時、建築家ボランティアとして現地に赴き、被災された多くの人と
接した時、人のあの安心した顔は今でも思い出します。
建築という専門のことよりも心のケアををしてきたのだなとつくづく思っています。

今何が出来るということより、現地を想っているということの持続が大切だと考えます。
物資や燃料が足りないというのにガソリンスタンドに並ぶ東京の車達、ティッシュを
買いあさる都会の人達。石油ショックの時とは状況が全く違うのです。
被災地では都会人が買いあさっているモノが足りないのです。

このような想いのない風景は私の好きなあの日本人の真の姿ではないのだと思いたい。