ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、これは群馬県の西北部、吾妻郡にある村の名前です。
「つまごいむら」と読みます。
群馬県と長野県の県境付近にあります。
全国各地の市町村に関わる仕事をしていたときに偶然に出会った地名です。
「恋」という漢字が使われかわいいイメージがしたので、気に入って由来を調べました。
以下、嬬恋村役場のHPから引用します。
第12代景行天皇の皇子「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」の東征中に、海の神の怒りを鎮めるために愛妻「弟橘姫(オトタチバナヒメ)が海に身を投じました。その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)にお立ちになり、亡き妻を追慕のあまり「吾嬬者耶(あずまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)とお嘆きになって妻をいとおしまれたという故事にちなんで嬬恋村と名付けられました。
おお!わたしの得意分野である古事記の話でしたか。
オトタチバナヒメは数々の愛憎渦巻く古事記のなかで唯一、夫のために命を捧げた女性です。
そのため横須賀市の走水神社をはじめ、夫婦円満や縁結びの神様としてヤマトタケルと一緒に全国各地に奉られています。
でもヤマトタケルはこのあとすぐ、あらかじめ目をつけていた美夜受比売(ミヤズヒメ)と結婚するんですよ。
ちょっと調子いい男ですよね。
だがしかし!!(JOJO風)
ここでわたしが強調したいのは、ヤマトタケルの不貞ではありません。
「追慕のあまり詩を詠む」という、喪失における日本人独特の行動です。
アメリカなど前を向くことが良いとされる文化の中では、思慕の感情というものは悪い悲嘆であると言われます。しかし日本人は、亡くなった人を思い出し、慕い、その人との絆を保ちながら愛着の喪失による痛みから回復していきます。
第12代景行天皇の時代とはウィキペディアによると4世紀半ごろのことだそうですが、
その時代から現代に至るまで、日本人の悲嘆からの回復プロセスは変わっていないのですね。
びえもカフェでは、参加者を「死別による悲嘆で苦しんでいる方」とは限定していません。
何を失ったかも限定していません。
それは、喪失の苦しみや悲しみはごく個人的なものだからです。
それでも共有できる感情や過程はあると思います。
皆様のご参加をお待ちしています。
「つまごいむら」と読みます。
群馬県と長野県の県境付近にあります。
全国各地の市町村に関わる仕事をしていたときに偶然に出会った地名です。
「恋」という漢字が使われかわいいイメージがしたので、気に入って由来を調べました。
以下、嬬恋村役場のHPから引用します。
第12代景行天皇の皇子「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」の東征中に、海の神の怒りを鎮めるために愛妻「弟橘姫(オトタチバナヒメ)が海に身を投じました。その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)にお立ちになり、亡き妻を追慕のあまり「吾嬬者耶(あずまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)とお嘆きになって妻をいとおしまれたという故事にちなんで嬬恋村と名付けられました。
おお!わたしの得意分野である古事記の話でしたか。
オトタチバナヒメは数々の愛憎渦巻く古事記のなかで唯一、夫のために命を捧げた女性です。
そのため横須賀市の走水神社をはじめ、夫婦円満や縁結びの神様としてヤマトタケルと一緒に全国各地に奉られています。
でもヤマトタケルはこのあとすぐ、あらかじめ目をつけていた美夜受比売(ミヤズヒメ)と結婚するんですよ。
ちょっと調子いい男ですよね。
だがしかし!!(JOJO風)
ここでわたしが強調したいのは、ヤマトタケルの不貞ではありません。
「追慕のあまり詩を詠む」という、喪失における日本人独特の行動です。
アメリカなど前を向くことが良いとされる文化の中では、思慕の感情というものは悪い悲嘆であると言われます。しかし日本人は、亡くなった人を思い出し、慕い、その人との絆を保ちながら愛着の喪失による痛みから回復していきます。
第12代景行天皇の時代とはウィキペディアによると4世紀半ごろのことだそうですが、
その時代から現代に至るまで、日本人の悲嘆からの回復プロセスは変わっていないのですね。
びえもカフェでは、参加者を「死別による悲嘆で苦しんでいる方」とは限定していません。
何を失ったかも限定していません。
それは、喪失の苦しみや悲しみはごく個人的なものだからです。
それでも共有できる感情や過程はあると思います。
皆様のご参加をお待ちしています。