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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『精神科養生のコツ』

2006年01月04日 | Book
『精神科養生のコツ』という本を読みました。著者は鹿児島県で医者をされている神田橋條治さん。私は知りませんでしたが、専門家の間では有名な方だそうです。

この本が扱っているのは、現に今“こころ”の調子がおかしいと感じている人たちに対して、それを少しでもラクになってもらおうと、様々な考え方・エクササイズを紹介しています。

ただこの本は、悩みの原因を分析して取り除く方法を解説しているわけはありません。“悩みを解決する”というスタンスはこの本とは無縁です。ではこの本のスタンスは何かというと、「悩みを引き起こしている脳にとって気持ちいいことをしましょう」というものだと言えます。

神田橋さんは、“こころ”というものを重視する考えをとりません。なぜなら彼によれば、“こころ”は“こころ”の調子が悪くなったことを察知できないからといいます。私たちは“こころ”で自分の心身の調子を判断できる考えています。しかし、“こころ”がたとえ調子悪くなっても、“こころ”の状態がいいか悪いかを判断しようとするのは“こころ”なのですから、調子が悪い“こころ”が自分のことを「調子が悪い」と正確に判断するのは困難です。調子が悪いのであれば自分のことを正確に「悪い」と判断できないからです。

著者は“こころ”が良いか悪いかを吟味しようとする風潮に対して、“こころ”と“脳”を区別するようにアドバイスします。

ここで神田橋さんは、“こころ”を思考を行うマインドとしてとらえ、“脳”をマインドの働きを可能にする機械的仕組みととらえているのかもしれません。言い換えれば、“こころ”とはソフトウェアの働きであり、“脳”とはハードウェアの働きです。そして、私たちが悩んだりするのは、ハード(脳・身体)の働きが上手く行かず、したがってソフト(マインド・こころ)も正常に作動しない状態です。

心理学では、主にどうすればソフト(マインド・こころ)がうまく作動するかについて、ソフトの仕組みばかり検証します。しかし神田橋さんは、そもそもソフトが正常に作動するする基盤は、ハード(脳・身体)の調子にあると考え、ハードの状態に気を配るようにアドバイスします。

そのハード(脳・身体)の調子を整えるために、神田橋さんは、自分にとって“気持ちいい”ことを探るように述べます。これは、好きなチョコレートを食べたり、好きな音楽を聴いたり、好きな街を歩いたりと、とにかく自分にとって“気持ちいい”と感じることをしてみなさいということです。

神田橋さんによれば、この自分が“気持ちいい”と感じることに、その人の“個性”“自分らしさ”があるそうです。

この“気持ちいい”ことを探すというのは、一見簡単そうに見えて、現代の多くの人にとってはそうでもありません。私たちは実は好きでもないことを一生懸命していたりする場合があるからです。好きでもないのに受験勉強をする。好きでもないのにビジネス書を読む。好きでもないのに資格試験の勉強をする。好きでもないのに会社に行く。好きでもないのに炊事洗濯をする。ほとんどの人は好きでもないことをしています。

べつに好きでもないことをすることが問題であるわけではありません(と神田橋さんは述べています)。問題なのは、好きでもないことをしているのに、それが“好きでない”とちゃんと自覚していない場合です。頭の中で無意識のうちに“やらなくちゃ”“仕方ない”という思考が渦巻いているのですが、「自分はこれが好きじゃないんだ」とはっきり意識していないのです。

その“好きでもない”ことは、その人の個性・才能に合ったことではありません。またその人にとって“好きなこと”“気持ちいいこと”はその人の個性・才能を表わしていると言えるでしょう。

私たちの多くは、自分が何が“気持ちいい”かを感じるよりも、しなくてはいけないことに追いまくられた生活をしています。その“しなくちゃ”いけないことをしているうちに、何が自分にとって“気持ちいい”かを忘れてしまいます。

よく「自分探し」というのがブームになり、また「自分探し」を批判することもブームになっていますが、この自分探しが上手く行かない場合とは、自分にとって“気持ちいい”という感覚を重視せずに、「何が人から尊敬されるか」「どういうことが自分を“高める”か」「どうすれば世界の役に立てるか」といった観念が先走る場合なのではないかと思います。

神田橋さんの言う“気持ちいい”とは、そういった観念ではなく、単純に“気持ちいい”と感じることです。チョコレートを食べたり、スキーをしたり、映画を見たり、といったことです。そうした気持ちいいことを、「これは確かに自分にとって気持ちいいんだ」と感じることで、“自分”というものの感覚を取り戻すことができるのです。

こころの悩みというのは往々にして、“自分”というものを見失い、世の中の規範からの逸脱や、他人からの批判を吸い込んで罪悪感をもったりしている場合におきます。しかしそういうときに、「自分は自分なんだ。他人とは違う自分なんだ」と分かることで、気分がよくなるということは多いのではないかと思います。

またこの“気持ちいい”は、ケーキを食べるとか、ショッピングをする、テレビを見るといった受動的な楽しみに限りません。将棋をする、ギターを弾く、本を読む、山登り、陶芸といった能動的な活動も含まれます。そういった能動的な活動の場合には、この“気持ちいい”は、単純なものではなく、一つ一つ難関をクリアすることで対象(山登り、スカイダイビング、チェス、数学etc...)に対する認識が深まることを意味します。これは、私がよく取り上げるチクセントミハイの“フロー体験”と同じものです。

こういった自分の脳や身体の調子がよくなる活動をすることで、私たちは“自己”というものを取り戻し、“こころ”の調子をよくすることができます。


この神田橋さんの本が薦める「“気持ちいい”ことを探す」というのは、bestではなくbetterなものを志向することと言えるのではないかと思います。

従来の心理学・心理療法では、どうすれば悩みを解決できるかということを考えてきました。これは、合理的に病を取り除くという外科的な発想を“こころ”に応用したものと言えます。

それにより私たちは“こころ”に着目し、完璧にきれいな“こころ”を取り戻そうといろいろ心理分析をします。そこでは、神田橋さんが言う“気持ちいい”を忘れ、完璧なこころを知識の合理性で手に入れようとする操作主義・道具主義的な態度が全面に出てきます。

神田橋さんは、“こころ”を見る際には、そうした道具主義的な態度を手放し、まず自然に自分が気持ちいいことをしなさいと述べます。それで悩みが“解決”するかどうかは分かりません。しかし悩みは解決しなくても、私たちは気持ちいいことをすることで、気持ちよくなり、自分という存在をより楽しむ状況になっていくのではないかと思います。


この本では、この“気持ちいい”という身体的感覚を基点に、精神科のクスリの選び方、からだのエクササイズの仕方など、実践的な方法がいろいろと述べられています。東洋医学の観点から“こころ”の状態を見る際のいいガイドになるかもしれません。


涼風

参考:

   『楽しみの社会学』

   自己と“流れ” 『フロー体験 喜びの現象学』


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