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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『天才の精神病理―科学的創造の秘密』 

2005年12月02日 | Book
『天才の精神病理―科学的創造の秘密』(飯田真/中井久夫 著)という本を読みました。図書館にある古ぼけた本を読んだのですけど、この本は文庫で出ているんですね。アマゾンのレビューも高評価です。

ニュートン、ダーウィン、フロイト、ヴィトゲンシュタイン、ボーア、ウィーナーといった科学史上の偉人達を精神科医の立場から診断して、彼らの性格の特徴とその生み出した科学との密接な結びつきを描いています。

例えばニュートンのように気位が異常に高く他人の批判に過度に敏感な人は、内に篭もり延々と自分の内面の中で世界の秩序を総合的に体系付ける学問を生み出します。その体系の特徴は世の中の動きにまったく影響されないこと。そうした時代から超然と離れて永遠の真理の体系を描きます。ニュートンが物理から聖書の暗号解読という分野に移ったのも、根本的な動機が永遠不変の真理を見つけ出すというものだからです。そうした傾向のゆえに、彼は他人からの批判には神経質で、他人は自分を貶めようとする敵だと見なす病にとらわれます(ロックに絶縁状をたたきつけたり)。

このニュートンと近い立場にあるのが例えばヴィトゲンシュタイン。彼は哲学の問題を解く代わりに「哲学」を論じる言葉とはそもそも何かを問い、言葉によって何かを定義づけることはそもそも不可能であることを論証し(それもなぜか言葉でなされるのだけど)、言葉で世界の真理を見つけ出そうとする哲学の矛盾を暴きだします。哲学者の試みの不可能性を論証し、なぜかその論証を同じ言葉によって行う自分の試みだけは特別に許されるものと位置づけ、ヴィトゲンシュタインは幸せで孤独な哲学の人生を送ります。

生涯の多くの時間に彼は独りで過ごし、あるいは周りの哲学者には「哲学を行う者は愚劣だ」と感情的な権威主義的態度で攻撃し、弟子達には哲学をやめさせ、しかし自分は哲学を追求し続けました。

自分と異なる意見の存在を許さず、自分の内面で完璧な言葉の世界をつくり、その中で幸せな人生をヴィトゲンシュタインは送ります。

ニュートンとヴィトゲンシュタインに共通するのは実生活の中での完璧に超然とした態度であり、その裏腹である自分と異なる意見に対する非寛容であり、他人の批判に対する異常に過敏な神経質さでした。

ただ凡人であれば、そうした他人の批判に神経質になるあまり自分の世界に篭もり、独りよがりな内面の世界を作り、そこに安住しますが、他人から見れば彼が内面で作ったもの(学問であれ芸術であれ)はお笑い種にしかならない水準のものです。内にこもることは自分への批判的視点を失わせ、水準以下のものしか作れないのです。

それに対して天才の異なるのは、そうして内にこもることで自らの超然とした資質に合った完璧な真理の体系を打ち立ててしまうところです。そのような永遠普遍の真理の体系(が存在するという信念)への志向と彼らの唯我独尊なせ精神的特長とは密接に結びついています。

ここに私たちは、どのような科学も、それを生み出した人間の特徴と切り離して論じることはできないことを学びます。

ヴィトゲンシュタインやニュートンと異なり、例えばダーウィンやフロイト、ボーアなどは現実生活への適応の努力(と挫折)を繰り返し続けました。

彼らに共通するのはつねに自らの庇護者を求めようとする欲求であり、そうした現実と自分の折り合いをつけようとする努力が、その科学的創造と現実的有用性との結びつきを可能にします。ダーウィンの種の理論やフロイトの精神分析はもちろんのこと、ボーアの物理学は超然とした体系を作ろうとしたアインシュタインと極めて対象をなすものだったそうです(私は物理はまったく知りません)。

フロイトがつねに周りの人間と親密になっては仲違いしたという話は有名ですね。これをこの本では、フロイトの庇護者を求める欲求から説明します。年長者であれ、弟子であれ、彼はつねに自分の周りのものに大きな期待をかけ、逆にその期待が裏切られると一変して敵対的態度を取ります。ユングとの決裂は有名ですが、書簡を見ると、それはささいな言葉の揚げ足取り(それも精神分析特有の「言い間違い」=言い間違いは本当の意図を表しているというもの)によって相手が自分を嫌っていると思い込んだりすることから表面化していきます。


この本を読むと、フロイトやダーウィンは、その人間性はとても普通の人だったのだなぁと思わされます。ニュートンやヴィトゲンシュタインがその変人ぶりで有名であり、それゆえ現実に左右されない理論体系を打ち立てたのに対し、フロイトやダーウィンはつねに自らの人生に揺り動かされ、その体系も変遷していきます。

ニュートンなどが現実から隔絶しながらも世人に認められる業績を上げたところに非凡さがあったのに対し、フロイトなどの特徴は現実生活によって大きな心痛を抱えながらも、というよりそれゆえか、現実に適応した理論を作ろうとしました。

そのような現実への適応が、精神分析や種の理論という、根本的な科学的前提自体はつねに批判されながら、その現実の叙述自体は今なお参照される著作を生み出したのでしょうか。

今マスコミで活躍する精神科医は多いですが、彼らの心理学的説明に対する嫌悪感もそれに比例して多くの人がもっているのではと思います。

この著書は偉人の「客観的な」科学的業績がその生い立ちや性格類型と切り離せないことを示したものですが、その分析は正確さへの志向と抑制の意志で彩られており、ヘンに大袈裟な分析をせずに心理学で指摘できる範囲に自らを限定しています。科学は好きだが心理学という似非学問は嫌いだという人でも、抵抗感なく読めるのではないかと思います。


涼風


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4 Comments

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Unknown (Unknown)
2006-06-05 22:04:32
精神病についてレポートを書いている者ですが

参考になりました。ありがとうございます。

かの偉人の中に精神病と言われる人がいたなんて。

どこか「変」ゆえに天才なのか・・・

天才ゆえにどこか「変」なのか・・・
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Unknown (涼風)
2006-06-06 11:35:16
こんにちは!コメント、有難うございます。



この本に興味をもたれたのなら、一度手に取ってみてもいいのではないかと思います。



天才だからこそ、普通の人には見えないものが見えることはありそうですね。



ただ、その普通の人に見えないものを見たことに狂喜して常識的な判断力を失ってしまうところに「天才」たちの人間的な弱さがあるようにも思います。
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こんにちは (ゴースト)
2008-02-22 11:26:54
やはり彼等はギフテッドだったのでしょうか?
読めるとき読んでみたいと思います。

有難う御座いました。
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ありがとうございます。 (涼風)
2008-02-23 00:44:29
ゴーストさん、こんにちは。

コメントありがとうございます。

この本はそれぞれの科学者の考えにかんする詳しい説明はありませんが、天才たちに対する心理的洞察は十分興味深いです。

ヴィトゲンシュタインに対する説明は、そのまま中井さんの分裂気質に関する著書の説明と重なっていると思うので、中井さんのほかの著書も読まれるとさらに面白いですよ。



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