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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『母が教えてくれなかったゲーム』 ベティ・L. ハラガン (著)

2006年04月28日 | Book
以前、ムギ(勝間和代)さんの『インディでいこう!』という本を紹介しました。それは女性がビジネス社会で生きていく中で、気をつけていくべきことをコンパクトにまとめている本ですが、その中で証券アナリストの著者が参考にした本として『母が教えてくれなかったゲーム』(ベティ・L. ハラガン 著)という本を挙げていました。

『インディでいこう!』でも、会社の中で女性が男性とディスコミュニケーションに陥ることで昇格していくチャンスを失っていく危険が指摘されていましたけど、この『母が教えてくれなかったゲーム』は、“会社”という組織の中でなぜ女性が概して出世できないのか?どうすれば今からでも出世できるのかをこと細かに説明した本です。

女性が出世する秘訣を述べているのですが、当然それは男性にも当てはまります。ただ、ハラガンの観察では、男性は企業という男性文化の中で意識せずにその秘訣を身につけるのに対し、女性はそれまで育った環境の違いや企業での女性排除の風潮の中で、出世するノウハウを身につけることができず、さらに問題なのは女性自身が「なぜ女性は出世できないのか?」という問題の原因をちゃんと認識できていないことにあります。

ハラガンによれば、多くの女性は、出世できないのは自分の能力に問題があるからだと考えるのですが、実際は能力以前に、出世ゲームのルールについて女性が無知であることに由来すると著者は指摘します。

かなり具体的に細かいことを書いていて、実際に企業で働いたことのない私には、興味深い点もあり、しかし同時に読んでいて途中から退屈もしてきました。しかしそれは私が男でありかつ働いていないので、著者の問題を切実に共有していないことに由来するのであって、この本自体はワーキング・ウーマンにとってかなり面白い本なのではと思います。

また、最近はキャリア教育が盛んで、しかし実際どういうことを教えているか私は知りませんが、新人社員やこれから働こうとする学生の方たちが読んでも、かなり面白いのではないかと思います。

実に細かいことが多く述べられていますが、その中で著者が比較的強調するのは、

“企業”という組織体における男性優位の文化

企業は女性に対して巧妙に補助的な役割のみを与える

ということだと思います。


“企業”という組織体における男性優位の文化

“企業”という組織体には未だに男性優位の文化があります。おそらくその観念は純粋に経済領域だけを分析してもわからないでしょう。それは、経済だけではなく、経済も含めて、“闘う”という文化を男性社会がもち、男性は子供の頃からその闘いの文化で生きていることです。

女性の競争意識が比較的抑圧がちになり、そのため陰湿さを帯びやすいのに対し、男性は子供の頃から闘争意識を全面に押し出します。遊び仲間の間で男の子は一種のギャング集団を形成し、多くの子は殴る蹴るという行為を互いに行います。

またその中で強い者と弱い者との間の序列を男の子は学びます。

この序列意識は強烈で、多くの男性は子供の頃に、その闘争の中で挫折・屈辱を覚えます。

それは幼児の頃の遊び集団でも見られるし、リトルリーグ、中学校での部活、学校での不良グループとの関わりなどで、多くの男の子は闘いと暴力を直接的に経験します。

そうしたつねに闘う環境にいる中で、男の子は、グループ内での序列の中で、自分を守るために、自分をどう抑制し、自己表現すべきタイミングを学びます。著者のハラガンは、多くの男性は子供の頃からのこうした経験で、挫折を経験していると述べます。

日本人のわたしたちから見れば欧米の人間は自己主張が強いように感じるし、著者もそう感じると述べますが、にもかかわらず実際はアメリカの男性はグループ内で自分を抑制することを学んでいると述べます。

これは、男性は挫折を通じて闘わなくなるという意味ではもちろんなく、闘う時はより巧妙に立ち回らなければならないことを男性は知っているという意味です。

強い者が弱いものを支配するヒエラルヒーの中で、どうすれば男性は自分を守ることができるか本能的に知っているということです。

それに対し、こういう“闘い”と“闘う組織”の文化について女性は無知だそうです。子供の頃から闘う経験をもたない女性は、まるでルールをも知らずフィールドに投げ出された新人選手のように、ナイーブに自分のやりたいことをやろうとし、闘争の姿勢を全面に出してしまうことがあること。

こうしたナイーブさにより、女性は、“戦う組織・文化”の中では男達が闘いの本能を押し隠し巧妙に振舞っていることに気づかず、周りに容易に敵を作ってしまうこと。例えば、上司の上司に直接話して自分の上司のプライドを傷つけてしまうことなど。

“自立する女性”というと、イメージ的に男性以上に余裕がなく闘争意識全面で働く女性という感じがあるけれど、それもこうした事情に由来しているのかもしれません。多くの女性は子供の頃に露骨闘ってきた経験がないため、大人になって急に闘おうとし、あからさまなファイティングポーズを取ってしまいがちなのかもしれません。それで余計に周りから陰口を叩かれたりすることもあるかもしれません。

企業は女性に対して巧妙に補助的な役割のみを与える

ハラガンが強調することは、このように闘うことに慣れていない女性は、男性にとってエイリアンであり、“闘いの文化”にそぐわない異質者であり、本来はそこにいてはならない人たちです。

にもかかわらず男女雇用均等法がある中で女性も雇っていくためにどうすればいいか。そこで考え出されたのが、名前は“マネージャー”など管理職的な肩書きを与えながら、組織の主要業務から外していくこと。より専門的な職種(ストア・マネージャー、秘書)などに押し込めること。

何が主要な業務かは組織によって違うでしょうが、例えば多くの企業では生産と販売で計画・アイデア・指示を立案していく部署が中枢なのでしょう。

そうした中枢は、上まで続く階段の過程にあり、それに対し階段から枝葉にある部門があります。中枢とは収益を上げる計画を練る場所であり、枝葉とはその計画を練る人たちをサポートする場所です。女性は、管理職的な肩書きを与えられながら、この枝葉の部門に押し込められていきます。

この中枢と枝葉が、自分の会社ではどの部門に当るのか、それをちゃんと見極めて行動することを著者は説きます。


他にも、服装で気をつけるべき点、協力者を作る方法、転職をキャリアアップにする作戦、などなどこの本では実に具体的なことが色々と述べられています。

ただその中でも強調されていることは、上に上げたように、

・企業の中で中心的な、つまり出世につながる部門は何なのか?

を考えて、

・男性は女性を中心的な部門からどのようにして(巧妙に)外そうとしていているのか?

ということを絶えず知っておくべきだということです。

女性が出世できないのは、能力がないからではなく、こうした企業の暗黙のルールを知らないからです。


この本を読んでいると、私はだんだん憂鬱になってきました。

それは著者が、働くという問題を、とにかく企業の中で出世することというのみにフォーカスしているので、息がつまりそうになるからです。

これは著者への論難ではなく、著者が既存の企業文化を正確に描写しているからです。この現状の中で、女性というハンディを背負った存在がサバイバルしていくための方法を100パーセント性格に描き出しているからこそ、読んでいて憂鬱になるのです。

能力があり、20世紀的な軍隊組織のマネジメントに順応できる女性にとっては、そしてそのような男性にとっても、この本を読んでいてためになる本に違いありません。

また実態としてこの軍隊組織で女性が不遇だった以上、それを克服する処方箋を、多くの女性はサバイバルするために、生きていくために切実に求めていたし、今も求めているに違いありません。

ただ、この前時代的なマネジメントに勝ち残ることだけを目標とするなら、それはバリバリのキャリアウーマンにとっては薔薇色の世界になっても、そうした軍隊組織に馴染めない人たち(男と女に関わらず)には、相変わらずビジネス社会はそれに馴染めないものを排除していくことになります。

そうすると、この本はエリートサラリーマンやキャリアウーマンの垣根を低くすることはできても、軍隊組織に馴染めるものと馴染めない者との垣根は残したままになります。

そこには、「女性差別」は消えても、経済力による差別は残ったままになります。

そこが、こういう本を読んで僕が憂鬱になる原因です。



参考:「読書は人生を変える???」『日々の生活から起きていることを観察しよう!! by ムギ』 この記事で紹介されている『ビジネスゲーム(会社の掟)』と『母が教えてくれなかったゲーム』は、著者も訳者も出版社も同じなので、同じ書籍を違う題名と装丁で出したものかもしれません。


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2 Comments

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Unknown (pinkghost)
2006-06-06 15:21:25
ハラガンさんの著書のタイトル「母が教えてくれなかったゲーム」についてですが、これって「教えてくれなかった」というよりも、企業社会特有の組織内での競争意識やバランス感覚、Politicsの存在とかを教えようにもよくわからなくて教えることができなかった、っていうのが実情じゃないですかね?

実際に自分が体験していないものを、子供にわかりやすく説明しようがないですから。



ただ疑問なのは女の子には男の子にあるような競争や序列というものがないのでしょうか? 彼女たちにも学歴や容姿、能力などによる上下関係はあってもいいはずで、自らの位置づけを理解したうえで最適の行動をとるという修正を身につけていてもおかしくないと思いましたが。

Unknown (涼風)
2006-06-06 20:36:16
こんにちは。コメント、ありがとうございます。



文章からpinkghostさんは男の方だと思ったのですが…



女の子にも男の子の間にある「競争や序列」があるのではないかというご指摘は、私もこの本の感想を書いていてふっと思いました。



例えば部活動にしても沢山の女の子が参加しているし、そこでは先輩による後輩へのシゴキというの日常茶飯事ですよね。



先日「Junk Sports」に出ていた柔道の古賀利彦さんが、「女子の柔道の世界はマフィアと同じで先輩が絶対的な権力を握っている」とも言っていました。



ただ、この本の著者にしても、またこの本を著書で紹介されていた女性にしても、どこかで女の子の育った環境と男の子の環境の違いが、企業の出世ゲームのルールの習得に影響を及ぼすと感じているのも事実なのだと思います。



だとすれば、その違いが何なのかというのは、企業で働いている女性にもっと詳しく尋ねてみないと分からないのかもしれないです。



僕の経験では、男の子は幼稚園や小学校の時から暴力と支配の世界で生きていました(今の子はもっとおとなしいかもしれませんが)。それに比べれば、やはり女の子は小さい頃は(少なくとも表面上は)「仲良し」な世界を作っているように見えました。



でも部活動や受験競争で戦うことを彼女達も学んでいるわけで、競争と序列の文化に関して、何が男と女性の違いを決定的に区別しているのか、もうちょっと吟味する必要があるように思います。



ご指摘、ありがとうございました。

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