生長の家創始者 谷 口 雅 春 大聖師
たしかに現象人間には、色々の欠点もあるものだ。 弱点をもっている人も多いし、失敗もあるであろう。 それをお互いに助け合い、補い合って行くのが組織活動の本質である。
間違った因果関係を念頭において、成功したためしはないのである。 ことに人事問題に関してはそうである。
先入見をすてよう。 小さな個人的利害にひっかかって、全体的「聖使命」を忘却してはならないのである。 吾々は個我をのさばらせて、自我の見解に執していてはならない。
自分と他人とが意見の対立を生じたとき、自分が「正しい」と思うのは誰しもである。 その反対であれば、最初から議論にならないからである。 しかし、いくら自分が「正しい」と思っていても亦「正しい」と思っていることを考えるならば、お互いに相手を「わからずや」だと考えるだけでは、不十分である。
「相手がわからずやである」という一つの「因」から「対立意見」が出る場合もあるのであろう。 しかし「対立意見」は「相手がわからずやである」というたった一つの「因」からのみ生ずるのではないのである。
もう一つの「因」は「自分がわからずやである」という場合である。
さらにもう一つの因は「両方ともわからずやであった」という場合である。
さらにもう一つの「因」として、双方とも言っていることは正しくても、対立見解を生ずる場合もありうる場合を知らなければならないのである。
『聖使命』新聞 昭和44年年6月11日号 より
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