山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

只管、2,000段を目指す

2016-07-05 03:42:02 | 宵宵妄話

 「只管」と書いて「ひたすら」と読みます。最初はこの字の読みと意味が解らなかったのですが、<只>が<それだけ>という意味を持ち、<管>が<貫く>という意味があるのを知ると、只管の意味がよく解るようになり、この字を用いるのに戸惑いが無くなり、むしろ誇りを感じるようになりました。今回の「只管、2,000段を目指す」というタイトルは、現在絶不調の私の状況を打破するための、毎日の取り組みを表わしています。

 5月の初めのブログに、石段の昇降について書きましたが、その後旅に出たため、取り組みが半端になり、旅から戻った6月は、両手足にウエイトを掛けての歩きは続けたものの、石段の昇降は見送り、毎朝平地を10kmほど歩くに止めました。7月になり、いよいよ石段の昇降に再チャレンジを開始しました。今回は少しハードルを上げ、毎朝2,000段の昇降を敢行することにしました。今日で4日目となり、今朝それを果たしてきたところですが、感じていることについて述べたいと思います。

 朝4時20分に車で家を出て、10分ほどで石段のある常総市の巣立山公園に着きます。履いてきた登山靴(短靴)の両足首に1kgのウエイトベルトを装着し、両手に各1kgのウエイトを持って歩きを開始します。しかし、直ぐに石段の昇降を開始はせずに、足慣らしに築山の脇にある300mほどのサブグランドの円周路を2回ほど足の状態を確認しながらゆっくりと歩きます。足首も、太ももの付け根も、その他の身体部分も異常の無いのを確かめてから、石段の昇降を開始します。最初は西側の69段を、足元を確認しながら上り、頂上に着いたら今度は反対の東側の石段を下ります。下りたら最初は左旋回で、麓の道をほんの少し歩いて今度は北側の石段を上ります。これは86段あります。頂上に着いたら反対側の南の石段を下り、麓を左旋回して今度は東側の89段の石段を上ります。頂上に着いたら先ほど上った西側の石段を下り、麓を左旋回して今度は南側の石段76段を上ります。頂上に着いたらそのまま反対の北側の石段を下り、麓から左旋回して最初の西側の石段に戻り、2回目の上りを開始します。これを6回繰り返すと、上りの合計段数は1,920段となります。これではまだ2,000段には達していませんので、最後にもう一度東側の石段の89段を上って、これで今日の目標達成です。その後はゆっくり北側の階段を下って麓に降りて、最初にウオーミングアップで歩いたサブグランドを5周ほどして、今日の鍛錬歩行を終わりにします。その後は車で家に戻り、シャワーを浴びて汗を拭うということになります。 

 4日間同じことを繰り返しているのですが、これがなかなかに面白い。石段を上るときは両腕でリズムをとりながら、呼吸に合わせて歩を進めます。時々そのリズムを変えたりしますが、基本は「1・2・3・4、 5・6・7・8」が」一区切りです。このワンセットを何回か繰り返す内に頂上に着きます。人間にはどんな時もある種のリズムの様なものが必要な気がします。集中して何かを行おうとする時は、呼吸とリズムには調和が必要で、それは意識する・しないに拘わらず自然ともたらされるもののようで、いわば心と身体の調和につながっているような気がします。この調和が保たれていると、心も身体もエネルギーの消費効率がベストとなるらしく、あまり疲れを感じなくなります。特にハードなことにチャレンジするときは、この心と身体の調和が大事だなと思います。 絶不調というのは、普段の暮らしの中で、心と身体の調和が乱れに乱れている状態なのかもしれません。石段を上り下りしながら、改めてそのようなことに気づかされました。

 1回目の320段を上り下りして、2回目に入ると汗が出て来ます。出るというのは滲むというレベルではなく、流れるという状態を指します。先ずは両腕の肘の内側からの汗が球の粒となって石段に落ちます。その後は滲んだ汗が眉を乗り越えて下に落ちてゆきます。タオルは持参しますが、滅多に拭うことはせずに、汗が下に落ちるのを楽しみます。「ああ、俺は今生きて汗をかいているのだ」という実感を覚えるのです。暑いと汗が出るのは当たり前ですが、己自身が身体を動かして出てくる汗は、又格別なもので、決して忌避するようなものではなく、何だか生きている証のように思えるのです。そのようなことを想いながらリズムをとって歩き続けていると、2回目、3回目、4回目が終わり5回目に入ります。

既に1,200段を上り下りして、心拍数も多くなって来ており、呼吸も乱れがちとなり出します。ここからが迷いが生じる時なのです。どんな迷いかといえば、<何もそれほど無理してこんなバカなことをしなくても、もう相当に厳しいのだから、今日は5回目を終えたら終わりにしてもいいんじゃないか>、という奴です。人生でいえば、老人世代論の順老(65~75歳)辺りの心境でしょうか。妥協が上手になってくる世代です。楽をすることに馴れてくる、或いは楽をするのは当たり前と思いこむ世代といえるかもしれません。自分は既に真老(75~85歳)世代なので、本来ならばこのようなバカなことはしないはずなのですが、糖尿病とうまく付き合い、PPK(ピン・ピン・コロリ)の死計を実現させるためには、老計の中にこのチャレンジが不可欠と考えていますので、取り敢えず楽に浸る時間はもっと後で良いと考えているのです。

この迷いは、オーバーに言えば人生の試練だと考えることにしています。その昔の子どもの頃に、「人と同じことをしていては、人の上に立つことはできないのだよ」と亡き母に言われたのを思い出します。特に人の上に立ちたいとは思いませんが、人(=自分以外の人)以上に、己に自信を持つ生き方はしたいと、この母のことばを受けとめて生きて来たつもりなので、これは試練なのだという場に出くわしたときは、後ろには引かないことに決めているのです。この石段昇降の5回目辺りにやってくる迷いという奴も、試練に違いありません。ここから先はまさに自分との勝負なのです。そのようなことに捉われながら5回目を終えると、今度は急に気持が楽になるのが不思議です。あと一回とほんの少しだと思うと、もはや止めて楽することなど論外の心境がやってくるのです。着実に歩を進めるだけなのです。

かくて2,000段の目標は達成され、全身汗みずくになって鍛錬が終わるのですが、帰宅後の汗を流し終えた爽快感は、これぞまさに極楽、極楽です。

さて、間もなく4時近くとなります。今日は5回目のチャレンジですが、只管の昇降の汗の中にどんな苦楽と迷いが待っているやら。楽しみです。

コメント
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