エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

ゼロ

2008-03-25 | ちょっと考えた事

「コカ・コーラゼロ」という商品があります。
エネルギーが0キロカロリーなのはもちろん、タンパク質・糖質・炭水化物も0グラム、糖類も0。
と、別に説明しなくても既にご存じかとは思いますが。

このコカ・コーラゼロに限らず、ペプシコーラにしろ、他の飲料にしろ、ゼロを謳っている食品は多数あると思います。
特にコカ・コーラについてあれこれ言いたかったのでは無くて、コカ・コーラは具体的な例として挙げたのですが、この「~ゼロ」という商品を目にすると

「それじゃ、いくら食べても(飲んでも)大丈夫なんだろうな?(太らないんだろうな?とか、血糖値上がらないんだろうな?とか健康を壊さないんだろうな?とか言う意味で)」

と言う人が必ずいます。
俺の周囲にもいました。

でも、なんで「ゼロ」となった途端に、こんな喧嘩腰でこんな事言うんだろうなあ・・と考えました。
というか、コカ・コーラゼロに限らずとも、どんな物だって食べ過ぎ、飲み過ぎは体に毒。薬だってそうだし、水だって限度を超えて飲み過ぎれば下手したら死ぬかもしれませんね。
だから、ゼロかどうかに限らずに、どんなものだって限度を超えちゃダメであって、それは多分「大丈夫なんだろうな?」と言った本人でも分かっている筈なのに、何故か「ゼロ」を目にすると、そんなことを口走ってしまう。

この「0(ゼロ)」という数字って、そういう特別な部分がありますよね。
何故だろうと思ってみたら、ゼロって「=絶対」に近い部分があるんじゃないかなあと、個人的に感じました。
ゼロってそれ以外に無いんですから、全くの無。1でも2でも有限であれば、1が1.1だったりしても誤差の範囲内とかいう感覚があるけど、ゼロって僅かな誤差も無い、全くの無というイメージがありますから、その感覚って「絶対」というものに近い気がするんです。
で、日本人って、曖昧にしたがるというか、ぼかしたがるというか、最初から誤差を含みたがる人が多いと思うし、そういう文化ですし、なるべくなら「絶対」を避けたい場合が多いと思います。
多分そこら辺の感覚と「ゼロ」が衝突して「じゃあ、いくら飲んでも~」なんて事になってるのかなあ?と考えました。

ともかく、ゼロであろうがなかろが、どんな物でも度を超えた飲み過ぎは体に良くないと言うことです。

というか、「よし、本当にゼロなんだろうな?飲んでも大丈夫なんだろうな?」という人は、もし「うん、大丈夫だよ」と、お墨付きをもらったとしたなら「よっしゃ、じゃあ飲んでやろうじゃないか」ってことで、実際に飲むのだろうか?あり得ないほどの量を。
「大丈夫」だと言われても、そんなに飲まないだろうとは思うんですけどね。