エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

果たして、同じ場面の別な当事者の立場になったとしても、同じ発言が出来るか?

2008-02-20 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

追突事故「車っちゅうのはぶつけるもんや」 強い態度で亀田大の指導を(産経新聞) - goo ニュース

リンク記事の通り、亀田大毅選手が自身の起こした物損交通事故で「車はぶつけるもん」発言をして、それが問題になっているらしい。
倖田某の「羊水腐る」発言やら、鳩山法相の「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではない」発言など、最近著名人の失言問題というものをよく耳に(目に?)するような気がする。
これに関しては「失言へのバッシングも酷い」というように、「失言へのバッシング」へのバッシングなども、各種の掲示板等で行われているようである。

今回この亀田大毅選手の失言問題を取り上げたのは、別に俺もそれに非難を浴びせたりバッシングをしたいというのが主な目的ではく、別に思うところがあったからである。

それは何かというと

自分が同じ場面の、別な当事者の立場でも、同じ事が言えたか?

と言うことです。

亀田大毅選手の例で言えば、亀田大毅選手が、自分が「ぶつけた側」じゃなくて、「ぶつけられた側」だった場合に「車っちゅうのはぶつけるもんや」と、果たして言ったであろうか?ということ。
(ちなみに、交通事故は少なからず当事者双方に過失があるのが一般的であるから、通常は双方ともに「ぶつけた側」でもあり、「ぶつけられた側」でもあるんだけど、今回は追突事故との事なので、亀田大毅選手は「ぶつけた側」である)
俺の勝手な想像だけど、亀田大毅選手のこれまでの性格を考えると、彼が自分が追突されてたら・・・・。

ただね、実際それはどうなるかは分からないけど、こういう言葉っていうのは、「やらかした側」が言っても全然格好良くないし、やっぱり印象悪いと思う。
で、逆に「やられた側」の立場の時に、こういう事を平気で言える人は凄いと思う。
亀田大毅選手が今回もしも、追突した側でなくて、追突された側だったら同じセリフを吐いても「おお、たいした奴だなあ」と思ったところだけどね。
今回の亀田大毅選手に限らず、倖田某も自分自身が35歳以下という立場からあんな発言してる部分が、やっぱり必要以上に反感を買った部分も大きいんじゃないかとも思う。

果たして発言の対象として「自分もそれに含まれる立場である時」または「自分自身がその対象である立場」という時に、その場でその言葉を言えるのか?
そこの所を考えて発言すれば、失言が逆に名言になるかもしれない。
発言をするときには、その時の立場が重要で、
「果たして自分が同じ場面の別な当事者になったとしても、同じ発言が出来るか?」
で、別な立場の時には言えないような事だったらならば、最初からその発言はすべきでは無いなあ、と。
これこそが、今回のニュースを受けて、俺が感じたことでした。

俺は、「別な立場でも同じ主張をする!」という事を発言していきたいと思ってます。
ちなみに、自分のこのブログ内「バレンタインデーは楽しく」という記事から、自分で引用

「これは、たまたまシステムが「女性→男性」で、俺が男という立場だから、なんか俺がこういうと嫌らしく聞こえるかもしれないけど、逆に例え日本のバレンタインデーが「男性から女性に思いを伝える日」というシステムで成り立ってたとしても、俺は全く同じ主張をします。する、必ず。(笑)」

ほっ、良かった。過去の自分がこういう発言してくれてて(笑)