エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

無駄と贅沢

2008-02-05 | ちょっと考えた事

休みの日、思う存分に惰眠を貪り、目が覚めてみると昼だったり既に午後だったりすると「損した~」と激しく後悔することがあります。

でも最近、「無駄に使える時間ほど贅沢だ。」と思う事もあって、眠りたいだけ眠り、ただゴロゴロ~っと、本当に「無駄」と思える時間を、無駄と知りつつあえて無駄に使う。
すると「なんか、今、俺、凄い贅沢な時間の使い方してるんじゃないか?」なんて思ったりすることがあるわけです。

考えてみたら、そもそも贅沢っていうのは「無駄に使う」という側面が少なからず伴う行為で、確かに物事すべて余分な部分を取り除いて、常に必要最小限度という生活に「贅沢」という言葉は入り込む余地は無いように思われます。
一般に「贅沢」と言って思い付く事はなんだろうと考えてみると、ブランド物の高いバックだとか、高い高級料理だとか、高い車だとかetc・・・
要するにもっと安いもので代用できる所を、敢えて高い物を用いることだったり、数限りあるものを後先考えず浪費してみたり、結局はそう言うこと。
宿泊するにも、雨風を凌いで一泊するという目的達成の為だけだったら、ビジネスホテルで十分だし、列車で移動するにも目的地に到着したいという目的達成の為だけだったらグリーン席は必要ない訳で・・・そこに出てくる贅沢というのは、「目的達成のために必要となる我慢を減らす事、その為に費用を掛ける」といった事なのだろう。

で、贅沢が必ずしも悪かというとそういう訳でもなくて、なにかしらの贅沢が生きる目標というか、生きる楽しみ、活力になっている部分もあるだろうし、「自分へのご褒美」なんて、ちょっとした贅沢をして、ちょっとした幸せを感じたりするのは、誰しもがやっていることなんじゃないかなと思います。

ちょっと話の矛先が逸れたので、元に戻るとして(笑)
無駄と贅沢というのは、そう言う意味では紙一重というか、どちらにもそれぞれの要素が含まれていて、本質的には一緒なものというか。
だから、「無駄にした」というのも「贅沢をした」というのも、実は気持ちの切り替え一つで+にも-にも受け止められたりする・・・かもしれない。と言うことです。
実際にお金が絡んだりしてくると、単純に「無駄じゃなくて贅沢だよ」とか言ってもられない状態になるかもしれないけど、今回は主として「空いた時間の使い方」について、「ああ、こんな事だったら○○したほうがナンボかマシだった~」とか後悔する前に「無駄~に時間を浪費するってのも、ある意味贅沢な事だよね~」と思うと、精神衛生上にもよろしいのではないかと。
それによって失った物と言えば、元々空いていた僅かな時間だけなんだから。

別に、たいして「考え方を変えたら物事がガラリと変わった」的な事じゃなくて、そういうのを狙ってるわけでもなくて、狙うほどの事でもなくて、単に部屋でウダウダやってる時に、ふと思い付いて「ちょっと記事にしてみようかな?」と思っていたことを書いてみました。
それだけ。