美作古城史Ⅱ 寺坂五夫著 記述 「同名の武人(吉川廣家)があって・・・」
について調べています。
上打穴 鳥越山城跡
『古城の覚え』『美作鬢鏡』『美作鏡』によると城主を「吉川一族」とする。
『作陽誌』では「昔、打穴肥後前司菅原家次居城」とされる。
について調べています。
上打穴 鳥越山城跡
『古城の覚え』『美作鬢鏡』『美作鏡』によると城主を「吉川一族」とする。
『作陽誌』では「昔、打穴肥後前司菅原家次居城」とされる。
建部町文化センターで開かれた「岡山歴史のまちしるべ」講演会に行ってきました。
「鶴田城跡について」
美作地域で最大級の規模
縄張り構造に古(南北朝期)新(室町中期)二つの時代相が存在
「中世の建部と神社」について
中世の地域のまとまり(荘(庄)園・郷)との関係に興味がありました。
鶴田城趾
「鶴田城跡について」
美作地域で最大級の規模
縄張り構造に古(南北朝期)新(室町中期)二つの時代相が存在
「中世の建部と神社」について
中世の地域のまとまり(荘(庄)園・郷)との関係に興味がありました。
鶴田城趾
前回UPしてからもう一カ月経ってしまいました。
車で久米南の辺りを走ると花梅が咲いています。
天神山城跡(打穴)の記事はその後,「美作古城史Ⅱ」にある別人の吉川広家がいたのか?。
それについて調べていたところ,この打穴の地が小早川氏の領地であったことがわかりました。
このことをきっかけにいろんなことが知りたくなり,気が付けば今日になってしまいました。
早く記事の続きをUPしたいと思っています。
車で久米南の辺りを走ると花梅が咲いています。
天神山城跡(打穴)の記事はその後,「美作古城史Ⅱ」にある別人の吉川広家がいたのか?。
それについて調べていたところ,この打穴の地が小早川氏の領地であったことがわかりました。
このことをきっかけにいろんなことが知りたくなり,気が付けば今日になってしまいました。
早く記事の続きをUPしたいと思っています。