歌猫Blog跡地

漫画「鋼の錬金術師」と荒川弘について語るブログ。更新終了しました。

キメラというモチーフ

2008年06月24日 | ◆真面目な考察・・・?
鋼の錬金術師において、人の命と動物の命は、明確に分けられている。

少女マンガなどでは、動物の命と人の命を同一視して、そこに切ない叙情性を描く物語もある。猫の命と、人の命を、同じに描く。
けれど、荒川弘にとって、猫の命と同じものは、牛や豚の命だ。決して人の命ではない。

まず、そうやって明確に分けられた価値観があって。

その上で、キメラという存在がある。
人と動物のキメラは、鋼においては「人間」だ。(逆に動物と動物のキメラは「怪物」だ。遠慮会釈なく殺していける)

鋼の錬金術師の中で、キメラは三度出てくる。
一度目は、ニーナ。
彼女は錬金術師の業の象徴。
二度目は、デビルズネストの仲間たち。ロア、マーテル、ドルチェット・・・。
彼ら彼女らは自分の意志に関係なく人生を決められた者達。
ニーナとは異なり、錬金術の業は映さない。作る側の何かではなく、作られてしまった側の、その後の生き様を描く。

けれど、一度目も二度目も、死によって終わる。

三度目は、キンブリーの手下。ザンパノ、ジェルソ、ダリウス、ハインケル。
彼らもまた、自分の意志にそれほど関係なく、人生を決められた。ロアやドルチェットのような人生の重さは(まだ)描かれない、ただの普通の男たち。

ニーナがもしも生きていたら。
「その後」のひとつの姿が、デビルズネスト達だ。
そしてまた、もしも彼らが生きていたら、「その後」がザンパノ達で描かれている。


キメラは、錬金術によって作られた。人生を勝手に決められ、しかしその状況に順応し生き続けることを選んだ。
キメラは、アルだ。
だからきっと、三度目のキメラたちは、元の身体を取り戻すだろう。アルと同じに。
ニーナによって投げられた問いのひとつは、ニーナとは似ても似つかぬ(笑)彼らによって、答えが示されるんだろう。

私は夢想する。ほんの小さなコマでいい。ジェルソが我が家に帰る場面を。そこで、扉を開けて「お父さん!」と叫ぶ小さな娘。その子が長い三つ編みだったらいいな、と。



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2 コメント

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私も三度目は幸せになってほしいと願っています。 (1819)
2008-06-27 13:41:55
こんにちは!歌猫様。
最初のキメラは存在を否定され(ニーナ母は自ら否定しましたが)、次は自己肯定してたのに生を奪われ、今のキメラ達は自らの運命を変えようとして行動しているというように、一個人ではありませんが、キメラという存在も進化していると思います。
荒川先生は、スカーも含め虐げられた者が立ち上がって自らを変え、運命を変える絵を見せようとしているのだと私は思っています。歌猫様のおっしゃるように今のキメラ達は幸せになるのでは?
彼らが幸せになることがニーナやデビルズネスト連中へのせめてもの鎮魂になると思います。
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コメントありがとうございます。 (歌猫)
2008-06-28 08:20:56
1819様こんにちは!
今のキメラ達の登場時、こんな役回りになるとは思ってもいなかったです。荒川先生の計算づくか、おっさん好きのノリとイキオイでこうなったのか(笑)どっちかしら? でもダリウスは最初っからエドの寒冷地用機械鎧換装の横に立ってるしウィンリィの泣き真似に騙されてるし、やっぱり計算づくか。すごいなあ。
虐げられた者が立ち上がって、というよりは、自分に価値が見出せなかった者が自分の足で立ち上がる様を、だと思います。丁度ロゼのように。
コメントありがとうございました!
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