ニーナは、不幸だった?
アルは言った。
「ニーナのような不幸な子を救う方法も見つかるかもしれないのに!!」
ニーナの回は、鋼の錬金術師の物語において、とてもとても重要だ。
けれど私はこれだけ鋼について語り散らしていながら、ニーナとタッカーについて、きちんと書いたことがない。
語りたい、と思って、2巻を開くたびに、その圧倒的な上手さ、迫力に、何も言えなくなってしまうから。
今回、「ユリイカ」のインタビューでもまた、インタビュアー藤本由香里さんがニーナの回を取り上げていて、それは鋼にかかわるインタビューでも紹介記事でも、ほとんどと言っていいほど触れられるから、定番といえば定番なんだけど。
そこで、藤本さんが
「ニーナが殴られるお父さんを見て、泣いたりしないで淡々と見ているところとか鳥肌物で、つくづくこれからの世界を生きる子どもたちにとって必要なマンガだなあと思いました」
とおっしゃっていたのが、気になった。
それで、藤本さんの一番最近の著作『愛情評論 「家族」をめぐる物語』を読んでみた。(とても面白かった!)
インタビューについての感想記事で、私は藤本さんについて「女性であることにある種の葛藤を」とか説明ちゃったけど、そんなちっちゃな表現じゃあ藤本さんに失礼だなあ!って思った。
この社会において女性であるということはどういうことか、を考えつづけることをライフワークになさっている方、っていう方が、ちょっとは正しい形容かも。
それで、たぶん、なんだけど。
藤本さんは、ニーナが「泣いたりしないで淡々と見ている」のは、虐待する親と、その子、という構図で、タッカーとニーナを捉えたからだ、と、思う。すごい自信無いけど。いやもう、全然自信無いんだけど・・・。
「愛情評論」で藤本さんが触れられてた「永遠の仔」とかの本を、私は勇気が無いから読めないんだけど(や、普段から本なぞぜんぜん読まないんだが;)、たぶん、そういうのと重ねて、タッカーとニーナを受け止めたんじゃないかな、って思った。だから「これからの世界を生きる~」っておっしゃったのかな、って。
それで。
私は、でもそれは違うんじゃ?って思った。
虐待、という前提なら、殴られる父親を、泣きもせず黙って見ている子、という構図は、なんていうか、背筋が寒くなるものがある。
でも、私は違うと思う。
ニーナは、4歳か5歳。
人は、自分が思ってもいないような激しい感情を目の当たりにすると、固まってしまう。
理解がついていかない。何を言われているのか、何が起こっているのか分からない。
それが幼児なら尚更。
幼児は、激しく怒られた時、泣かない。
叱咤が終わってから、ようやく泣く。泣くということを思い出す。
逆に、激しく楽しい時も、ぼーぜんとした間抜け顔になる(笑)。
ニーナは、ただ、理解ができなかっただけ。
仲良しのお兄ちゃんが、大好きなお父さんを殴るという事実に。
そして、その後だって理解できなかっただろう。なぜお父さんが殴られるのかということを。殴られているお父さんが、反撃も怒りもしなかったことを。
だって、ニーナは、自分が酷いことをされたとは思っていない。
犬とのキメラにされたことが、酷いことだと、知らない。
だって大好きなお父さんが、ニーナはアレキサンダーが好きかい?ずっとずっといっしょにいたい?それならよかった。何も怖いことなんか無いよ。そう言うから。
幼児にとって・・・たぶん、幼児でなくても。人生の大部分を占める人に(重要度であろうと、人数であろうと)、喜ばしいことだと勧められたら、自分もそれを喜ばしいことだと受け止めるでしょう?
そう。「倫理など時代や個人によって線引きが変わる」んだ。
そして時代、とは、私を取り巻く人々のこと。
ニーナは酷いことをされたとは思っていない。
なぜなら、タッカーが、それが酷いことだと、思っていないから。
世間一般から見れば、酷いことだと分かっている。功名心や金への欲望もある。「きれいことだけでやっていけるかよ」これは嫉妬。「完成品」をこれみよがしに連れ歩く最年少国家錬金術師への。
けれど本当の根っこのところでは、タッカーは、なぜ、人の命をもてあそぶことが悪いことなのか、わからない。
だから、娘と二人きりになって、つぶやく。
「何で誰もわかってくれないんだろうなぁ」「なあニーナ・・・」
なぜ、人の命をもてあそぶことが、悪いことなの?
私は、今の私は、はっきりと言える。それは悪いことだ!誰が何と言おうとどんな大義名分があろうと悪いことだ!!
けれど、この疑問をかかえたままの人は、たくさんいる。なぜ、人の命をもてあそぶことが、悪いことなの?なぜ、私の命を私の勝手にしてはいけないの?
だから。
むしろ、「これからの世界を生きる子どもたちにとって必要」なのは、このタッカーのつぶやきだと思う。
そして、その答えは示されずに終わる。
タッカーとニーナは殺される。
アルは言った。「ニーナのような不幸な子」
そして後にそれを否定する。「不自由である事と不幸である事はイコールじゃない」「哀れに思われるいわれは無いよ!」
ニーナは、可哀想ではなかった。
父に愛されていたから。
その父がどんな人物であろうと、極論として、タッカーがニーナを実験動物として愛していたのだとしても、その愛がニーナにとって本物なら、ニーナは幸せだった。
そして、犬とのキメラとなった後の、短い生の間でも、可哀想ではなかった。いっぱいの疑問と不安があっても、それは環境が変わったことへのとまどいなだけで。
タッカーが笑顔で大丈夫だよ、と言って頭をなでてくれたなら、すぐ消える程度の。
ニーナが不幸というならそれは、目の前で大好きなパパが殺されたこと、だと思う。
アルは言った。
「ニーナのような不幸な子を救う方法も見つかるかもしれないのに!!」
ニーナの回は、鋼の錬金術師の物語において、とてもとても重要だ。
けれど私はこれだけ鋼について語り散らしていながら、ニーナとタッカーについて、きちんと書いたことがない。
語りたい、と思って、2巻を開くたびに、その圧倒的な上手さ、迫力に、何も言えなくなってしまうから。
今回、「ユリイカ」のインタビューでもまた、インタビュアー藤本由香里さんがニーナの回を取り上げていて、それは鋼にかかわるインタビューでも紹介記事でも、ほとんどと言っていいほど触れられるから、定番といえば定番なんだけど。
そこで、藤本さんが
「ニーナが殴られるお父さんを見て、泣いたりしないで淡々と見ているところとか鳥肌物で、つくづくこれからの世界を生きる子どもたちにとって必要なマンガだなあと思いました」
とおっしゃっていたのが、気になった。
それで、藤本さんの一番最近の著作『愛情評論 「家族」をめぐる物語』を読んでみた。(とても面白かった!)
インタビューについての感想記事で、私は藤本さんについて「女性であることにある種の葛藤を」とか説明ちゃったけど、そんなちっちゃな表現じゃあ藤本さんに失礼だなあ!って思った。
この社会において女性であるということはどういうことか、を考えつづけることをライフワークになさっている方、っていう方が、ちょっとは正しい形容かも。
それで、たぶん、なんだけど。
藤本さんは、ニーナが「泣いたりしないで淡々と見ている」のは、虐待する親と、その子、という構図で、タッカーとニーナを捉えたからだ、と、思う。すごい自信無いけど。いやもう、全然自信無いんだけど・・・。
「愛情評論」で藤本さんが触れられてた「永遠の仔」とかの本を、私は勇気が無いから読めないんだけど(や、普段から本なぞぜんぜん読まないんだが;)、たぶん、そういうのと重ねて、タッカーとニーナを受け止めたんじゃないかな、って思った。だから「これからの世界を生きる~」っておっしゃったのかな、って。
それで。
私は、でもそれは違うんじゃ?って思った。
虐待、という前提なら、殴られる父親を、泣きもせず黙って見ている子、という構図は、なんていうか、背筋が寒くなるものがある。
でも、私は違うと思う。
ニーナは、4歳か5歳。
人は、自分が思ってもいないような激しい感情を目の当たりにすると、固まってしまう。
理解がついていかない。何を言われているのか、何が起こっているのか分からない。
それが幼児なら尚更。
幼児は、激しく怒られた時、泣かない。
叱咤が終わってから、ようやく泣く。泣くということを思い出す。
逆に、激しく楽しい時も、ぼーぜんとした間抜け顔になる(笑)。
ニーナは、ただ、理解ができなかっただけ。
仲良しのお兄ちゃんが、大好きなお父さんを殴るという事実に。
そして、その後だって理解できなかっただろう。なぜお父さんが殴られるのかということを。殴られているお父さんが、反撃も怒りもしなかったことを。
だって、ニーナは、自分が酷いことをされたとは思っていない。
犬とのキメラにされたことが、酷いことだと、知らない。
だって大好きなお父さんが、ニーナはアレキサンダーが好きかい?ずっとずっといっしょにいたい?それならよかった。何も怖いことなんか無いよ。そう言うから。
幼児にとって・・・たぶん、幼児でなくても。人生の大部分を占める人に(重要度であろうと、人数であろうと)、喜ばしいことだと勧められたら、自分もそれを喜ばしいことだと受け止めるでしょう?
そう。「倫理など時代や個人によって線引きが変わる」んだ。
そして時代、とは、私を取り巻く人々のこと。
ニーナは酷いことをされたとは思っていない。
なぜなら、タッカーが、それが酷いことだと、思っていないから。
世間一般から見れば、酷いことだと分かっている。功名心や金への欲望もある。「きれいことだけでやっていけるかよ」これは嫉妬。「完成品」をこれみよがしに連れ歩く最年少国家錬金術師への。
けれど本当の根っこのところでは、タッカーは、なぜ、人の命をもてあそぶことが悪いことなのか、わからない。
だから、娘と二人きりになって、つぶやく。
「何で誰もわかってくれないんだろうなぁ」「なあニーナ・・・」
なぜ、人の命をもてあそぶことが、悪いことなの?
私は、今の私は、はっきりと言える。それは悪いことだ!誰が何と言おうとどんな大義名分があろうと悪いことだ!!
けれど、この疑問をかかえたままの人は、たくさんいる。なぜ、人の命をもてあそぶことが、悪いことなの?なぜ、私の命を私の勝手にしてはいけないの?
だから。
むしろ、「これからの世界を生きる子どもたちにとって必要」なのは、このタッカーのつぶやきだと思う。
そして、その答えは示されずに終わる。
タッカーとニーナは殺される。
アルは言った。「ニーナのような不幸な子」
そして後にそれを否定する。「不自由である事と不幸である事はイコールじゃない」「哀れに思われるいわれは無いよ!」
ニーナは、可哀想ではなかった。
父に愛されていたから。
その父がどんな人物であろうと、極論として、タッカーがニーナを実験動物として愛していたのだとしても、その愛がニーナにとって本物なら、ニーナは幸せだった。
そして、犬とのキメラとなった後の、短い生の間でも、可哀想ではなかった。いっぱいの疑問と不安があっても、それは環境が変わったことへのとまどいなだけで。
タッカーが笑顔で大丈夫だよ、と言って頭をなでてくれたなら、すぐ消える程度の。
ニーナが不幸というならそれは、目の前で大好きなパパが殺されたこと、だと思う。
ニーナの記事が拝見できて嬉しいです。
ニーナが不幸ではなかったというのは、おっしゃるとおりかもしれませんね。
打ちひしがれている心の状態こそが不幸なのであって、心という面から見たら彼女は不幸ではなかった気がします。
それから、殴られている父を見ても泣かないニーナについての分析は、藤本さんより歌猫様の考えの方が自然で納得できると私は思います。
私は、ニーナというとどうしてもスカーによる殺害を切り離して考えれないのですが、自分のところでも書かなきゃと思いつつ後回しにしているのでがんばって記事にしたいと思います。
藤本さんの言葉は限られているから、私が受け取った意味とはまた全く違う意味で、ニーナのことを受け止めているのかもしれないけれど。
鋼は誰もが自分の命を生きていて、それはニーナだってそうだと思うの。彼女は不幸ではなかった、と、私は思いたいだけなのかもしれないけど。
藤本さんほどに読解力と表現力を鍛えた人でさえ(本を読んで頭いいなあ!って思った)、誤読、あるいは誤解をあたえる文章を書いて(話して)しまうなら、私は私の思ったことを、好きに書いていいんだわ、なんて思いました。
なんか、レスになってないわね(苦笑)
コメントありがとうございました~v
今回は、ニーナ! これなくして「ハガレン」は語れませんね。私も、1巻目を読んだときは、「まぁ、普通におもしろいマンガだな。主人公が妙に元気なのもカワイイし」くらいな印象でしたが、2巻でニーナのエピソードを読んだとき、「わ、これは普通の少年漫画と違って深い!」と襟を正す気持ちになったものです。アニメはより痛くより陰惨にニーナの巻を描きましたけれども(音楽の盛り上げ方やラストシーンの演出がすごい上手いと感じ入りました)、原作を読んだときの衝撃は、今でも忘れられません。
で、問題のシーンですが。
ニーナが父親が自分にしたことを理解していなかった、という海猫様の解釈は正しい、と思います。幼い彼女は、大好きな父親に何をされたのか、何を奪われたのかがわからない。だから、ニーナ自身に、「自分は不幸だ」とか「自分はもうおしまいだ」のような悲痛な絶望感や「父親が自分を裏切った」のような憎しみや悲しみは抱いてはいなかったのは確かでしょう。
それゆえの無表情。エドに紹介されたときもタッカーが殴られている間も。彼女が泣くのは、大好きな父親がスカーに血まみれにされて殺されたのを前にした時のみです。
なぜニーナは理解できなかったか? 一つは知能低下。犬と合成された彼女は人間の知能を維持していない。その点で言えば、タッカーの錬金術は、キメラ軍人を作っていた軍の錬金術よりもはるかに低いレベルだったのでしょう。まぁ、「お父様」直伝の錬金術で、しかも賢者の石を使っての錬成と比べるのはタッカーに気の毒、というものかもしれませんが。もう一つは彼女の幼さです。幼い故に彼女は自分が何をされ、何を奪われたのか認識できません。認識できたニーナの母親は、絶望とタッカーへの不信と裏切られた悲しみのなかで餓死という自殺を選んでいます。でも、幼すぎたニーナは自分の置かれた状況がわからないので、スカーが現れなかったら、そのまま父親を慕って生きていったかと思われます。
それはそれで、まさに戦慄ものの悲劇です。ニーナの無表情は、それを惻々と感じさせます。本人が自覚していない分、無垢な彼女をむりやりねじ曲げたタッカーへの怒りが、やりきれなさが残る物語になったと思っています。
私は、ニーナの回の初読時は、それほどショックとかは無かったなあ・・・?それより、これだけシリアスやった後に、マスタングに無能とかギャグに持ってくとこに感心したような?昔なんでよく覚えてないや。ともかく試しに1,2巻を買って、その翌日に「2巻も買った私の判断は正しかった!」とか思いつつ残りの既刊を大人買いしたのは確かだ(笑)
知能と感情(≒幸不幸)は別物だし、物事の認識という点においては、4,5歳児と成犬では、どっこいどっこいだと思います。私はあのキメラをずっと、アレキサンダーとニーナが寄り添う姿、を重ねて見ています。その後に登場するキメラは、魂は人間(だから彼らは人間)。 でもニーナは、魂もまた、二つ同時にあの身体の中にあったのではないかと。
何も知らず生きていくニーナ・・・は、きっと無い。だって鋼だから。もし彼女があのまま成長したら、苦悩し、悩み、そして立ち上がったと思う・・・あんまり辛いので、あまり考えたくないけれど。
コメントありがとうございました!
ニーナは、自分の身になにが起こったか知らないままで逝けてよかったのかなぁとも思いますし、最後のニーナの気持ちが、おとうさんを殺された悲しみだったのかなぁと思うと、あそこで逝ってしまったのは悲しいようにも思います。
お父さんが殴られていたときには特に感情を表さなかったのにお父さんが殺された時には涙を流したのは、もしかしたらちょっとずつニーナとしての何かを取り戻しつつあったのかなとか思ってしまうと、あそこで逝ってしまったのは残念だなぁと思いますが、ニーナとして、自分の身になにが起こったのか理解できるようになって、実験動物として酷い扱いをうけて、マーテルさんたちみたいに逃げ出すこともできずに殺されるようなことにならなくてまだよかったのかなとも思ってしまいます。
実は、タッカーさんが最後のあたりでなにをわかって欲しかったのかもずっと気になっていたのですが、「ニーナは不幸じゃない、自分は酷いことはしていない」ということもあったのかなぁと思いました。
私は、ニーナのエピソードを思い出すと、なんだかすごく納まりの悪い気持ちになってしまうのですが、ニーナがどうなっていればよかった、とはっきり思えないし、タッカーさんのわかって欲しかったこともよく分からなかったのが原因なのかなぁと思えてきました。
この記事のおかげで、ちょっとすっきりしました。
ありがとうございました。
何が起こったか知らないままニーナが死んで、ほっとしてしまうけれど、幼い死を、よかった、なんて思いたくなくて、何とも言えなくなります・・・。
マーテルと比べてどちらが「まだまし」かもわからない。マーテルもまた殺されたけれど、彼女は無理やり押し付けられた運命に、自分の力で反抗することができた。彼女もまた不幸ではなかったと思います。彼女は自分が不幸だとは思っていなかったから。他の仲間達と同様に。
彼らと出会った後に、「不自由だけど不幸じゃない」というアルの発言があります。彼らはアルに勇気を与えた存在。
うーん、うまくコメレスにならなくてごめんなさい。私もニーナは不幸じゃなかった、とその部分しか、まだちゃんと言えなくて。
コメントありがとうございましたv
「ニーナは不幸だった?」
自分はこう思います。ニーナの長いみつあみは、父が毎日してくれていたことでしょう、幼すぎて自分では出来ないので。父は、一人娘を普通に愛していたのだと思います。ただ、査定が迫っていて追い詰められた彼は、精神に異常を来たし倫理の境界を踏み越えてしまう。ニーナは、父が偉大な科学者であると信じていて、父のために役立つならと子供心のいじらしさで実験に同意したのだと思います。そして、成功して良かったのだと、父の役に立って良かったと、ぼんやり思っていた・・・何しろ幼すぎて、先のことは良くわからないので。でも漠然と、不安も感じていたと思います。父が殴られている最中は、ニーナ自身も事の次第を整理中だったので、呆然としていたのだと。
父と娘の間にあるのは、理屈では割り切れない愛だと思います。
「あの三つ編みは毎日タッカーがしていた」ああ!そうですよね!
うん。タッカーはニーナを愛していた。
でも、「精神に異常をきたし」では無いと思います。きっかけは天才錬金術師エドというプレッシャーかもしれない。けれど、彼はそれ以前に妻を犠牲にし、その業績でもって国家錬金術師になった。つまり、キンブリーと同様「自分が異端であることを自覚していた」から、精神鑑定を通ったということ。
タッカーの行いは「悪魔の所業」であるけれど、彼は間違い無く人間だった。(「お父様」と違って!) 「精神に異常」という理由付けで、常人の(だと思っている)私(やエド)と、彼とを切り離すのではなく、同じ人間であるのに、と考えたほうが、より深いメッセージを受け取れんじゃないかな、と・・・・・・。でも、これは読み手個人個人によるかもですね。
父の役に立ってよかった、と、ニーナは思っていた。うん、同意です。
コメントありがとうございました。