その人はワタクシメを「おじ」と呼んだ。
「おじ」とは、男の子一般を指す方言である。
母方の男性は、みな手がごつくてでかいようだ。
Booじーちゃ。も。
Booじーちゃ。の父親(つまりワタクシメの曾祖父)であるMEGAじーちゃ。も。
MEGAじーちゃ。の、兄弟(つまりワタクシメの大叔父ドノ)も。
それが、遺伝による先天性のものなのか。農作業による後天性のものなのかはさておいて。
大叔父ドノは握手が大好きであった。
それも、力いっぱい握りしめるのが好きだった。
子どものころ、ワタクシメが痛そうな顔をすると、入れ歯をカクカク鳴らして笑って、それでようやく手を離したものである。
大叔父ドノも、とことん「おじ」なのだった。
それが、大叔父ドノのコミュニケーションの取り方だったのだと、今は思う。
ワタクシメもピアノをやっていたこともあり、成長するにつれて握力は強くなってきていた。
林檎を握りつぶすとまではいかないが、今でも握力は結構あるほうではなかろーか。
あるとき。
いつものようにニコニコしながら差し出した大叔父の手を。
ワタクシメもにこにこしながら握り返した。
渾身の力を込めて。
意地の張り合いになった。
先に、降参したのは大叔父ドノのほうだった。
ワタクシメが成長する一方、大叔父ドノは確実に年を重ねていたのだから。
当然のことといえるだろう。
それから、大叔父ドノは二度と力比べの握手をしようとはしなかった。
ムキになって大叔父ドノを負かした自分は、どうしようもなく「おじ」で、子どもだったと思う。
あの時、なぜ負けてやらなかったかという後悔がこの日には必ずよみがえる。
人の命日は、さびしい。
別して大叔父ドノの命日は、にがくかなしい。
「おじ」とは、男の子一般を指す方言である。
母方の男性は、みな手がごつくてでかいようだ。
Booじーちゃ。も。
Booじーちゃ。の父親(つまりワタクシメの曾祖父)であるMEGAじーちゃ。も。
MEGAじーちゃ。の、兄弟(つまりワタクシメの大叔父ドノ)も。
それが、遺伝による先天性のものなのか。農作業による後天性のものなのかはさておいて。
大叔父ドノは握手が大好きであった。
それも、力いっぱい握りしめるのが好きだった。
子どものころ、ワタクシメが痛そうな顔をすると、入れ歯をカクカク鳴らして笑って、それでようやく手を離したものである。
大叔父ドノも、とことん「おじ」なのだった。
それが、大叔父ドノのコミュニケーションの取り方だったのだと、今は思う。
ワタクシメもピアノをやっていたこともあり、成長するにつれて握力は強くなってきていた。
林檎を握りつぶすとまではいかないが、今でも握力は結構あるほうではなかろーか。
あるとき。
いつものようにニコニコしながら差し出した大叔父の手を。
ワタクシメもにこにこしながら握り返した。
渾身の力を込めて。
意地の張り合いになった。
先に、降参したのは大叔父ドノのほうだった。
ワタクシメが成長する一方、大叔父ドノは確実に年を重ねていたのだから。
当然のことといえるだろう。
それから、大叔父ドノは二度と力比べの握手をしようとはしなかった。
ムキになって大叔父ドノを負かした自分は、どうしようもなく「おじ」で、子どもだったと思う。
あの時、なぜ負けてやらなかったかという後悔がこの日には必ずよみがえる。
人の命日は、さびしい。
別して大叔父ドノの命日は、にがくかなしい。
幼い私のことを「ジョン」と呼んでおりました。
今なら、それが「お嬢」や「嬢」がなまったもので
女子を示す愛称であることがわかりますが、
当時は犬の名前のようで、とても嫌でした。
会うと、姉達をさておき、私を”いぢめる”ので
その叔父の前では、クッと身構えたものです。
”いぢめ”が、叔父なりの愛情表現であったこと
それが分かった頃には、本人は鬼籍に入ってました。
Wooが甥や姪の記憶でどう残るのか
些か心配になりながらも、ちょいと楽しみ。
悪けりゃ、
虹の橋の上から「けっ、それかよ...」と愚痴ってやろ。
叔父は
「あんな(あの子を指す方言)に、商売やらしたら
面白かろぞい」と、常々叔母に洩らしていたそうです。
おいちゃん、予言半分当たったかも。
このジョン、こんつわ親子を相手に、本日も大奮闘予定。
Woo叔父さまも照れ屋さんだったのですな。
しかもなかなかのツンデレ具合だったようで。
(ツンデレの用法がちがいます)
自分が似た立場に立ってみてようやく。
記憶を辿っていくと「………あれ?」と思うのですよね。
されど墓石に布団は着せられず。
愛情表現て、なぜすぐに気づけないんでしょうね…。(思わずしみじみ)
本日もこんつわ親子がお相手とは。
お疲れさまでございます。