海の泡のつぶやき

病気の夫の体調に一喜一憂し、鬱々としてしまう毎日。
少しでも気を紛らわせたら・・・と日記をつけることに。

娘のストレッサーである私の願い

2016-07-03 18:37:51 | 娘のこと
夫が亡くなった時「できればお父さんにお別れをしてほしい」と娘のお連れ合いに
メールで知らせた。
固い表情で通夜にきた娘は私とは口をきかなかった。 
私の妹が良くできた人で、その旦那様と一緒に精進落としの席で、娘の相手をしてくれた。 
私の妹はナント、娘の双子の息子にお小遣いも上げてくれた! 
妹の娘(私の娘からみて従姉)の電話番号を教えて「電話してみてね」と話したそうだ。 
次の夜、娘からその妹の娘に電話があったそうだ!! 
私は感謝!の気持ちで一杯だ。

通夜で見た私の娘は嫌な思い出の実家に来た所為かも知れないが、幸せそうに見えなかった。
娘の表情を見て、親を憎むと言う強い気持ちを抱いた生活は、たとえ親との接触が無くても
かなり強いストレスを抱えているものだと私は思い至った。
娘も苦しい日々をすごしているのではないか、と思い至った。

そして、娘のストレッサ―(ストレスの因)は私である。
私から離れていれば少しはストレスは和らぐかも知れないが、決してその思いから逃れることは
できないのだろう。私がこの世からいなくなればストレッサ―が無くなるので娘の(多分)
適応障害のような症状は治まるのかもしれない。 
(しかし、私がいなくなることによって別のストレスが生じるかもしれないので、これはこれで
心配で不安なことではあるが。)

私としては、自殺はできないがせめてこれからも絶対にこちらからの接触はするまいと、
通夜に来た娘を見て改めて固く決意した。
最初は私への憎しみだったのが、今となってはより強い“想いの固まり”がしこりのように
娘の心に居座ってしまったように見えた。

双子出産後、疲れ切っている娘にとって必要だったのはヘルパーを雇うお金ではなく母親の
優しい気持ちだったのだ、と愚かな母親は、今になってまた改めて思い知った。
当時、気難しい夫と弱ってきた姑、そして娘の出産と重なって、私は忙しさのあまり心を失って
いたのだと思う。 言い訳になるが夫が病気でなければ私は泊まり込みででも産後の娘と
双子の孫の面倒を看たと思う。
娘の家に泊まり込んで手伝えたらどんなに良いか、と本当に願ったが、私は、自分が
手伝えない代わりに50万円のお金を渡そうとしたのだ。
その時、私は忙しさのあまり心を失っていたのだ。

私と言う人間は元々あまり優しさの無い、ドライな角張った人間なのかも知れない。
たとえ手伝いに行けなくても、行為を提供することはできなくても、愛情、心、魂、思いやり
が必要だったのだ。 私がその時、思いやりに欠けていたとも思えないが、お金を渡すという
行為が娘にはたまらなかったのだろうと、今になって思う。
通夜の娘の表情を見て、娘には本当に可哀想なことをしたと今更ながら深く深く反省した。

もう一生、娘と会えなくても話せなくてもよい、娘が私と言うストレッサ―(ストレスの因)から
一日も早く解放されますように!! 娘の心が解き放たれますように!! 強く願った。
娘の家族の中で妻として、双子の母として明るく楽しく、心を解き放って過ごしてほしい!
それだけで私は満足だし、嬉しいことだ。
愚かな私がこの思いを忘れることのないように、心にきつく戒め、神様への祈りとして、
ここに書き留めておく。
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