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黄庭堅(こうていけん、1045-1105)は、北宋時代の四大家(蔡襄、蘇軾、
黄庭堅、米芾)の一人であるが、四大家の一人である蘇軾のもとで詩文を
学び、書画にも通じていた。書は、唐時代の有名な顔真卿(がんしんけい)
や懐素(かいそ)などの革新的な書を学んだ。下の行書を見ると分かるが、
彼の書は長い横画と左右に伸ばした払いが独特で、力強さと厳しさが感じ
られる。晩年は禅の道に入り草書に傾注したらしいが、変化の妙を尽くし
た個性的な書風の作品を残している。
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<「行書伏波神祠詩巻(ぎょうしょ/ふくはしんし/しかん)」>
黄庭堅(こうていけん)が荊州(けいしゅう)に滞在していたときに大水が出
たためその水難から免れるために揮毫を求められて書いたもので、詩は唐
時代中期の詩人である劉兎錫(りゅううしゃく)の経伏波神祠詩の一首であ
る。
当時、伏波神祠は水難よけの神として奉られていたため経伏波神祠詩を
選んだものと思われるが、伏波神祠とは光武帝の後漢(東漢)時代に活躍
した名将、伏波将軍馬援(ばえん)を奉ったものである。
ところで、この書は1101年の作とされているが、黄庭堅は1105年、60歳で
亡くなったといわれているので彼の晩年の作ということになるが、彼の代表
作の一つと云われている。
詩巻はあと半分ほどあるが、ここでは前半の一部を掲載した。
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宋時代の書は「意」をとる、といわれているが、極めて個性的な書風である。
黄庭堅(こうていけん)晩年の「超脱の書境」と評する人もいるが、禅の求道
者のような雰囲気があり、円熟した書の境地が感じられる。
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<米芾(べいふつ)の「行書紅県詩巻」・「多景楼詩冊」>と比較して見る
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