ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

牛久大仏からツムラ漢方記念館へ

2014年04月25日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年4月25日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第3回(2014年第13回)、「牛久大仏からツムラ漢方記念館」を巡るウォーキングに参加した。

この日のコースマップ
牛久大仏駐車場からツムラへ直行し、記念館・薬草園を見学(90分コース)。
その後、工業団地の外周を一周し、時間に余裕があれば延命寺を訊ねて、牛久大仏駐車場へ戻る、
というコースである。


第一集合場所の乙戸沼公園に集まったのは13名。
3台の車に分乗し、牛久浄苑へ。


牛久浄苑(牛久大仏)
直行していた15名と合せると、この日の参加者は28名となった。
地元に近くて天気に恵まれれば、30名近い参加者になるということである。


この日は、歩く距離は短いことから、『準備体操は省略っ!』ということで、
9時39分、ツムラ漢方記念館に向かって出発だ!
見学開始は10時ちょうどとなっている。


先頭を務めるのはOさん。
『最近、弱くなっちゃってよぉ』と言いつつも元気いっぱいである。


大仏様に見守れながら浄苑内を進む。
”元気で行っておいで”
『行ってきまぁす』


『近くで見ると優しい顔してるわねっ』


安全な歩道は反対側にあるため、工業団地内の道路を横断。


ツムラへ入ろうとしたが、ここは運搬車両専用出入口だった。


あらためて200m先のツムラの正門へ向かう。


こちらがツムラの正門だった。
事前に見学の予約をしていたので、担当の方が正門で出迎えてくれていたのには驚いた。


ツムラの工場内は公園のようだ。
敷地面積は178,000㎡(約54,000坪)もあるというから広い。


きれいに手入れされている。
チリひとつ落ちていない。歩いていて気持ちが良い。
『ちょうど新鮮な緑がいっぱいで一番良い季節よねぇ』


わざわざ正門まで出迎えに来てくれた担当の方に付いて、工場入口から真直ぐ進むと、
噴水の向こうに漢方記念館があった。
記念館前に、この日の見学案内の担当の方全員(約7名)が出迎えてくれたのには
ビックリしたと言うより恐縮した。


記念館に入ると、1Fの多目的ホールで、プロジェクタを使って会社の紹介がなされた。
画像を見ながら、会社概要(創業・資本金・売上高など)から工場の概要(建物の配置・役割や広さなど)の説明があった。
なお、記念館・薬草園見学に際しては、自由に撮影OKというのは嬉しい。
お言葉に甘えて最初に撮った1枚である。


この茨城工場(工場と記念館)は1983年竣工・操業開始で、働いている従業員の数が800人ほどいると聞いて、
『そんなに働いているんだぁ』とビックリ。
ツムラ全社員の3割近い人数がこの茨城工場に居ることになるのである。
(写真はツムラ提供)


会社概要の説明が終わると、記念撮影をするとのこと。
記念館の前には、カメラを構えた美人揃いの女性社員が待ち構えていた。


記念撮影(写真はツムラ提供)
ツムラで撮影した写真は、帰りにCDに落して提供してくれるとのこと。
(こういったサービスは初めてである)


3班に分かれて記念館と薬草見本園を案内された。
我々は先ず2Fへ。
漢方と言えば人参を思い浮かべる。
御種人参(朝鮮人参・高麗人参ともいう)が展示されていた。


続いて江戸時代の薬用具室(写真はツムラ提供)
江戸時代に実際に使用されていた薬研・薬籠・蘭引・百味箪笥などが展示されている。


実物の百味箪笥


生薬トレーサビリティの説明
原料となる生薬の栽培・流通・製造・品質管理まで製品の履歴情報を追跡できる体制を紹介している。


こちらは別の班。
漢方医学に関する説明に聞き入る(写真はツムラ提供)


体験コーナー
原料の生薬約50種の見本の形・色・匂いなどが体験できる。


薬研(やげん)は、漢方薬などを作るとき薬効を持つ薬種(草・根・木あるいは動・鉱物質)を
細粉に挽くのに用いる器具。「くすりおろし」ともいう。(写真はツムラ提供)


『漢方独特の匂いがするわねぇ』(写真はツムラ提供)


『匂いを嗅いだだけで何だか効いてきた感じっ』(写真はツムラ提供)


創業時のツムラの説明(写真はツムラ提供)


明治時代創業当時の製品「中将湯」の金看板が展示されている。
津村が故郷から受け継いだ秘薬を元に改良され、創業と同時に、婦人保健薬「中将湯」を発売したのが始まりとのこと。


明治時代の創業時の本店を模型で再現している。
「中将湯」の他にも明治四十年(1907)に胃腸薬「ヘルプ」を発売している。
「ヘルプ」を改良・研究の結果「バスクリン」となった。


明治の創業時から現在までの製品が展示されている。


現在の製品
一般用医薬品としては、風邪薬「葛根湯」が馴染深い。
うちのかみさんも愛用している一人だ。


この後、漢方記念館をいったん出て薬草見本園へ。


薬草見本園
およそ200種以上の薬草が育てられている。
低・中・高木や樹木、湿性植物も含めるとその数は250種以上にもなる。


薬草見本園見学風景


薬草見本園見学風景
御種人参(オタネニンジン)(写真はツムラ提供)
日本での産地は、 雲州(島根県)・信州上田・会津の3か所とのこと。


オタネニンジン
日光の直射と雨滴を防ぐために小屋掛けが必要で、特に夕日を嫌うらしい。


成長には年月を要し、5-6年目にようやく収穫する、そうだ。(写真はツムラ提供)


薬草見本園見学風景
ハッカ(薄荷)の葉っぱを嗅いでいる。
『あ~っ ハッカの匂いがするねぇ。懐かしい匂いだよねぇ』


薬草見本園見学風景
サンショウ(山椒)(写真はツムラ提供)
『へ~っ、トゲが無いんだぁ』
『すりこぎの材料になるんだよねっ』


薬草見本園見学風景
キジツ(枳実)
ダイダイは、乳頭が二つ重なっており、台が二つなので、ダイダイという呼称がある。
また、秋に黄色に色づいた果実をとらずにおくと、冬には青にもどり、秋にはまた黄色になる。
このことから、代々色が変わるということでその名がついたそうだ。
「代々、家が続くように」という意味合いから、正月飾りの縁起物として使われるようになった。
実は酸っぱくてとても食べられたものではない。


薬草見本園
間もなくいろんな花が咲き乱れるのだろう。


他の班と入れ替わり、再び記念館へ。
1Fの漢方医学の歴史を見て回る。


漢方医学の歴史の説明(写真はツムラ提供)


初の医学書「医心方」(いしんぼう
平安時代の宮中医官である鍼博士丹波康頼(たんばのやすより)撰による日本現存最古の医学書である。
丹波康頼の末裔として、映画俳優故丹波哲郎が有名だ。
第二十二巻(写真)は、胎教篇として医心方全三十巻の中でも唯一図を持つ巻とされる、とのこと。


曲直瀬道三(まなせ どうさん
戦国時代の医師。
日本医学中興の祖として田代三喜・永田徳本などと並んで「医聖」と称される。


最後に、ツムラで扱う医療用漢方製剤と生薬の見本116種の展示を見て、見学は終わりとなった。
『どうもお疲れ様でした』
『ありがとうございましたっ』


見学が終わり、アンケートに記入してツムラを後にした。
時刻は11時40分を差そうとしていた。


この日は弁当なしなので、あまり遠くへは行けない。
工業団地内を一周することにした。
後ろに大仏様が見える。


工業団地内
皆さん(自分もだが)お腹が空いて来たようで、口数が少なくなってきた。


ツムラの工場裏辺りに調整池があった。


調整池で軽い休憩を摂ることに。
水分補給やお茶菓子を配り合っている間に、次週、次々週の地図を配布し、コースの概略説明を行った。
どのくらいの人数の参加があるのか楽しみである。


”茶腹一時” 元気を出して牛久大仏を目指す。


大仏様が目の前、ゴールはもう直ぐだ。


”元気で帰ってきたね”
大仏様も微笑んでいるようだ。
『ただいまぁ』


墓地内を進む。


12時31分、ゴール!
この日歩いた距離はさほどなかったし、お腹も空いたことだし、整理運動は省略ということに。
『今日はお疲れさまでしたぁ』


かねてから会員の皆さんの要望が強かった、株式会社ツムラの漢方記念館・薬草園を今回初めて訪問した。
会員の中には既に一度訪問したことがあり、今回が2回目という人もいた。
ウォーキングとしてはやや物足りなかったが、記念館見学もあってなかなか好評のようだった。
ツムラとしては歩いて訪問するというのは初めてのことだったそうである。

漢方の歴史や効能について知識を深めることができ、また実際に生薬に触れてみて、少しだけ漢方が身近に感じられるようになった。
花の時期にはちょっと早かったが、薬草見本園の草花を見て、参考になった。
これから歳とともに、益々漢方薬にお世話になるかもしれない。


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