2014年5月4日(日)
この日は午前中に篠山城、姫路城には午後登城した。
姫路城には、これまで2度(2000年9月と2008年5月)観光で訪問しているが、「日本100名城」のことは全く知らなかった。
従って、今回の登城は「100名城」のスタンプ押印が目的である。
改修工事が終わってから登城すれば良い、と考えていたが、工事中の姫路城に登城しておくのも悪くない、
と考え直し、今回の登城となった。
姫路城の創築は、南北朝時代の初めとされる。
羽柴(豊臣)秀吉が姫山に三重の天守を築いて、近世城郭としての体裁を整え姫路城と改称した。
今日に残る城の形にしたのは、徳川家康の娘婿池田輝政で、9年の歳月を費やして慶長十四年(1609)、
徳川家康が大坂城の豊臣氏に備えて、大坂や京都から山陽や山陰へ通じる交通の要衝に築城した。
五重六階地下一階の大天守に3基の小天守を結んだ天守群を中心に、多くの櫓と門が並び建つ大城郭を築き上げた。
その後、本多忠政が西の丸などを増築し、複雑な縄張をもつ名城が完成した。
明治時代に失われた部分もあるが、昭和の大修理が施され、平成5年に日本を代表する城として、
世界遺産に登録されている。
姫路城は、白鷺にたとえられ、別名を白鷺城(はくろじょう)という。
現存する城郭建築としては日本一の規模を誇る。
14時36分、姫路郵便局前の駐車場(600円)を出発。
駐車場の一角から工事中の姫路城の天守閣の一部が見えた。
自分が城のどの辺りにいるのかまったく見当がついていない。
まぁ、天守閣を目指して進めば何とかなるだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/8a/851fc3d3eb22fb2b460513f168579e6e.jpg)
城見台公園に設置された鯱鉾越しに姫路城が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/fe/32d2cefd74b3c53232a338260d8d7243.jpg)
城見台公園に続く、東御屋敷跡公園を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/aa/1d5874d7d9b05fe4f4c65bec4093529b.jpg)
東曲輪の入口に出た。
何とかここから入れそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/e2/c1eee0729ace704567d70d1532026514.jpg)
工事中の姫路城
正面右の高石垣の上に見えているのは、帯の櫓か?
高石垣は城内最高の石垣で、高さ23.32m、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/69/785e662a7a3d05263747244297313013.jpg)
二の丸太鼓櫓(への櫓)と高石垣
城内有数の高石垣で、高さは19.87mあるそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/36/650443112ae36b3ce2f59defe3df888d.jpg)
三の丸広場に出た。
2008年5月に訪れているので、見覚えがある場所である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/e6/5b435b6f3bc7d53d1c94dadc3f14a9b6.jpg)
三の丸広場から、西の丸(左側)から天守閣(右側)を見渡してみる。
さすがに大きい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/42/178e5c78b3b95642bf0201c3c2b7d931.jpg)
姫路城天守閣
工事中の天守閣も悪くない、と思ってはいたものの、『う~ん、やはり完成した天守閣が見たい』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/0d/5d37343eb9edf15fbeb1783828fde877.jpg)
チケット売り場には大勢の人が押し寄せていた。
チケット売り場脇の管理事務所で「100名城スタンプ」を押し、城内へ。
時計は、15時を5分ほど過ぎたところである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/8a/3580572c10870c68160bb9885e274b63.jpg)
入城口を入って左手に進むと菱の門がある。
て![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/cd/0288f9bcc71beda1400fd7bf778e1235.jpg)
菱の門は二の丸の入口に位置する櫓門。
名前の由来は、正面の冠木に木製の「花菱」が飾られているから、とのこと。
残念ながら日陰になって暗くて「花菱」は見えない。
竪格子窓、華頭窓、出格子窓を配し、黒漆の格子に金箔の装飾が施された優雅で豪華な城門である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/61/d71662a190599e7871ef47deea3c571e.jpg)
菱の門から東方石垣の土塀越しに天守閣を見たところ。
この石垣は秀吉時代を代表する石垣で、野面積みの「布積み崩し」の典型、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/74/21963cbd8922fe02b3f269f89feeb827.jpg)
菱の門の内側
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/74/2ba8e20419c06b77bc5a1a2471a61166.jpg)
菱の門から人の流れに沿って西の丸方面への坂道を上る。
西の丸は、本多忠政の嫡男・忠刻と徳川家康の孫・千姫の居館として、
千姫の化粧料10万石で元和四年(1618)に造営された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/7a/af82cccfb7eb71a949f1a72830931c73.jpg)
西の丸「ワの櫓」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/a1/119306af164cd6a6ba8109a0752d98ee.jpg)
西の丸から見た天守閣群が美しい。
左から乾小天守・西小天守・大天守
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ae/ec97d26c2280081be0f8420c4ca22e6a.jpg)
ワの櫓から化粧櫓へ続く渡櫓の長局(百間廊下:約250m)を歩くためには20分以上待たなければならない。
ワの櫓の入口へ続く通路には長い行列が出来ていた。
前回訪問した時(2008年5月)に1度歩いているので、今回はパスすることにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/a1/bdfe0eae3df391f5a74c8eee5760ea64.jpg)
西の丸「ヌの櫓」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/13/4b4d95ce9ad8219248255ba28b54235c.jpg)
西の丸「化粧櫓」の出口
化粧櫓の名前の由来は、千姫が男山の天満宮を遙拝する時に休息し、化粧を直したと伝えられていることによる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/52/12016751916b178006c0241016eef035.jpg)
西の丸北門跡から見た天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/68/79dd68c14474614c15a2aeeb661ba627.jpg)
「はの門」手前の土塀
右手に進むと「ろの門」になるが、はの門へ進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/87/2ad03efb0258b6ce93cc2ccb9add938f.jpg)
脇戸付櫓門「はの門」を通って乾曲輪へ。
はの門は有事の際には土砂などで封鎖する、そうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/af/aaa3a1fae8156c7f44e2812a08437f24.jpg)
はの門の柱の礎石に石灯篭の基礎が使われている。
築城の際に石が不足したために、姫山などにあった墓石などを石垣に転用した、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/6f/3736ed6d19bc4a1f7a18f335db56a769.jpg)
はの門の先に乾曲輪がある。
乾曲輪から見た「にの門」東方上土塀・石垣と天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/20/398cf3e71156d1290877b13153588aff.jpg)
「にの門」東方上土塀の櫓には、官兵衛十文字紋の鬼瓦があるとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/54/46598f267b7106ae42d0b400681678e1.jpg)
よ~く見ると、鬼瓦に十文字(クロス)の紋が見える。官兵衛ゆかりの鬼瓦だ。
官兵衛はキリスト経に入信していた。
洗礼名は「ドン・シメオン」と云ったそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/70/8172a23c8ee1f441c0aa381f98a3b503.jpg)
「ろの門」(高麗門)を通って二の丸へ向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/99/7d6ff7a2edc1f2c2a07c847b922a1ee8.jpg)
ろの門を内側から見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/da/0bfa66675d44c4b45417f89032040f36.jpg)
ろの門から「ぬの門」へ続く高石垣が美しい姿を見せてくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/55/7a407ce8086c6e8e3b1074aeb590df49.jpg)
ぬの門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/29/93adc6545ad4d5be3c1941638f4c0067.jpg)
ぬも門手前の高石垣が美しい曲線(扇の勾配)を見せている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/b8/d4a4ba1c992f242e97d8c558ce5c6527.jpg)
扇の勾配の途中の石に刻印が見える。
見どころの一つだそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/8d/b878d66a5698f25a4624eea64a4d7cf6.jpg)
ぬの門前の石は、よく見るとハートの形をしている。
子供たちに評判のようで、探し当てて喜んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/d5/00e794129775c9a2f51ea45e053a4b6e.jpg)
ぬの門から振り返ると、西の丸化粧櫓が見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/87/a05cca47b600b016ea8388c8d860e4be.jpg)
ぬの門をくぐると二の丸上山里曲輪である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/76/c7cc65b42e87ecebbdc06e4fb634cd9d.jpg)
二の丸上山里曲輪から工事中の天守閣を見上げる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/bb/d0101fb9c12ac0c2e001dc1785404743.jpg)
二の丸上山里曲輪の一番奥に「りの門」があるようだが、工事中のためこの先の備前丸・本丸には進めない。
右は太鼓櫓(への櫓)と思われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/64/187f22850fd0f81079ca3af0f0227971.jpg)
二の丸の「チの櫓」では「官兵衛の歴史館」が開催されていた。
「りの一渡櫓」の入口には大勢の人が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/43/ab69f80066fe255ebf9d2c11bea474b4.jpg)
後ろにも人、人、人の列が。
TVドラマ「軍師官兵衛」の人気の高さが伺える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/e5/1e512fd99b41c7701fa9c922f5c6774e.jpg)
仕方なく並んで待つこと20分、ようやく中に入ることができた。
内部は姫路城の成り立ちから黒田官兵衛に関する史料や甲冑・兜などが展示されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/51/623aa17be241911648e2ff6e623d7578.jpg)
上左:栗山家家紋(丸に三柏)入
上中央:母里友信紋(釘板紋)入
上右:白水牛脇立兜
下中央:空穂(うつぼ:矢を納めて射手の腰や肩に付ける細長い筒)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/59/9fe2c238eaa7524d1de85b214847a389.jpg)
右:古頭形兜・紺糸威丸胴具足・緋羅紗洋套
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/cf/7e5d57992bf37d02cd7fd38cbc90a8af.jpg)
黒田官兵衛孝高(如水)所用の銀白檀塗合子形兜
合子とは、蓋付きお椀のこと。
官兵衛(如水)が九州で天下をねらう軍を率いた時に着用した。「如水の赤合子」と世に恐れられたと云われる。
実物は現在、「もりおか歴史文化館」が所蔵している、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/5a/817a54cdd74ba266f50bd6c93aacc7f0.jpg)
根来塗大水牛脇立兜
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/a0/901d526bf705d9943a25cabc076b8595.jpg)
官兵衛時代の石垣
姫路城は池田輝政によって築城されたが、羽柴秀吉の築いた姫路城の縄張りを踏襲した大改修だったため、
秀吉時代の石垣が残っている、そうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/c1/148c3d467187d802f48fbbc2d42b6521.jpg)
秀吉時代の築城には黒田官兵衛が携わっていたと考えられている、とのこと。
下山里下段や菱の門東方、乾曲輪裏の石垣にその名残(野面積み)が見られるとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/31/19dbd598c62d04c5b43b5d60c6df6c00.jpg)
二の丸中央にお菊井戸がある。
その回りを大勢の人が取り囲んで何やら覗きこんでいる。
説明板には、次のように紹介されている。
永正年間(1500年頃)、城主小寺則職の執権青山鉄山が主屋横領を企てているのを、忠臣衣笠元信の妾(いいなずけ)で、
青山家に住み込んでいたお菊が探知し、元信に知らせて城主の難を救った。
しかし、鉄山は浦上村宗等の加勢によって則職を追放し、一時主家を横領した。
村宗等を招いた饗宴の際、お菊を恋慕していた町坪弾四郎は、家宝の十枚揃いの皿の一枚を隠し、
お菊を責め殺し井戸に投げ込んだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/f3/19b3d85c5d842bc5084380010278e1b1.jpg)
その後、毎夜この井戸から皿を数えるお菊の声が聞こえたという。
『一ま~い、二ま~い』
やがて、元信が鉄山一味を滅し、お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内に祀られた、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/04/3e7a0ff51deb690c70f49dea1a8ebba3.jpg)
二の丸を出て左に曲ると「るの門」(穴門)があった。
この門は正規の通路から外れた位置の石垣に穴をこしらえ、その通路が目に付かないようにした一種の抜け道で、
姫路城特有のもの、だそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/5c/6689145b849294bffe1fb90e8ad8eefd.jpg)
帯の櫓から帯郭櫓に通ずるところにも穴門がある、そうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ea/1ba9f7c08ed0a04b07b0afb0d2eec5a6.jpg)
穴門を外側から見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/a7/77a559868b9c77f3cd94444217373f36.jpg)
穴門から出て右に進むと、三国堀曲輪である。
三国堀曲輪の菱の門辺りから見た三国堀
後ろに見えるのは、西の丸化粧櫓と思われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/4b/1a99f0dcffcd2d8ec2a0d5e06d852f45.jpg)
偶然にも三国堀に一羽の白鷺がいるではないか。
まさに白鷺城の名に相応しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/40/0ccd315f4e1517f49bbfca0142e09a5c.jpg)
菱の門前の三国堀から見た天守閣も素晴らしい。
覆いがなければの話だが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/2f/09abf582ade08dcc997920b67a171765.jpg)
菱の門から見た「りの一渡櫓」と「りの二渡櫓」
「官兵衛の歴史館」が開催されていたところである。
これで一通り城内を回ったことになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/fa/e5fde961884acb50b30fb94c21bf9bd3.jpg)
菱の門を出て入城口へ向かう途中に見た天守閣
工事中の天守閣も悪くない、と思ってはいたが、やはり覆いのない天守閣を見たいものである。
工事が終わったら、もう一度訪れたい、と強く思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/f3/fd461763d352e8c9e820c368018764ec.jpg)
三の丸からもう一度天守閣を見る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/f8/a45119d817ec75f4c923feb9394e03a6.jpg)
姫路城大手門(内側)
姫路城の大手門は、本来三重の城門からなり、城内では最も格調高く厳重な門であった、そうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/df/1e9c1113916b6ec8e9612fcfaf5297bd.jpg)
姫路城大手門(外側)
現在、大手門と呼んでいる大型の高麗門は昭和十三年(1938)に完成したもので、
位置や大きさは江戸時代のものとは全く異なっている、とのこと。
そのうち、といってもいつになるか分からないが、復元されるのだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/74/4cee5be473f22350b9942218150b02b5.jpg)
桜門橋から大手門を見る。
この桜門橋は、江戸時代の木橋をイメージして平成十九年(2007)に復元されたものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ed/ce2290e0c222fd782123a6bfdc407e11.jpg)
桜門橋前の土産物店(ろの屋敷)
店内は観光客で大層賑わっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/39/559c5512024ddb7e6579e32724d5e957.jpg)
左は「ろの屋敷」、右は「はの屋敷」の土産物店
中央は、姫路城天守閣である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/d0/a89726f31957bc26328a808b3cb6a0af.jpg)
土産物店の近くに「ひめじの黒田官兵衛大河ドラマ館」があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/cd/de6a8d87363dfbd39243c56b169d3a1a.jpg)
パンフレットには”大河ドラマ「軍師官兵衛」の世界を体感”と謳っているが、
閉館時間とのことで、中には入らなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/18/a2caf207a54750d88d3727ee021303a9.jpg)
少し街中をと思い、本町商店街を歩いてみたが、人通りは少なかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/da/75197fa04742bdb27c48cbb29ba5315e.jpg)
本町商店街に続いてみゆき通りがあったが、こちらも同じような状況だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/5a/37f8731acc8e5f752a95379dcf96e371.jpg)
ただし、この黒田屋 官兵衛商店だけは大いに賑わっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/f2/27ad4d0c7944e6fdb3f144058e32f57e.jpg)
この後、駐車場へ向かい、17時23分に到着。何と! 駐車場には自分のキャンピングカー以外に車が1台も見えない。
係員がまさに、門を締めようとしていた時に到着したのだ。係員も我々の姿を見てほっとした様子だった。
駐車場が17時に閉まってしまうとは全く知らなかった。係員の方には待たせて申し訳なかった。
修復工事中の姫路城であったが、GWということもあってか、大勢の人が訪れていた。
完成すれば、さらに大勢の観光客が押し寄せるかもしれないが、もう一度訪れてみたい。
やはり姫路城は、天に聳える天守閣群を見ないことには、始まらない。
完成した直後や連休中は、大変な人出が予想されるので、時期を見て訪問することにしたい。
この日はガイド無しの城巡りだったが、次はボランティアガイドと一緒に回ることも考えてみたい。
この日は、午前中に篠山城、続いて姫路城と回ったので、少々歩き疲れた。
明日は明石城へ登城することにしているので、この日の停泊先である道の駅「みき」を目指した。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(日付順)に戻る。
ウマさんの「日本100名城巡り」の目次(お城順)に戻る。
この日は午前中に篠山城、姫路城には午後登城した。
姫路城には、これまで2度(2000年9月と2008年5月)観光で訪問しているが、「日本100名城」のことは全く知らなかった。
従って、今回の登城は「100名城」のスタンプ押印が目的である。
改修工事が終わってから登城すれば良い、と考えていたが、工事中の姫路城に登城しておくのも悪くない、
と考え直し、今回の登城となった。
姫路城の創築は、南北朝時代の初めとされる。
羽柴(豊臣)秀吉が姫山に三重の天守を築いて、近世城郭としての体裁を整え姫路城と改称した。
今日に残る城の形にしたのは、徳川家康の娘婿池田輝政で、9年の歳月を費やして慶長十四年(1609)、
徳川家康が大坂城の豊臣氏に備えて、大坂や京都から山陽や山陰へ通じる交通の要衝に築城した。
五重六階地下一階の大天守に3基の小天守を結んだ天守群を中心に、多くの櫓と門が並び建つ大城郭を築き上げた。
その後、本多忠政が西の丸などを増築し、複雑な縄張をもつ名城が完成した。
明治時代に失われた部分もあるが、昭和の大修理が施され、平成5年に日本を代表する城として、
世界遺産に登録されている。
姫路城は、白鷺にたとえられ、別名を白鷺城(はくろじょう)という。
現存する城郭建築としては日本一の規模を誇る。
14時36分、姫路郵便局前の駐車場(600円)を出発。
駐車場の一角から工事中の姫路城の天守閣の一部が見えた。
自分が城のどの辺りにいるのかまったく見当がついていない。
まぁ、天守閣を目指して進めば何とかなるだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/8a/851fc3d3eb22fb2b460513f168579e6e.jpg)
城見台公園に設置された鯱鉾越しに姫路城が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/fe/32d2cefd74b3c53232a338260d8d7243.jpg)
城見台公園に続く、東御屋敷跡公園を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/aa/1d5874d7d9b05fe4f4c65bec4093529b.jpg)
東曲輪の入口に出た。
何とかここから入れそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/e2/c1eee0729ace704567d70d1532026514.jpg)
工事中の姫路城
正面右の高石垣の上に見えているのは、帯の櫓か?
高石垣は城内最高の石垣で、高さ23.32m、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/69/785e662a7a3d05263747244297313013.jpg)
二の丸太鼓櫓(への櫓)と高石垣
城内有数の高石垣で、高さは19.87mあるそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/36/650443112ae36b3ce2f59defe3df888d.jpg)
三の丸広場に出た。
2008年5月に訪れているので、見覚えがある場所である。
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三の丸広場から、西の丸(左側)から天守閣(右側)を見渡してみる。
さすがに大きい。
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姫路城天守閣
工事中の天守閣も悪くない、と思ってはいたものの、『う~ん、やはり完成した天守閣が見たい』
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チケット売り場には大勢の人が押し寄せていた。
チケット売り場脇の管理事務所で「100名城スタンプ」を押し、城内へ。
時計は、15時を5分ほど過ぎたところである。
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入城口を入って左手に進むと菱の門がある。
て
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菱の門は二の丸の入口に位置する櫓門。
名前の由来は、正面の冠木に木製の「花菱」が飾られているから、とのこと。
残念ながら日陰になって暗くて「花菱」は見えない。
竪格子窓、華頭窓、出格子窓を配し、黒漆の格子に金箔の装飾が施された優雅で豪華な城門である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/61/d71662a190599e7871ef47deea3c571e.jpg)
菱の門から東方石垣の土塀越しに天守閣を見たところ。
この石垣は秀吉時代を代表する石垣で、野面積みの「布積み崩し」の典型、とのこと。
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菱の門の内側
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菱の門から人の流れに沿って西の丸方面への坂道を上る。
西の丸は、本多忠政の嫡男・忠刻と徳川家康の孫・千姫の居館として、
千姫の化粧料10万石で元和四年(1618)に造営された。
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西の丸「ワの櫓」
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西の丸から見た天守閣群が美しい。
左から乾小天守・西小天守・大天守
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ワの櫓から化粧櫓へ続く渡櫓の長局(百間廊下:約250m)を歩くためには20分以上待たなければならない。
ワの櫓の入口へ続く通路には長い行列が出来ていた。
前回訪問した時(2008年5月)に1度歩いているので、今回はパスすることにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/a1/bdfe0eae3df391f5a74c8eee5760ea64.jpg)
西の丸「ヌの櫓」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/13/4b4d95ce9ad8219248255ba28b54235c.jpg)
西の丸「化粧櫓」の出口
化粧櫓の名前の由来は、千姫が男山の天満宮を遙拝する時に休息し、化粧を直したと伝えられていることによる。
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西の丸北門跡から見た天守閣
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「はの門」手前の土塀
右手に進むと「ろの門」になるが、はの門へ進む。
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脇戸付櫓門「はの門」を通って乾曲輪へ。
はの門は有事の際には土砂などで封鎖する、そうだ。
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はの門の柱の礎石に石灯篭の基礎が使われている。
築城の際に石が不足したために、姫山などにあった墓石などを石垣に転用した、とのこと。
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はの門の先に乾曲輪がある。
乾曲輪から見た「にの門」東方上土塀・石垣と天守閣
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「にの門」東方上土塀の櫓には、官兵衛十文字紋の鬼瓦があるとのこと。
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よ~く見ると、鬼瓦に十文字(クロス)の紋が見える。官兵衛ゆかりの鬼瓦だ。
官兵衛はキリスト経に入信していた。
洗礼名は「ドン・シメオン」と云ったそうだ。
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「ろの門」(高麗門)を通って二の丸へ向かう。
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ろの門を内側から見たところ。
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ろの門から「ぬの門」へ続く高石垣が美しい姿を見せてくれる。
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ぬの門
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ぬも門手前の高石垣が美しい曲線(扇の勾配)を見せている。
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扇の勾配の途中の石に刻印が見える。
見どころの一つだそうだ。
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ぬの門前の石は、よく見るとハートの形をしている。
子供たちに評判のようで、探し当てて喜んでいた。
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ぬの門から振り返ると、西の丸化粧櫓が見えた。
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ぬの門をくぐると二の丸上山里曲輪である。
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二の丸上山里曲輪から工事中の天守閣を見上げる。
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二の丸上山里曲輪の一番奥に「りの門」があるようだが、工事中のためこの先の備前丸・本丸には進めない。
右は太鼓櫓(への櫓)と思われる。
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二の丸の「チの櫓」では「官兵衛の歴史館」が開催されていた。
「りの一渡櫓」の入口には大勢の人が並んでいた。
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後ろにも人、人、人の列が。
TVドラマ「軍師官兵衛」の人気の高さが伺える。
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仕方なく並んで待つこと20分、ようやく中に入ることができた。
内部は姫路城の成り立ちから黒田官兵衛に関する史料や甲冑・兜などが展示されていた。
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上左:栗山家家紋(丸に三柏)入
上中央:母里友信紋(釘板紋)入
上右:白水牛脇立兜
下中央:空穂(うつぼ:矢を納めて射手の腰や肩に付ける細長い筒)
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右:古頭形兜・紺糸威丸胴具足・緋羅紗洋套
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黒田官兵衛孝高(如水)所用の銀白檀塗合子形兜
合子とは、蓋付きお椀のこと。
官兵衛(如水)が九州で天下をねらう軍を率いた時に着用した。「如水の赤合子」と世に恐れられたと云われる。
実物は現在、「もりおか歴史文化館」が所蔵している、とのこと。
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根来塗大水牛脇立兜
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官兵衛時代の石垣
姫路城は池田輝政によって築城されたが、羽柴秀吉の築いた姫路城の縄張りを踏襲した大改修だったため、
秀吉時代の石垣が残っている、そうである。
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秀吉時代の築城には黒田官兵衛が携わっていたと考えられている、とのこと。
下山里下段や菱の門東方、乾曲輪裏の石垣にその名残(野面積み)が見られるとのこと。
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二の丸中央にお菊井戸がある。
その回りを大勢の人が取り囲んで何やら覗きこんでいる。
説明板には、次のように紹介されている。
永正年間(1500年頃)、城主小寺則職の執権青山鉄山が主屋横領を企てているのを、忠臣衣笠元信の妾(いいなずけ)で、
青山家に住み込んでいたお菊が探知し、元信に知らせて城主の難を救った。
しかし、鉄山は浦上村宗等の加勢によって則職を追放し、一時主家を横領した。
村宗等を招いた饗宴の際、お菊を恋慕していた町坪弾四郎は、家宝の十枚揃いの皿の一枚を隠し、
お菊を責め殺し井戸に投げ込んだ。
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その後、毎夜この井戸から皿を数えるお菊の声が聞こえたという。
『一ま~い、二ま~い』
やがて、元信が鉄山一味を滅し、お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内に祀られた、とのこと。
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二の丸を出て左に曲ると「るの門」(穴門)があった。
この門は正規の通路から外れた位置の石垣に穴をこしらえ、その通路が目に付かないようにした一種の抜け道で、
姫路城特有のもの、だそうだ。
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帯の櫓から帯郭櫓に通ずるところにも穴門がある、そうだ。
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穴門を外側から見たところ。
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穴門から出て右に進むと、三国堀曲輪である。
三国堀曲輪の菱の門辺りから見た三国堀
後ろに見えるのは、西の丸化粧櫓と思われる。
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偶然にも三国堀に一羽の白鷺がいるではないか。
まさに白鷺城の名に相応しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/40/0ccd315f4e1517f49bbfca0142e09a5c.jpg)
菱の門前の三国堀から見た天守閣も素晴らしい。
覆いがなければの話だが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/2f/09abf582ade08dcc997920b67a171765.jpg)
菱の門から見た「りの一渡櫓」と「りの二渡櫓」
「官兵衛の歴史館」が開催されていたところである。
これで一通り城内を回ったことになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/fa/e5fde961884acb50b30fb94c21bf9bd3.jpg)
菱の門を出て入城口へ向かう途中に見た天守閣
工事中の天守閣も悪くない、と思ってはいたが、やはり覆いのない天守閣を見たいものである。
工事が終わったら、もう一度訪れたい、と強く思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/f3/fd461763d352e8c9e820c368018764ec.jpg)
三の丸からもう一度天守閣を見る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/f8/a45119d817ec75f4c923feb9394e03a6.jpg)
姫路城大手門(内側)
姫路城の大手門は、本来三重の城門からなり、城内では最も格調高く厳重な門であった、そうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/df/1e9c1113916b6ec8e9612fcfaf5297bd.jpg)
姫路城大手門(外側)
現在、大手門と呼んでいる大型の高麗門は昭和十三年(1938)に完成したもので、
位置や大きさは江戸時代のものとは全く異なっている、とのこと。
そのうち、といってもいつになるか分からないが、復元されるのだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/74/4cee5be473f22350b9942218150b02b5.jpg)
桜門橋から大手門を見る。
この桜門橋は、江戸時代の木橋をイメージして平成十九年(2007)に復元されたものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ed/ce2290e0c222fd782123a6bfdc407e11.jpg)
桜門橋前の土産物店(ろの屋敷)
店内は観光客で大層賑わっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/39/559c5512024ddb7e6579e32724d5e957.jpg)
左は「ろの屋敷」、右は「はの屋敷」の土産物店
中央は、姫路城天守閣である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/d0/a89726f31957bc26328a808b3cb6a0af.jpg)
土産物店の近くに「ひめじの黒田官兵衛大河ドラマ館」があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/cd/de6a8d87363dfbd39243c56b169d3a1a.jpg)
パンフレットには”大河ドラマ「軍師官兵衛」の世界を体感”と謳っているが、
閉館時間とのことで、中には入らなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/18/a2caf207a54750d88d3727ee021303a9.jpg)
少し街中をと思い、本町商店街を歩いてみたが、人通りは少なかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/da/75197fa04742bdb27c48cbb29ba5315e.jpg)
本町商店街に続いてみゆき通りがあったが、こちらも同じような状況だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/5a/37f8731acc8e5f752a95379dcf96e371.jpg)
ただし、この黒田屋 官兵衛商店だけは大いに賑わっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/f2/27ad4d0c7944e6fdb3f144058e32f57e.jpg)
この後、駐車場へ向かい、17時23分に到着。何と! 駐車場には自分のキャンピングカー以外に車が1台も見えない。
係員がまさに、門を締めようとしていた時に到着したのだ。係員も我々の姿を見てほっとした様子だった。
駐車場が17時に閉まってしまうとは全く知らなかった。係員の方には待たせて申し訳なかった。
修復工事中の姫路城であったが、GWということもあってか、大勢の人が訪れていた。
完成すれば、さらに大勢の観光客が押し寄せるかもしれないが、もう一度訪れてみたい。
やはり姫路城は、天に聳える天守閣群を見ないことには、始まらない。
完成した直後や連休中は、大変な人出が予想されるので、時期を見て訪問することにしたい。
この日はガイド無しの城巡りだったが、次はボランティアガイドと一緒に回ることも考えてみたい。
この日は、午前中に篠山城、続いて姫路城と回ったので、少々歩き疲れた。
明日は明石城へ登城することにしているので、この日の停泊先である道の駅「みき」を目指した。
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