ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

日光街道を歩く 第6回 小山宿から石橋宿へ

2013年04月17日 | ウマさんの「旧日光街道」を歩く

2013年4月17日(水)


2011年4月から12月にかけて旧水戸街道を、そして2012年2月から5月にかけて、成田街道を歩き終え、
仲間の方たちから次の”街道歩き”を望む声が次第に大きくなってきた。
Webなどを参考に検討を重ねた結果、大部分が日帰り可能な「日光街道」を歩くことにした。

第6回目となるこの日は、小山宿(JR東北線小山駅)から石橋宿(JR東北線石橋駅)までの約15.5Kmを歩いた。

常磐線・水戸線を乗り継いで出発地の小山へ。
この日の参加者は11名。(水戸線車内)
2名が体調不良のため急遽参加を取りやめることになったのはちょっと残念である。


9時15分、小山駅に到着。


小山駅前でUさんの指導によるストレッチ運動で身体をほぐす。


入念に身体をほぐして・・・
『いっちにっ さんっしっ』
このストレッチ運動をやれば、疲れがあまり出ないそうである。


9時25分、石橋宿目指して、いざ出発!!


小山駅前から国道4号線方向へ真直ぐに伸びる「祇園城通り」に。


祇園城通りを100mほどして右折すると旧日光街道(県道265号)になる。


最初の訪問地は元須賀神社
前回は、須賀神社には参拝を見送ったので、元須賀神社にはお参りして行こう。
鳥居をくぐると、参道?両側には一般の住宅が並んでいた。珍しい参道である。


参道の先に小さな神社が祀られていた。
前回パスした須賀神社は当初はここにあった、そうだ。
元須賀神社は、江戸時代には牛頭(ごず)天王社、元祇園社、本祗園社とも呼ばれていた。


これが正式?な神拝の作法ということだろうか?
・先ず軽く一礼
・次に深く二礼
・次に合掌し二拍手
・次に合掌し祈りを申す(祈りのことば)
・次に合掌し二拍手
・次に深く一礼
・次に軽く一礼
普通、神社で見かける参拝の作法(二拝・二拍手・一拝)は、簡略されたもののようだ。


旧日光街道を進んで行くと、左手に興法寺が。
天台宗の寺院で、山号を徳王山妙薬院と号する。
興法寺の参道を進む。


興法寺の山門(薬医門)をくぐって境内に入る。


興法寺の本堂
興法寺は、嘉祥二年(849)、慈恵大師が室(むろ)の八島への途中、
小山荘に一宇を建立し妙楽院と号したのが始まり。
徳川家光より九石の寺領を寄進されたと云われている。
本尊は阿弥陀如来。


山門を入ってすぐ左手に朱塗りの鐘楼がある。
鐘楼の足元に六地蔵(地獄・峨鬼・畜生・修羅・人・天)が祀られている。


興法寺妙薬院


興法寺本堂横に墓地があり、ちょうど八重桜が満開の状態になっていた。


興法寺の墓地入口には墓を見守るようにお地蔵様が。


興法寺前の道路の向かい側に愛宕神社が。
横断歩道がなく、渡るのは危険なため、写真だけに止めて先へ進む。


祇園山天翁院てんのういん)の入口道標
天翁院は、小山祗園城跡の一角にあり、小山氏の菩提寺としても有名な古刹だそうである。


境内の広さは1万5千坪に及ぶ、とのことで、どのようなものか見ておきたかったが・・・


県道からやや距離があったため、写真だけにした。
道標の先に鬱蒼とした叢林のような森が見えるが、あそこが天翁院だろうか?


県道265号線を北へ進む。


県道265号のほぼ直線の道が続く。


両毛線の線路を渡る。


両毛線は、小山市の小山駅から前橋市の新前橋駅までを結ぶ。
思川方面(新前橋方面)を見たところ。
両毛線にはまだ乗ったことはない。


村社日枝神社の鳥居


参道のでっかい欅の木は樹齢400年以上だとか。
『うわぁ これはでかいゎ』
思わず感嘆の声が上がる。


樹齢400年以上と云われる欅の大木3本が参道に並んでいる。
人と比べるとその大きさが分かろうというものだ。


日枝神社の本殿は、国道4号線を渡らなければ行けない。
本殿の隣は、祗園城の北の守りである木沢(喜沢)の砦があったそうで、
現在も土塁がその跡をとどめている、との情報に何とか一見したかったが、
参道の続きなのだが、何故か国道4号線が走り、交通量が多く横断歩道も見当たらないため、横切るのは諦めた。
道路の反対側から一礼二拍手するに止めた。


国道4号線との合流点近くに馬頭観音の碑があった。


日清、日露、日支戦争に駆り出された馬(出征)の碑(供養塔)も。
『この辺りは、昔は名馬の産地だったんだろうねぇ』


この近くにある筈の「喜沢一里塚碑」を訊ねるが、良く分からないとのこと。


国道4号線と合流し、きょろきょろしながら進むが、結局日本橋から21番目の「喜沢一里塚碑」は
見つけることが出来なかった。
『見落としちゃったのかしら』


国道4号線をさらに北上する。


道路右側に橿原神社があった。
ここは、横断歩道があるので、安心して渡れた。


参道の八重桜のトンネルがまさに満開状態なのが嬉しい。
参道両側のぼんぼりが、何となく関西方面の寺社を連想させる。


『きれいだし、風情があって良いわねぇ』


橿原神社の本殿
橿原と言えば奈良の樫原神宮を想いだすが、
説明板によると、往古、この地の氏神様は「星宮神社」であった。
明治五年、敬神の念篤き氏子等が集い、九州は宮崎神宮より御神霊を勧請し、
「橿原神社」と名を改め創建された、とあるので、奈良の橿原神宮は関係なさそう。


神社の境内でお年寄りがゲートボールを楽しんでいた。


国道4号線に戻って北へ進む。
道路の看板が賑やかになってきた。駅が近いのだろう。


11時55分、小金井駅を通過。
(小金井駅前交差点から小金井駅を望む)


小金井駅の少し先に日本橋から22番目の一里塚「小金井一里塚」があった。
『いやぁこれが小金井一里塚なんだぁ すばらしいねぇ』


小金井一里塚は、今でも二つの塚がほぼ完全な状態で残っている。
日光道中で唯一国指定の史跡に指定されている。


時計は11時59分を指していた。
お腹も空いたことだし、小金井一里塚で弁当にしよう!


慈眼寺の山門


山門をくぐと左手に弘法大師作と伝えられる千手観世音を奉安する観音堂があった。
御利益がありそうな観音堂である。
しっかりとお参りしていこう。お賽銭も弾んでおかなきゃ。


境内右手には鐘楼が。


慈眼寺本堂
建久七年(1196)新田義兼の開基で新田一族の祈願所として建立された。
ご本尊は十一面観世音。厄除の観世音で知られる。


慈眼寺境内で一休み。


慈眼寺の隣が、金井神社である。


金井神社の拝殿


本殿の建築様式は一間社三方入母屋造と云われている。
壁面には透彫りや丸彫りなどの彫刻が施されている、そうだがよく分からない。


国道4号線沿いで見かけた小金井宿の旧い蔵造りの家。
地震などの影響だろうか、かなり傾いているのが分かる。


国道4号線をさらに北上。


日光街道は、東北線・新幹線とも並行しているので、電車が通過する度に独特の音が聞こえてくる。
その音はトラックなどとは違うので、すぐに分かる。
昼でも聞えるということは、かなり大きな音なのだ。


道端のお地蔵さん。
どこか違うと思ったら、手にしているのは十字架だ。
十字架を手にしたお地蔵さんは初めて見た。


13時28分、自治医大駅を通過。
ゴールの石橋駅は、次の駅、1時間もあれば到着するだろう。


新幹線の向こうに自治医科大学が見える。


自治医大駅を過ぎると、松並木が現れた。


1Kmほど続く赤松の松並木は、下野市の名木30選に指定されている、とのこと。


道端の芝桜が鮮やか。
今の時期は、色んな花がいっせいに咲いて、目を楽しませてくれる。


慈母観音像は、丸大食品の敷地内に建てられていた。


門の前で、最後の休憩を摂る。
皆さん、大分疲れた様子だが、ゴールはあと少しだ、頑張ろう!!


お馴染みの丸大食品のマーク


国道に背を向けた石仏群
江戸期は、この石仏群の前が街道であったが、開発によって道すじが変わり、
現在は、国道に背を向ける形で建っている。


正面から観ると・・・


国道352号線下を通過


『大きくて見事などうだんつつじだねぇ』
『これだけ大きなどうだんつつじは見たことがないよ』


道路標識に「石橋駅」の表示が現れた。
あと少しで、ゴールだ。


その前に石橋愛宕神社に立寄っていこう。


石橋愛宕神社の境内はかつては古墳だった、そうだが、境内は平でその面影は全く感じられない。


石橋愛宕神社の神楽殿は、夏祭り(おみこし広場)の写真で覆われていた。
とても賑やかな祭の様子が伺える。
7月14日(土)は去年なので、今年は7月13日(土)かな?


石橋駅の標識(0.2Kn)が見えた。


国道4号線を右折し、石橋駅に向かう。


駅前に栃木名物の「かんぴょう」を売る店があった。


珍らしさも手伝ってか、一人が買うと他の人も買いたくなるものだ。
かなりの数の「かんぴょう」が売れたのでは・・・


石橋駅のシンボル、時計台が印象的だ。
人形が動くところを見てみたい。


時計台から駅前の道路を見たところ。
次回の宇都宮宿へはここから歩くことになる。


東北線で、小山駅へ。
少し疲れたが、この日のコースを歩き通した満足感に浸っている様子。


小山駅からは、水戸線に乗り換える。
小山駅構内のコンビニで買いこんだ冷たい飲み物で喉を潤し、満足・満足
『今日は大変お疲れさまでしたっ』



この日の石橋宿で「日光街道」(千住宿から日光東照宮までの約140Km)の約六割(92Km)を歩いたことになる。
「日光街道」歩きも次第に佳境を迎えることになる。
最後まで皆さんと一緒に、楽しく元気に歩き、ゴールの日光東照宮を目指したい。


ウマさんの「日光街道を歩く」 ”の目次へ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「関東ふれあいの道」(神奈... | トップ | 来年こそは! 磯部桜川公園... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウマさんの「旧日光街道」を歩く」カテゴリの最新記事