ナジェージダ

ナジェージダ、それは日々の生活。

引っ越し完了(ブログなんぞ書いている場合ではない!)

2009-01-26 20:14:49 | Weblog
 1月12か13日に、次の更新をするかどうかの期限が「1月31日」だということに気がついてから、はや10日とちょっと、半ば無理矢理に(?)引っ越しを完了させた。

 場所は前住んでいたところからほんの少し学校に近くなったところ。最大の違いは木造→鉄筋、というところか。前に住んでいたところは、「階段を上る音がうるさい」というようなデリケートな苦情がくるところだったので、おちおち人も呼べなかったのです。これで安心して人を呼べる。

 試験が1月28日から2月6日まであるから超特急で仕上げた。1月の予定は様々に様変わりしてしまった。勉強予定が狂い(ブログなんて書いている場合か!)、友達とのテニスの約束も果たさなければ(本番のための体力増強という名目で始めたテニス、こんなに面白いとは思わなかった!)。

 試験が終わったら、落ち着くべさ。

p.s 本番の配点が変わったということで先輩達がざわついてた。

http://www.moj.go.jp/SHIKEN/SHINSHIHOU/h21jisshi.html

発表が遅くてかわいそうな気がする。これで、今までより、より実力差がはっきり表れる試験に様変わりしそうな気がするな。。。

何にも言えない。

2009-01-23 19:25:29 | Weblog
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090123-00000059-mai-int

http://mainichi.jp/select/world/graph/ghazzah/?inb=yt

どのような論理を持っても正当化できることではないと思う。

「自衛のため」という論理は、終局的にはこのような「先制攻撃論」にまで結びつく。
「政治」は人を殺す。
 このことは歴史的事実だ。古くは、約2500年前のペロポネソス戦争から、最近の6年前のイラク戦争まで。

 政治学はどうなっているのか。
 そもそも、政治学という学問は「政治」を理解するための学問。なぜ理解するのかと言えば、現実の政治をよりよくするため(曲学阿世にならずに)。となれば、どうなれば、政治が人を殺さずにすむのか、について2500年分の議論の蓄積があって、より理論が、どうすれば人を殺さずに済むかと言う点において精錬されてくるのが筋であるはずなのに、今だに先制攻撃論なんていう論理がまかり通っている。

 これは、人間の性だと思うから、未だに戦争が続いているからといって、一重に約2500年間政治学が何の進歩もしてこなかったとはもちろん言えないが、どこかはがゆい感じがする。。

引っ越し!

2009-01-19 02:33:13 | Weblog
 来週の日曜日に引っ越しが決まった!!

予定が弾丸過ぎるが仕方ない!!

 http://www.asahi.com/culture/update/0117/TKY200901170211.html

こういう記事に真っ先に反応してしまう自分はいかがなものか。。。

安部さんが『壁ーS・カルマ氏の犯罪』で芥川賞を取ったのは27歳の時。

自分も一歩でも安部さんに近づけるように頑張らないと。。

最近、ふとした拍子にちらっと『スパイ・ゾルゲ』を観る機会があった。モックンがあの時代のどんよりとした空気をその存在感で体現していてとてもよかったのだけれど、考えたのはあの時代の少なくない人たちにとって「共産主義」というのは魅力的だったということ。

 その後、政治としての共産主義は死に絶えたけど、思想としての共産主義は、資本主義への最も効果的な批判ツールとして生きながらえるだろうと思う。

 いまだに、大学院でも先生は「マルクス」の名前を口にするときは、自分がその思想にコミットしているわけではないというようなことをほのめかしながら使うし、友達の間でも「あの先生はマルクス主義がかっているからね。。。」と、聞いている方からする感じだと明らかに「悪い」ニュアンスを込めてマルクス主義、共産主義、社会主義といった言葉を使っている。

 いい加減、この政治と思想を区別しない、古い「冷戦マインド」がなくなっていけば知的によいと思う。(実際の政治は、多分に思想などという高尚なものとは全く別の論理で動くことが多いし。例えばポピュリズム(人気を取るために人気が集まりそうな政策を行うこと)とか。)。

p.s.そういえば安部さんも元共産党員だった(後に除名された)。そうであるからといって彼の作品を敬遠することは、上にも書いたように(この場合は文学と政治を区別しないという意味で)もったいないと思う。