UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

死刑問題の映画を観てもらってから話しあいをしてもらった・・・・

2016-12-13 01:31:50 | 日記

一昨日の日曜日、12月11日、GGIは知人らと協力して湖都の生涯学習センターというリッパな施設の視聴覚室で、死刑問題についてのドキュメンタリー映画の上映会を行いました

映画の題名は、すでにこの日記で紹介したことがるのですが、「望むのは死刑ですか:考え悩む“世論”」(2015、監督:長塚洋、制作はInstitute for Criminal Policy Researchという英国のNGO)。

この映画は英国で犯罪学の研究を行っている日本人研究者のよびかけで東京都内の会場に集まった135人の、たがいに初対面である様々な市民を対象に、「審議型意識調査」という手法で死刑制度の是非に関する世論調査が行われる過程を、市民たちの話し合い・討論の過程を記録した異色のドキュメンタリーです

「審議型意識調査」というのは、あるテーマについて、世論調査の対象者にあらかじめ専門家や関係者による問題点・争点についてのレクチャーを行い、そのあと調査の対象者どうしで話し合ってもらい、最後に事の是非について問うという調査手法のことです。

この映画では早稲田大学の講義室に集まった135人の市民が、日弁連の死刑廃止検討委員会の弁護士、犯罪被害者支援団体を代表する弁護士、NPO監獄人権センターの弁護士、刑務所長の経験もある犯罪学の研究者、殺人事件で弟を殺害された遺族、刑事法が専門の学者などによる説明を受けた後、四つのグループに分かれて二日間にわたり話し合いを行い、最後に死刑制度に是非に関する調査に紙面で答えます。

この映画のことは以下のサイトに、詳しく紹介されています(「望むのは死刑ですか」というキーワードで見ることができます)

http://nozomu-shikei.wixsite.com/movie

GGIらが上映会を行った会場は、上映設備の整った視聴覚室。定員は約60名。

事前に映画のパンフレットを添えてマスコミにPRしましたところ、サンケイ以外の全国紙の地方版や地方紙が予告記事を掲載してくれました。これは10月はじめに日弁連が2020年までに死刑廃止を目指すという宣言を採択、また9月末には湖国の弁護士会が全国の弁護士会に先駆けて死刑廃止の決議を採択していましたので上映会のタイミングも良く、そのためマスコの反応が良かったということでありませう

当日は映画(59分)上映の後、監督によるトーク(30分)、その後に参加者による質疑と話し合い(1時間)という予定でありました。この映画の監督とGGIらが特に目的としたのは映画で市民が死刑問題に話しあいを行う様子を観てもらってから、上映会の参加者にも映画に登場する市民たちと同様に自由に話し合ってもらうことでありました

上映開始は午後二時、ブルーレイによる映像はなかなか鮮明、会場はほぼ満杯、参加者はおよそ50人・・・まあ、この種の集まりとましては上出来の人数でありませう。GGIは次善に某氏から注意されていましたので、鼻水を垂らさないよう気を使いながら司会を務めました。

司会者はいろいろ気をつかうのですけけれども、開場の前方から参加されたみなさんの表情をうかがい知ることができるという特権が存在しております

ときには居眠りされる方がいないわけでもなかったのでありますが、おおむね皆さんととても熱心に画面を見つめておられていたようでありました。

映画上映後しばし休憩、そのあと監督によるトーク。すでに全国のあちこちでの上映会を経験されているせいか、様々なエピソードを交えてのなかなか巧みな話しぶりでありました。そのなかで監督氏曰く

「日本人は冷静に討論する、自由に意見を交わして考えるということがヘタだと言われることがありますが、この映画がご覧になって、いやいや、そのようなことはない、ちゃんと条件が整えられていれば、みなさん、実に自由に話し、真剣に考えて発言されていることがよくお分かりになったことと思います」

監督のトークが無事終了、さて、ここからが本番であります。上映会参加のみなさん、はたしてどれだけ自由に話してくれるか・・・・司会者としましては責任重大・・・GGIのこれまでの経験からしますと、ほんとうに自由に話していただくのは決して容易ではありませぬ、ご意見をどうぞ、と声をかましても、しばし会場はシーン、寂として声なし、ということが少なくありません

どのような方が参加されているのかよくは分からない、さまざまな立場のかたが参加されているこの種の集まりでは、「自由に質問・意見をどうぞ」などと勧めましても、なかなか意見が出なかったり、たまに意見があっても、問題点を十分に捉えていないピンボケの意見であったり、テーマとはあまり関係がないどうでもいい自分の意見であったり、ただ何か発言したいだけであったりして、核心をついた意見を言ってなかなか言ってもたえないことが少なくないからです・・・

「さてみなさん、これからはこの映画と同様、みなさんに死刑問題について自由に話し合っていただくことにします。さきほどの監督さんの話にもありましたように、どうか自由に話しあってください」

こういう場面では出だしが大切であります。なかなか声が上らず、会場がシ~ンとしてしまうとなると最悪であります・・・最初、しばし静かでありました、これはまずいなあと思っておりましたらややあって、高年の女性が手を挙げました

何やら死刑絶対反対という、活動家風の思いこみの激しそうなマニアックな発言です・・・これはまずいなあ・・・・こういう激しいことを言われると、多くの人、とりわけ迷っている人は引けてしまんだよなあ・・・

次に手を挙げて発言したのはGGIの顔見知りの人物です。こうした場でよく見かけるタイプの人物、何かにつけ、一言発言して自分の存在を示したいというタイプの人物です、何が言いたいのかはっきりしないことをいつまでもダラダラ、周囲の方々はややいらついたような表情・・・・

ますますまずいなあ、これは・・・これでは自由な話し合いからはほど遠い、困ったなあと思っておりましら、この人物の近くに座っていた別の男性がはっきりした口調で発言、

「私は今まで死刑があるのはあたりまえだと思っていました。死刑のことなんか考えたことはなかったのですが、この映画を観て、考えが変わりました。これからは死刑問題についてもっと真剣に考えて・・・・」

やれやれ、ようやく話し合いが軌道に乗りそうな雰囲気、でもこの方の発言はなんだか優等生過ぎる気がしないでもない、もっと踏み込んだ話をと思っておりましたら、徐々に発言が増え、話しあいらしくなってきました

映画では、自分の弟を殺されたけれども加害者を死刑にすること被害者遺族の方が話されていました

死刑にしないで生きて償ってほしい、加害者と被害者遺族の「出会い」が大切、裁判では真相は明らかにされない、加害者と直接話すことことで、なぜ殺したのか、なぜ殺されたのか、ことの真相を知りたい、加害者が処刑されたのではそのようなことはできなくなる・・・・

この被害者遺族の話に関連して、同じような人物を、殺人の被害者遺族なのに死刑を願っておらず、死刑廃止を熱心に求めている人物を、私も知っているという発言が飛び出したりいたしました。

(このような加害者と被害者遺族の出会いを重視する考え方は、米国では「修復的司法」Restorative Justiceと称されています。)

でも、「死刑制度は法哲学的にはどのように位置づけたらよいのか、どう考えたらよいのか」などというヤケに高級?で抽象的な質問が出たりして、監督さんもGGIもおおよわり、しかし監督さんは何やら上手に応えておりました

だんだん発言が増えて話し合いらしくなってはきたのですが、どちらかというと死刑制度に批判的な発言が続きます・・・これではほんとの議論になったとはいえないなあ、死刑に賛成の声が出たうえで議論が進んでいくといいのだがなあと思ってりしておりました、うしろの方にいた中年の婦人がためらいがちに話をしはじめました

「私は交通事故で大切な息子を失いました・・・無謀な運転の犠牲になったのです・・・・初めは息子を失ったショックだけだったのですが・・・でも、事故のあと、加害者の弁護士さんが補償の話などのために来るだけでありました、肝心の加害者本人は姿を現さないのです・・・謝罪しに来ないのです、まったく謝りに来ないのです・・・・このため、息子が殺された直後はそうでもなかったのですが、加賀者に対する憎しみが、恨みがしだいに増し・・・加害者を、息子を殺した人物を激しく恨み、憎むようになりました・・・」

だんだん声が激しさを増すとともに泣き声になっていきます

「とにかく息子を返してほしい・・・息子を返してほしい・・ただそれだけです・・・息子を返してほしい、息子を返してほしい!・・・」

この婦人の悲鳴のような泣き声が会場いっぱいに響きます・・・

GGIとしましては何もできませぬ、ひたすら泣き止んで、落ち着きを取り戻されるのを待つだけでありました

ようやく被害者遺族のの率直な声を聞くことができましたので、GGIは申しました。

「どうでしょうか、これまでどちらかと言えば、死刑制度に批判的な声、戸惑いを覚える声が多かったようですが、死刑制度に賛成というか、死刑制度はあってもいいのではないかとお考えの方はおられないでしょうか?」

すると一番後ろの席に座っておりました大学生ふうの若者が手をあげました。明るい声でありました

「あの~ですねぇ・・・確かに、死刑には冤罪の問題とか、犯罪抑止の効果は疑問であるとか、いろんな問題はあるのですが、でも死刑制度はあったほうがいいのじゃないかと思います・・・・」

そうしますと、この若者と同じくいちばん後ろの席にいた、遅れてやってきた若い女性からも同じような意味の発言がありました。

GGIは、なんとなく若者は死刑の問題点を理解すれば死刑制度に疑問を感じるようになるのではないかという勝手な先入観を抱いておりましたので、これはやや意外でありました

そうこうするうちに予定の1時間が過ぎようとしておりました。そこでどうしても発言してほしい人物がおりましたので、GGI、その人物と視線が合ったときに、「もうそろそろ時間も終わりに近づきましたので、ぜひこれだけは言っておきたいと言う方はおられませんか」と意識的に声をかけました

この人物、体格のよい、日焼けした、毛糸の帽子をかぶった老人であります。

彼はいろいろな発言を、終始うつむいて、不快そうな暗い表情で聞いていました。何かしきりにり考えているようでありました。ぜひ言いたいことがあるけれど・・・迷っているようであり、GGIは終始気になっておりました。

この人物、しばらく待っておりましたら、ついに重い口を開きました。会場に響き渡るような怒りを含んだ大きな声でありました

「あのなあ、みなさん、さきほどからなんかエライ難しそうな話をしてはるけど、悪い事をしたヤツは、人を殺したヤツは、みんな死刑にしたらええのや!さきほどからいろんなこと言うてはるけど、人を殺したりしたヤツはさっさと死刑にしたらええのや!悪い事したのやから、あたりまえや!、それになあ、悪いことしたヤツをいつまでも税金で食わすことはないのや!」

会場は静まりかえりました。GGIが思っていたとおりでありました。彼は死刑断固必要という考えの持ち主だったのです。

ここで予定の時間が過ぎました。非常に強烈な発言でしたので、GGIはアディショナルタイムなしでタイムアップということにしました。

この人物の強烈な発言のインパクトが消えないうちに、今日の上映会についてのアンケートに答えてほしかったからであります。

アンケートには大半の方が答えてくれました。この種の集まりではアンケートを行いましても回答してくださる方はあまり多くないのですが、8割がたが回答されたようであり、GGI、これは成功かなあと思ったりしました

アンケート用紙に自由に何でも記すことのできるスペースを大きく設けておきましたところ、多くの方が熱心にいろいろなことを記されていました

なかには、「死刑のことなんかこれまで考えてもみなかった」と正直に記している方もおられました。

ですから、この上映会、いくらかみなさんのお役に立ったのではないかとGGIは勝手に思い込んでおります。

死刑問題における一番のハードルは被害者(遺族)感情の問題です。また被害者ではない一般の市民における、自分とは直接関係のない他者への抑えきれない処罰感情です。

この上映会では、想定外ではありましたが、被害者感情と他者への処罰感情が、映像ではなく、直接生の形で参加者のみなさんの眼前に示されることになりました。そのために参加者のみなさん、死刑について改めて考えざるを得なかったのではないかということが、一つの成果ではなかったかなあ、とGGIは勝手に考えております

今日の写真はこの映画のチラシを撮ったものです。10月6日の日記に用いた写真と同じです。このチラシには絞首刑に使われる綱の写真が掲載されていますが、監督さんの話では、これはチラシ作製のために用意した綱であり、実際のものとは異なっているぞうです。関係者の話ではと断ったうえで、監督は「ほんとはこの綱の周囲に皮製の覆いが施されているそうです。皮のほうが、体(首)に食い込みやすいからだそうです」と説明されていました・・・・

また、長塚監督の話では、このドキュメンタリーを制作する企画をテレビ局などに持ち込んだが採用されず、そのためこの世論調査のプロジェクトも映画の制作も、複数の欧州の政府機関(スイス大使館など)の助成金を受けて実現したとのことでありました。

グッドナイト・グッドラック!

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