ナンキンハゼの舞台は終わりにちかづいています。次々に枯葉が舞い落ちていきます。ナンキンハゼ君、もう自らの黄金の日々が残り少ない悟ったのでありませうか、真澄の空に燃えるがばかりに、その最後の華麗なる姿を見せております。
今日の写真は燃え盛るナンキンハゼの最後の姿といってもよいでありませう。どうかクリックして最後の姿を愛でてやってくださいませ。
数日のうちにナンキンハゼは枝だけが目立つ冬姿に転じるありませう。
植物によっては、自分の最後を悟っているのではないかと思われるような様子を見せることがあります
いつのことであった、二十年以上はむかのことでなかったか思いますが、ある年の初夏のころ、エニシダの花が枝いっぱい咲いたことがありました。毎年咲くのですが、その年のエニシダの花、その黄色はこれまでにない輝きを伴っており、ただの黄色ではなくまさゴールドというにふさわしく、異様といってもよい美しさでした。
これはGGIだけが思ったのではありませぬ、あるときカメラを手にしてガーデンの前を通りかかった青年、わがガーデンに入ってきて、「あのエニシダ、輝くような黄色の花、とてもきれいですね、写真を撮らせてもらっていいですか」と申しました
もちろんGGIはどうぞ、どうぞと答えたのでありますが、この青年が写真を撮っていってからまもなく、エニシダは突然、あっという間に全身が枯れてしまいました、黒々とした枯れ木だけが残されました
このエニシダは自分の最後を知っていのでありませう、自分の命が間もなく尽きることを知って最後の輝きを見せていたのでありました。
また旧八重葎庵時代、勝手口の近くに大きなサンショウの木が植わっていました、何かの用事で寄った人が、これはいいサンショウの木ですねと褒めていったりしたものでありました
また、わがマザーはこのサンショウの木をたいへん愛でておりました。このサンショウの木、台所の窓からも見ることができますので、かつてわがマザーは家事をしながら、このサンショウの木を眺めて楽しんでおりました。
ところがマザーが亡くなってしばらくして、このサンショウの木、あのエニシダと同様、あっというまに全身が枯れてしまいました
サンショウの木は悟ったのでありませう、GGIは私なんかに何の関心も示さないけれど、マザーは日々私を愛でてくれた、ものあのマザーが亡くなってしまた、もう生きていても意味がない、私にも死期が訪れたのだ、やっぱりここで殉死することにしょうと思ったのでありませう。
昨日、重病に陥っている知人を訪ねました、知人は大病院での最後の検査から帰宅したところでありました。
8月半ばから数か月の間に、身長170数センチであった知人、体重が激減、60数キロあった体重、いまでは40数キロ、あるとき、普段は坊主頭のこの知人曰く
「おいGGIよ、俺がベッドに横わたっている姿、まるでアウシュビッツの囚人みたいやろ・・」
GGI、返す言葉がありません、すべの言葉を喉の奥深くに呑み込みました
「もう全身に広がっている。手術はとても無理、薬が効く可能性は小さい、今日か明日、何がおきてもおかしくない」
これが「すべの包み隠さずほうとうのことを教えてほしい」という知人の強い要望に対する某日赤病院の優秀なる若き女医さんのご宣託でありました。
あと数日か、数十日か、数カ月か、数百日か、あとは神のみぞ知るというしかありませぬ。
知人は自分の死期をしっかりと悟っています。
彼はこの女医さんにはっきりと告げました。
「覚悟はできています。最後は自宅で死ぬつもりだ。在宅による終末期医療の経験が豊富な医療機関を教えてほしい」
その場で、女医さんはあれこれ調べ、幸い知人の自宅近くに在宅医療の経験が豊富な医療機関があることを見出し、すぐにこの医療機関と連絡をとり、在宅医療のための体制を整えるためにあれこれ手配をしてくれたそうです。
人の最後は様々であります。深夜になって、家族を在宅医療で看取った経験があるという別の知人が偶然電話してきました。いろいろ話をいたしましたら「当初、最後は在宅で」と主張したところ、病院側はいい顔をしなかったので若干苦労した」とのことでしたが、結局は本人がどうしたいのか、医者に嫌がらても本人の意思をしっかりつ伝えることが何よりも大事とのことでありました。
寒くなります。みなさんも風邪などひかれぬようご用心くださいませ
グッドナイト・グッドラック!