休みの今日は午後から父を誘って実家近くの父所有の山に登った。目的はビワちぎりだ。久しぶりと言っても10年前くらいか、その時までは立派に実っていた。当時妻と義母、幼い長男を連れ、父の案内でその山に登った。途中、雑木に1mは優に超えているヘビが絡まっていて、たまたまヘビ嫌いな義母がこれを見つけ、腰を抜かせたことがあった。みんな大笑いしたものだが、本人は地べたに座り込んでしまい、これこそ本当に腰をぬかすという表現にピッタリ当てはまった格好。それ以来かな。懐かしい想い出に残る山だ。最近は山のどの所有者も高齢化が進み手入れしていない状態。いたるところ雑草が伸び放題。場所によっては杉も細くスリムに成育している。人間でいうならガリガリ君か。私でないことは確かだ。
急に思い立った。ビワ狩り。スーパーで露地物のビワが出回っているのを見て「季節だなぁ」と思っていた矢先、仕事途中、ある自宅の庭先にまだ成長途中のビワの果実を見つけた。「よっしゃ、今度の休みは実家所有の山に登ってビワ狩りだ」と決め付けていた。ところが、そのことも忘れていて、午前中は会社で今週から始まる中学生の受け入れ(職場体験学習)の準備をしていた。それでビワのことなど忘れてしまっていた。車に乗る途中ふと思い出した。午後2時過ぎ。まだ陽も高い。「居るかな」、実家の父を訪ねた。すると本を読んでいたらしく「山に行こう、ビワの成る山」。いきなりだったので私の言葉にも重い返事だった。しかし、しきりに私が行こうと誘うと、ようやく重い腰を上げてくれた。行くと決まれば準備がいい。さすが百姓の長男だけある。長袖、長ズボン、所有の山には沢があるので長靴、タオルを腰に巻き、軍手をはめ手には鎌を持って。私はといえば誘った方なのに、半袖にカジュアルシューズ、帽子もないときた。これでよく山に登ると言ったもんだ、と父は思ったかもしれない。長袖の薄い上着を借り、帽子の代わりにタオルを頭に巻いた。結構百姓の息子に相応しい格好であった。
久しぶり父との会話も弾んだ。「俺が元気なうちにうちの山がどこにあるかくらい知っておかないとな」。この言葉のころには父も上機嫌だった。戦前この山は市の山だったが、戦後食料難を迎え、地元の人たちにイモを植えて生活するようにと無償で市から贈られたという。その代わり管理はすべて自分たちでというのが、無償の条件だった。最初は皆がイモを植えて収穫していた。ところがこの山はなだらかな部分が少なく、傾斜のあるところばかりで、収穫したイモを担いで降ろすのも大変とばかりにイモの生産は自然にストップ。それからは茶を植えたり、クリやウメ、カキにビワと実の成るものに移行し始めたという。
私が幼い幼稚園か小学低学年時代までは祖母に連れられ、よくここに登った。特にこの薫風の季節、お茶やウメが出回る頃に付き合わされたものだ。その記憶を今もはっきり覚えていて、大量のビワが脳裏に強烈に焼きついていた。
この歳になるとそういった幼い時代の想い出を再現したくなるものだ。秋はアケビ獲り、春はワラビ獲りとこれから先は名人(父)にお願いして連れてってもらおう。一人では身の危険を感じるから。わけは登り口に数件の民家があって、その一番山よりに自宅と山の間に野菜畑がある。ここに最近イノシシが出没してくるようになったという。そこの住人は網で侵入を防ぐべく策(柵)をこしらえていた。ところが相手イノシシは親子4頭でその畑を荒し、夜、物音で気づいたその住人は畑の中にいるその物体を見て驚いたという。すでに本人は畑の中に足を踏み入れた後だった。それからその人は動いてはいけないと直立不動。子と一緒にいるイノシシも気が荒れていて大変だったとか。「生きている心地がしなかった。死ぬるかと思った」と父に話したという。私が小さい時には野生のイノシシなどこの山でもみたことはなく、ましてやこんな近くの人里まで降りてきているとは。テレビの特集で山に実のなる植物や好物の葉がなくなり始めた、というドキュメント番組を見ることがある。主にクマなんであるが保護動物の場合は首に発信機を取り付け、再び山に帰し、行動範囲を知るような追跡調査も行なっているところもある。まさかそこまではやらないと思う反面、今回のイノシシ騒ぎもクマの実態に近いものがあると私は感じた。そう、ここにもイノシシの好物がなくなってきたのかと。
イノシシはやぶの中を移動して生活するため、ダニなどの寄生虫がつきやすい。そのため、湿地に穴を掘り、ねそべったりころがったりしてぬぐうほか、寄生虫を防止するためにも役立っている。こうしたどろ浴び場を、猟師は「ぬた場」といい、どろ浴びすることを「ぬたをうつ」という。 そのぬた場を見つけた。最近浸かった跡かもしれない。近くにいることは確かだろう。餌を探しに“放浪の旅”に出ているのだろうか。
ビワの収穫はなかった。というより3本の木全てが跡形もなく消えていた。えっ盗難?まさか、こんな人里離れたこの場所で根から掘り起こして持って帰るバカはいまい。となれば枯れたのか。戦後の食料難で植えられた木である。50年以上は経っている計算。もう寿命だったのか。3本の木が跡形もなく消えていたのには驚いた。10年前までは黄黄したあのビワがここに成っていたのに。でも、収穫よりも久しぶりに父との会話ができて良かった。仕事のことも忘れてこうやって自然に戻るのもいいもんだ。次の収穫はいつだろうか。実の成るものは。
急に思い立った。ビワ狩り。スーパーで露地物のビワが出回っているのを見て「季節だなぁ」と思っていた矢先、仕事途中、ある自宅の庭先にまだ成長途中のビワの果実を見つけた。「よっしゃ、今度の休みは実家所有の山に登ってビワ狩りだ」と決め付けていた。ところが、そのことも忘れていて、午前中は会社で今週から始まる中学生の受け入れ(職場体験学習)の準備をしていた。それでビワのことなど忘れてしまっていた。車に乗る途中ふと思い出した。午後2時過ぎ。まだ陽も高い。「居るかな」、実家の父を訪ねた。すると本を読んでいたらしく「山に行こう、ビワの成る山」。いきなりだったので私の言葉にも重い返事だった。しかし、しきりに私が行こうと誘うと、ようやく重い腰を上げてくれた。行くと決まれば準備がいい。さすが百姓の長男だけある。長袖、長ズボン、所有の山には沢があるので長靴、タオルを腰に巻き、軍手をはめ手には鎌を持って。私はといえば誘った方なのに、半袖にカジュアルシューズ、帽子もないときた。これでよく山に登ると言ったもんだ、と父は思ったかもしれない。長袖の薄い上着を借り、帽子の代わりにタオルを頭に巻いた。結構百姓の息子に相応しい格好であった。
久しぶり父との会話も弾んだ。「俺が元気なうちにうちの山がどこにあるかくらい知っておかないとな」。この言葉のころには父も上機嫌だった。戦前この山は市の山だったが、戦後食料難を迎え、地元の人たちにイモを植えて生活するようにと無償で市から贈られたという。その代わり管理はすべて自分たちでというのが、無償の条件だった。最初は皆がイモを植えて収穫していた。ところがこの山はなだらかな部分が少なく、傾斜のあるところばかりで、収穫したイモを担いで降ろすのも大変とばかりにイモの生産は自然にストップ。それからは茶を植えたり、クリやウメ、カキにビワと実の成るものに移行し始めたという。
私が幼い幼稚園か小学低学年時代までは祖母に連れられ、よくここに登った。特にこの薫風の季節、お茶やウメが出回る頃に付き合わされたものだ。その記憶を今もはっきり覚えていて、大量のビワが脳裏に強烈に焼きついていた。
この歳になるとそういった幼い時代の想い出を再現したくなるものだ。秋はアケビ獲り、春はワラビ獲りとこれから先は名人(父)にお願いして連れてってもらおう。一人では身の危険を感じるから。わけは登り口に数件の民家があって、その一番山よりに自宅と山の間に野菜畑がある。ここに最近イノシシが出没してくるようになったという。そこの住人は網で侵入を防ぐべく策(柵)をこしらえていた。ところが相手イノシシは親子4頭でその畑を荒し、夜、物音で気づいたその住人は畑の中にいるその物体を見て驚いたという。すでに本人は畑の中に足を踏み入れた後だった。それからその人は動いてはいけないと直立不動。子と一緒にいるイノシシも気が荒れていて大変だったとか。「生きている心地がしなかった。死ぬるかと思った」と父に話したという。私が小さい時には野生のイノシシなどこの山でもみたことはなく、ましてやこんな近くの人里まで降りてきているとは。テレビの特集で山に実のなる植物や好物の葉がなくなり始めた、というドキュメント番組を見ることがある。主にクマなんであるが保護動物の場合は首に発信機を取り付け、再び山に帰し、行動範囲を知るような追跡調査も行なっているところもある。まさかそこまではやらないと思う反面、今回のイノシシ騒ぎもクマの実態に近いものがあると私は感じた。そう、ここにもイノシシの好物がなくなってきたのかと。
イノシシはやぶの中を移動して生活するため、ダニなどの寄生虫がつきやすい。そのため、湿地に穴を掘り、ねそべったりころがったりしてぬぐうほか、寄生虫を防止するためにも役立っている。こうしたどろ浴び場を、猟師は「ぬた場」といい、どろ浴びすることを「ぬたをうつ」という。 そのぬた場を見つけた。最近浸かった跡かもしれない。近くにいることは確かだろう。餌を探しに“放浪の旅”に出ているのだろうか。
ビワの収穫はなかった。というより3本の木全てが跡形もなく消えていた。えっ盗難?まさか、こんな人里離れたこの場所で根から掘り起こして持って帰るバカはいまい。となれば枯れたのか。戦後の食料難で植えられた木である。50年以上は経っている計算。もう寿命だったのか。3本の木が跡形もなく消えていたのには驚いた。10年前までは黄黄したあのビワがここに成っていたのに。でも、収穫よりも久しぶりに父との会話ができて良かった。仕事のことも忘れてこうやって自然に戻るのもいいもんだ。次の収穫はいつだろうか。実の成るものは。