カンパのお願い
5月30日に結審があります。
徳永弁護士も手弁当で支援して下さっていますが、
打ち合わせ等をするにも交通費等の出費を無視できません。
カンパは支援している三善会にお願いします。
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ゆうちょ銀行からの振込の場合
【金融機関】 ゆうちょ銀行
【口座番号】 記号:17010 口座番号:10347971
【名 義】 サンゼンカイ
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【金融機関】 ゆうちょ銀行
【店 名】 七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店 番】 708
【口座番号】 普通:1034797
【名 義】 サンゼンカイ
~轟の壕編~ 15
宮城らは日本語将校のジェーファソンの言葉というよりも、その態度に感動した。誰かが言った。「敵ながら勇敢な奴だ」
朝子さんの言う通りだ。アメリカ人は俺たちを殺さない。アメリカ人も人の子だ。宮城は全ての迷いを振り払った。「よし、この壕を出よう」。彼は佐藤特高課長ら奥に潜んでいる避難民に告げた。「皆さん、ここを出ましょう」。その声は明るかった。
佐藤も数十人の避難民も異議を甲し立てる者はなかった。南の壕の避難民は弱り切っていたが、急に元気を取り戻し、壕の出口に向かった。眩しい陽の光と飢えでクラクラする者がいたが、宮城らが手を差し伸べて険しい坂を上っていった。
アメリカ兵も壕の出口まで下りてきて避難民を助け上げた。一時間もしないうちに全員が太陽の下の草原というよりも石だらけの大地にいた。失神する者もいた。緊張の糸が切れて、安心したのだ。
「次は下の壕だな」とジェーファソンは朝子さんに言った。だが、朝子さんは「下の壕には陸軍兵十数人がいて、軽機関銃を出口に据え、出てゆく者を撃ち殺そうとしていまず。あなたが行けぱ必ず、撃ってきます。危険すぎます」。
ジェーファソンは朝子さんに説明した。避難民を救出できなくとも、この壕を爆破しなければならないのだ。これは海兵隊上層部の命令で、下っ喘の日本語将校の立場ではどうにもならない。
朝子さんは引き下がらなかった。「あの壕には数百人の住民がいます。私の友人も親賊もいます。それだけではありません。子供たちもたくさんいるのです。どうか、爆破しないで下さい」。彼女はジェーファソンに真剣に訴えた。
爆破班の兵士たちは爆薬を次々、トラックから降ろし、爆破作業の準備を始めていた。彼女は爆破班の指揮官の所へ走り寄り、叫んだ。「どうか、やめて下さい。壕の中には子供たちもいるのです。助けてやって下さい」。指揮官は美しい島娘が目を真っ赤にして、英語で訴えてくるので仰天した。
彼は朝子さんが涙を流して訴えるのを始めのうちは好奇の目で見ていたが、最後に笑顔で一言、告げた。「OK、分かった。今日のところは爆破計画を申止しよう。師団長と相談してどうするか決めよう」。彼としても、いくら命令とは言え、沖縄戦が終わった今、多数の住民が潜んでいる壕を爆破して封鎖するのは気が引けた。
その日、朝子さんら数十人の救出された住民と海軍兵らは伊艮波の住民収容所へ送られた。朝子さんはその夜、久しぶりにベッドの上で眠ることができた。
だが、壕の中の数百人の住民のことを思うと辛かった。果たして、あの大塚軍曹が住民を解放してくれるのだろうか。
六月二十五日朝、朝子さんはジエーファソン中尉に呼び出された。そこには宮城兵曹長ら数人の海軍兵が晴れやかだったが、真剣な顔つきで待っていた。ジェーファソンは大救出作戦が展開されることになった、と告げた。全員ジープに乗せられ、轟の壕に向かった。巨大なスリ鉢の周囲には百人以上の海兵隊員が物珍しそうにスリ鉢の底を見下ろしていた。
ジエーファソンは朝子さんを海兵隊の指揮官と思われる人物に紹介した。
実は第6海兵師団長のレミュエル・シェパード少将だけでなく、第3海兵軍団のロイ・ゲイガー中将までが救出作戦の現場に姿を見せていたのだ。朝子さんは二人の将軍に壕内の様子を説明した。杖を手にした二人の将軍は朝子さんの話を興味深そうに聞いていた。
─つづく
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