ROMANTICA

by ucchee

つづきの

2005年09月27日 23時03分01秒 | thinking
学校生活だとか旅だとか引越しだとかいう節目ごとに、私たちは始まりや終わりを意識する。始まりがくるとなんか自分が違う人になれるような気がする。
でも実際そんなことなくて私は前のままの私。そんなに変われない。だから「つづきの私」を大切にしようと思った。

こんなことを言うのは、昨日部屋の掃除をしていたら去年使ってたノートが出てきた。目に留まったのは「やりたいことベスト100」。当時新たな自分を始めるべく書いたもの。(今考えると、何でそんなことしようとしたのかわからんが。。。)
もうすぐ実現できそうなこともあったけど、幾つかはもう永遠に実現できなくて、やっぱり大部分はやりたいことのままだ。
「変わんないなぁ。」と思いつつも、一年前とは違う音楽を聴けて、違う本を読んでいる自分がいる。そんなちょっとの変化が嬉しい。「つづきの私」これからどこへいくのか。全然見通しは立たないけど、まぁいっか。私の速度で、のんびりいこう。



みんなでつくろう

2005年09月23日 00時03分35秒 | job

一回目の3連休が終わり、子供たちは宿題の作文を持って登校してきた。土曜日に行われた運動会のことが書かれた作文。みんなの思いが一杯詰まっていた。

運動会近くなると、うちのクラスは朝練があった。リレーの練習をするのだ。教室に行くと黒板にでかでかと「運動場に集合!」と書かれてた文字。ほんとにほんとによく練習した。「運動会の種目の一つ、クラス対抗リレーには絶対に負けられない!」みんなが奮起しバトンパスの練習、隣クラスにプレッシャーを与えるよう心理作戦、そしてなんと祝勝会まで計画していた。

自分たちでつくっていく、「早い子遅い子関係なくベストを尽くすことでタイムを縮めよう」という姿を見れてうれしかった。だから、どうしても勝たしてあげたかった。1,2フィニッシュが目標。でも結果は3,4位。上2つは隣のクラスに持ってかれてしまった。

 

 みんなの作文にはリレーのことばかりが書かれていた。「悔しい」っていう言葉を何回読んだかわからない。でも、「バトンパスもうまくいった。みんなが全力で走った。」これはゆるぎない事実だということもみんなわかっていた。そして私が悔しくて隅っこで泣いていたことも作文に書かれていた。「あんなに練習したのに。。」ってしゃくっていたことまで。運動会で泣くなんて初めてだった。今回、一連の練習を見守っていたつもりだったけど、私もみんなに見守ってもらっていたのかもしれない。そう思った。

そして、祝勝会は。。。がんばったね会&持久走大会に向けての決起会に化けた。勝利の宴はできなかったけど、この26人と一緒ってすばらしい☆

ちなみにうちのクラスは赤組でした。


石川文洋

2005年09月20日 21時50分33秒 | photos

先程、本屋で石川文洋の新刊本を発見。「死んではいけない」というタイトル。本を手に取ることもなく素通り。彼の本の2冊がうちの本棚に並んでいる。

今回の出版に先立ち「死んではいけない」という講演会が8月に開かれた。聞きにいったのだが、どうもしっくりこなかった。第一彼の言葉じゃないのでは??と思う節があった。彼の考えと言うより朝日新聞の考え??
ベトナム戦争の悲惨さを私たちに話した。アメリカ軍がどんなにひどいことをしたかって、スライドを交えて刻銘に。「なぁ、残酷だろ。戦争ってよくないぜ。」っていうがごとく。正直言って聞きたくなかった。
彼は「ベトナム人がどれほどひどい仕打ちをされたか伝えたくて撮った」と言った。アメリカ軍に従軍して。アメリカ軍に従軍して?目の前で殺されていくベトナム人をアメリカ軍側から撮った。残された家族が心配で25年後会いに行った。と誇らしげに語っていた。
わかんない。なぜ会いにいけるの?そりゃベトナム軍に従軍してりゃ話は別だけど。
アメリカ軍に従軍しながらベトナム人の肩を持つ???

沢田教一もベトナム戦争を撮った。アメリカ軍に従軍して。でも、沢田の従軍と石川文洋の従軍は少し意味合いが違うと考える。世界で何が起きているのか伝えるただそれだけ。ベトナム人の死体も撮るし、アメリカ人の死体も撮る。どちらかの肩を持たない。事実を伝え、提示し、見た人が判断する。押し付けない。その違いなんじゃないか。
私は沢田教一が好き。沢田がピリッツァー賞を取った『安全への逃避』を撮影した後5人を助けたことも私が沢田教一が好きな理由の一つ。
そして長倉洋海☆いろんなジャーナリストがいるもんだ。

私の中のメメント・モリ

2005年09月16日 04時56分33秒 | thinking
闇の中で光が見える。このことを意識したのは私が小学校2年生のころ。

詳しく説明するの難しいんだけど、夜、布団に入ってから真っ暗な部屋で目を開けたままにする。同じ一点だけをじっと見つめていると、薄い光の大群が見えてくる。しばらくすると目を動かしても模様が見えたままになったりもする。
それでよく大量の星のような光を目で操って遊んでた。瞼を閉じたまま目をくりくり押さえたりしても、じわーと光が浮かび上がってきたりする。頭おかしいんじゃないの??って思われるかもしれないけど。
後になってわかったんだけど、これは『閃光』という科学的な現象みたい。

当時、一緒の部屋で寝ていた父親に「光のてんてんが見える。」って言っても全然取り合ってくれなくて、「それはおばけだよ。」とか「死んだ人の魂だよ。」なんてからかうものだから、ばかなあたしゃまんま信じてそれから夜がすごい怖くなった。(ついでに言うと、窓に映った弟の姿を指差して「もう一人の弟がいる。」って言ってドッペルベンガーの説明を幼い私にした。ひどい父親!!幼い娘を怖がらせて何が面白いのか。。。)

そのてんてんの光をみながら「死んだらどうなるんだろう。」って毎夜考えていた。「お父さんやお母さんが死んじゃったらどうしよう。」って心配して、怖くなって結構な割合で泣いていた。当時の私にはかなりシビアな問題。
こんな感じで、夜になる度に死を想った。怖いのは肉体が存在しなくなることではなくて、意識が存在しなくなること。「無」になることがめちゃんこ怖かった。小さいから意識とか無とかわからなかったけど、感覚でそんなようなことを考えていた。

今でも相変わらず『閃光』も見えるし『死』も怖い。でも他に考えることがいっぱいあるし、第一疲れていて横になるとすぐに眠ってしまう。だからめったに捉われることはない。
でも、まわりで誰かが亡くなったりだとか、旅をしていて自分に余裕がある時は今でも、小学2年生のときの私に戻ってしまう。でも、もうおばけは信じられない。だって死んだら無になってしまうのだから。。。

死が怖いのは、多分私が無宗教で唯物派だからだ。
でも、一度だけ不思議な感覚に陥ったことがある。数年前、歴史に詳しい友人と散歩をしていた。友人が語る日本の歴史がおもしろくって、「その時代にいって歴史をナマで見れたらどんなどんなに楽しいか。」という会話になった。そこから発展して「X軸、Y軸、Z軸、時間軸、全ての世界を制覇するには死ぬしかない。」こんな結論にうちらは至った。世界の叡智を把握するだけじゃなくて、叡智そのものにもなれる。全てを超越できるかも。。。と。無になることは全体の一部になること。無になることは全てになること。そのときは死について深く考えてたはずなのにぜんぜん怖くなかった。死が魅力的でさえあった。   
でもそう思えたのは後にも先にもその一回きりだけ。

のりこむぞぉ

2005年09月14日 21時47分58秒 | travel

9月の終わりに友人たちと無人島に乗り込む☆ なんて周りに話しても、「またまたー、ロビンソンクルーソーでも読んだの?」で片付けられかまってくれない。もう!ほんとに乗り込むんだから!!だいぶ前から、私の中で○○島はかなり熱くて「どうにかしていけないものか。」と思案していた。でも島まで船が出ていない。水がない。島に上陸するのにものすごい体力が要る。なんて3拍子揃っているんだもの。私一人では危険だし、どうしようもないじゃない。だから上陸計画は数年間私の心に温められていた。しかし、しかしだ。偶然にも同じことを考えている友人たちが案外近くにいることが最近になってわかった。あれよあれよと話は進み、現在「探検のしおり」製作中。持ち物から島でのルール、料理当番、島に上陸したときにうたう歌とか、上陸を諦めたときにうたう歌とか、上陸はしたものの帰れなくて途方に暮れたときにうたう歌まで載せる予定。 万事順調にいっているかのようだが、夏のパキスタンが私の中で楽しすぎて思い出に浸りすぎ、島モチベーションがあがらないのが現状。イエメンや恐山の誘惑も私の士気を下げている。ゆえにしおり作りも私の分担だけ遅れをとっている。やばっ。

 「もっと熱くなれよ。熱い血燃やしてけよ。人間熱くなったときが本当の自分に出会えるんだ。だからこそ、もっと熱くなれよぉーーー!!!」(松岡修造より)

 


なっはっは

2005年09月12日 21時27分45秒 | travel
アナザーニュートラルなるものを手に入れた。
ニュートラルは最近気に入っていた雑誌。
イスラム グヮイドブックが出てるなんて☆
セネガルも ウズベキも チュニジアにオマーンについでにアフガン
そして イエメンも
つゎくさんのっています。これで秋の夜長は数日楽しめる
わーい わーい 
右の本もおすすめ。イスラムの旅必携でござる☆

無題

2005年09月12日 04時04分17秒 | words
千里の靴をも履かないあなただからあなたの世界を聞きたいの
あなたの声が聞こえる場所へそっと会いに行きましょう
何も変わらずに会いましょう そんな素敵な明日へ

引き合う孤独が幸せなんて私はそれまで知らなかった
風にも揺らぐ孤独を支え かみしめているあなたの青が
いつしか私のチカラになるの
あなたが夢をみれるのならば あなたの愛を唄うわ
あなたの愛を唄える場所へ

太陽のばかやろう

2005年09月10日 23時31分43秒 | job
小学校は、もうすぐ運動会。われら赤組応援団の練習も熱が入る。
放課後の練習の時のこと、疲れているのかどうもイマイチ元気がない。そこで発声練習。我ながらよいアイデア☆夕日に向かって「太陽のばかやろー!(言葉がきたなくてしゅみましぇん)」一人一人叫んだ。ついでに私も。
「太陽のばかやろー」に始まり「ご飯だぞー」「ラブ アンド ピース」などなど。すっきりしてふりかえると校長の姿が。。。

無題

2005年09月04日 02時20分40秒 | travel
           

           歩き出そうとする僕より
           力強く黙っている世界
           この愛しい静けさに
           僕はまた泣かされてしまう
           見上げた夜空にこの世の終わりを思うことが罪深くて
           言葉にならない悲しみの詩作が僕への罰だとしても



(ぼろカメラでやっと撮れた一枚。後は手がぶれて月があちこちへ瞬間移動してた)

ラーハな日々

2005年09月03日 00時08分36秒 | travel

パキスタンではスカルドゥと主にフンザに。
のんびーりゆったりしてすごしました。久しぶりの朝寝坊、(昼寝坊?)幸せでした。
フンザにきてしばらくして、地元の女の人たちの小麦運びを手伝ったのがきっかけで仲良くなって、その後何回か会って遊ぶようになりました。お互いの服を交換して着替えて遊んだり、髪の毛結び会ったり、手を触り合ったり、日本で友達とそんなこと絶対しないし、はじめとっても気恥ずかしかったけど、嬉しかった。小学校の時友達としたままごとみたいなふわふわした感覚。フンザの女の子達っていつもこんなに近距離でお互い接してるんだ。。。

フンザを出る3日前には、同じ宿の人達をさそって、日本VSパキスタン のバレーの試合も!目立ちたがりのパキ人は「俺にアタックさせろ!」てな感じでチームプレートはほど遠い感じ。トスの上げ方も、もろホールディング。。。でも、なぜか日本チームが完敗。絶対勝てると思ったのに。唯一劣っている点があるなら気合い☆



イスラム

2005年09月02日 23時38分21秒 | travel
わたしたちがイスラムという言葉に触れると必ずといっていいほど「テロ」や「過激派」のイメージが付いてくる。イスラム圏の国に行くと言うだけで「危ない」「よした方がいい」って大反対。でも、イスラムをそんな風にしかみられないなんてすごくもったいないことなんじゃないか。いつからかそう思うようになった。

きっかけはいくつかあるんだけど、一つはイスラム圏を旅した友人の話から。もう一つはアフガンのマスードを知ったから。

マスードはソ連のアフガン侵攻時にゲリラのボスとして戦い、その後、タリバンとの激しい戦いを指揮した英雄。
有能なのに奢ることなく、イスラムの戒律に忠実であり、誰よりも平和と人間を愛していた人。そんな彼が言った言葉。「祖国が平和になったら大学にもどり建築学を勉強したい。」私は、マスードを本でしか知ることができないけれど、どんどん惹かれていった。同時にイスラムにも。
イスラム圏の国が見たくて2年ほど前にモロッコに行った。そして今回はパキスタンへ。とにかくイスラム圏ならどこでもよかった。