中学生の頃のこと。
とつぜん授業中の教室が騒がしくなって窓の外を見ると、
校庭に雨と晴れの境界線ができていた。
校庭に激しく雨が降っているのに、
ある部分から先は定規で引いたようにからっと晴れていた。
地面も乾いている。
はっきりとした境界線が、教室にいる誰の目にも明らかに存在していたのだ。
雨と晴れに境界線があるという話は聞いたことがあったけど、
こんなに明快であるとはおもわなかった。
普段はむだな口をきかない大人しい男性教師も、
「おっ、これはすごいな」と、めずらしそうに校庭を眺めていた。
ずいぶん非現実的な光景に感じたことをよく覚えている。
それいらいわたしは、雨が降るたびに、
雨と晴れを分けるはっきりとした境界線がどこかの場所に発生しているはずだと想像するようになった。
物心ついたときから、境界線について執拗に考える子どもだった。
状態Aと状態Bを分かつものは何かを、飽きもせずに考えた。
境界線に関する思考はひとりでに湧いてきて、
止めようにも止められない。
たとえば、眠りの境界線はどうすればわかるのだろうと悩んでいたときもあった。
布団に入るといつの間にか眠ってしまうので、
いったいどの瞬間に「眠りに入った」のかがはっきりしない。
目覚めた状態と眠った状態の境界線はどこにあるかが知りたかた。
また、「どのていど体調が悪ければ、学校を休んで許されるのか」
も気になっていた。
微熱と風邪の境界線が知りたかったし、
どのような条件であれば学校を休めるのかを
正確に定義してほしかった。
(気が弱かったため、どんなに体調が悪くても親に言い出せず、
がまんして登校するような子どもだったのだ)
子ども心にも、あまりに境界線のことを気にしすぎるのは
不健康であるようにおもったけれど、
境界線について考えることは止められなかった。
精神科医の春日武彦さんは、
境界線についていくつかの文章を書いている。
なかでもわたしが気に入っているのは、
「目黒区と渋谷区の境界線上にまたがって建てられたビル」
についての記述だ。
春日さんは
「どちらの区にこのビルのオーナーは税金を払っているのだろう、などと余計なことが気にかかる」と述べている。
「散歩のたびに、いつも区と区の境界線を意識してしまう。たんに行政上の都合で線が引かれているだけのことだが、それをいうならば子午線だとか赤道だとか国境にしても目に見えるようなラインが引かれているわけではないのである。だが、漠然と地図を頭の中へ思い描きながら、まぎれもなく存在しているはずの境界線を踏み越えることがなぜか嬉しい」
よくわかる、とおもった。ふしぎと境界線は人の思考を刺激するものなのだ。
わたしの大学の校舎も二つの都市にまたがって建っていて、校舎内でA市からB市の境をまたぐ瞬間、うきうきしたことをここに告白する。
旅をしていた時も陸続きで国境を超えることが大好きだった。
ウズベキスタンとトルクメニスタンのボーダーのあいまいな場所で両国の国境が夜で閉じてしまい、
中に取り残されて野宿したときは、さかいのあいまいさのことと
人間とロボットのさかいのあいまいなロボコップのことをずっと考えていた。
「何ごとにも明確な境界線があるはずだ」という、
子どものわたしが感じていた思考は、
「ものごとにはどちらとも呼べない中間の領域がある」
というあらたな段階の認識へと変化していった。
あいまいな領域を排除せず、
あいまいなままで存在させられる方法はないものかと考える。
できれば寛容でありたいし、あいまいな領域を受け入れたい。
すべての境がはっきり決まっている国より、
境界未定地域がある国の方が豊かであるようにおもうのだ。
今年は1年生を端インしている。
クラスの女の子のひとりが、わたしに向かって
「ピカピカの一年生はまだ終わっていない」
と頑なに主張してくるのだ。
母親には「もう終わったでしょう、がんばって勉強しなさい」と反論されるも、「まだ終わってない」と決して自説を曲げようとしないらしい。今日は4月中旬。判断のむずかしいところだ。
とはいえわたしにとっては、6歳の子どもがその視点を持つことじたいがすばらしいとおもってしまう。「ピカピカであること」がいつ終わるのかの境界線もまたあいまいだけど、「じゃあ、いつまでがピカピカの一年生?」と訊くあの子が、これからもずっと境界線について考えてつづけてくれればいいのにとわたしはおもう。
とつぜん授業中の教室が騒がしくなって窓の外を見ると、
校庭に雨と晴れの境界線ができていた。
校庭に激しく雨が降っているのに、
ある部分から先は定規で引いたようにからっと晴れていた。
地面も乾いている。
はっきりとした境界線が、教室にいる誰の目にも明らかに存在していたのだ。
雨と晴れに境界線があるという話は聞いたことがあったけど、
こんなに明快であるとはおもわなかった。
普段はむだな口をきかない大人しい男性教師も、
「おっ、これはすごいな」と、めずらしそうに校庭を眺めていた。
ずいぶん非現実的な光景に感じたことをよく覚えている。
それいらいわたしは、雨が降るたびに、
雨と晴れを分けるはっきりとした境界線がどこかの場所に発生しているはずだと想像するようになった。
物心ついたときから、境界線について執拗に考える子どもだった。
状態Aと状態Bを分かつものは何かを、飽きもせずに考えた。
境界線に関する思考はひとりでに湧いてきて、
止めようにも止められない。
たとえば、眠りの境界線はどうすればわかるのだろうと悩んでいたときもあった。
布団に入るといつの間にか眠ってしまうので、
いったいどの瞬間に「眠りに入った」のかがはっきりしない。
目覚めた状態と眠った状態の境界線はどこにあるかが知りたかた。
また、「どのていど体調が悪ければ、学校を休んで許されるのか」
も気になっていた。
微熱と風邪の境界線が知りたかったし、
どのような条件であれば学校を休めるのかを
正確に定義してほしかった。
(気が弱かったため、どんなに体調が悪くても親に言い出せず、
がまんして登校するような子どもだったのだ)
子ども心にも、あまりに境界線のことを気にしすぎるのは
不健康であるようにおもったけれど、
境界線について考えることは止められなかった。
精神科医の春日武彦さんは、
境界線についていくつかの文章を書いている。
なかでもわたしが気に入っているのは、
「目黒区と渋谷区の境界線上にまたがって建てられたビル」
についての記述だ。
春日さんは
「どちらの区にこのビルのオーナーは税金を払っているのだろう、などと余計なことが気にかかる」と述べている。
「散歩のたびに、いつも区と区の境界線を意識してしまう。たんに行政上の都合で線が引かれているだけのことだが、それをいうならば子午線だとか赤道だとか国境にしても目に見えるようなラインが引かれているわけではないのである。だが、漠然と地図を頭の中へ思い描きながら、まぎれもなく存在しているはずの境界線を踏み越えることがなぜか嬉しい」
よくわかる、とおもった。ふしぎと境界線は人の思考を刺激するものなのだ。
わたしの大学の校舎も二つの都市にまたがって建っていて、校舎内でA市からB市の境をまたぐ瞬間、うきうきしたことをここに告白する。
旅をしていた時も陸続きで国境を超えることが大好きだった。
ウズベキスタンとトルクメニスタンのボーダーのあいまいな場所で両国の国境が夜で閉じてしまい、
中に取り残されて野宿したときは、さかいのあいまいさのことと
人間とロボットのさかいのあいまいなロボコップのことをずっと考えていた。
「何ごとにも明確な境界線があるはずだ」という、
子どものわたしが感じていた思考は、
「ものごとにはどちらとも呼べない中間の領域がある」
というあらたな段階の認識へと変化していった。
あいまいな領域を排除せず、
あいまいなままで存在させられる方法はないものかと考える。
できれば寛容でありたいし、あいまいな領域を受け入れたい。
すべての境がはっきり決まっている国より、
境界未定地域がある国の方が豊かであるようにおもうのだ。
今年は1年生を端インしている。
クラスの女の子のひとりが、わたしに向かって
「ピカピカの一年生はまだ終わっていない」
と頑なに主張してくるのだ。
母親には「もう終わったでしょう、がんばって勉強しなさい」と反論されるも、「まだ終わってない」と決して自説を曲げようとしないらしい。今日は4月中旬。判断のむずかしいところだ。
とはいえわたしにとっては、6歳の子どもがその視点を持つことじたいがすばらしいとおもってしまう。「ピカピカであること」がいつ終わるのかの境界線もまたあいまいだけど、「じゃあ、いつまでがピカピカの一年生?」と訊くあの子が、これからもずっと境界線について考えてつづけてくれればいいのにとわたしはおもう。