ROMANTICA

by ucchee

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ダーチャが目標

2016年07月10日 10時33分44秒 | life
自宅の庭を畑にして野菜を育てている。
今回は、冬に落ち葉を貯めて発酵させて、
自宅で飼っている烏骨鶏と犬の糞、精米した後の米糠を混ぜ
自家製堆肥をつくって、夏野菜に利用した。
したらば、例年より元気な野菜が育ち満足している。

ロシアのダーチャが好きで、
ダーチャのような菜園を目標にしている。
それもあって去年は2回ロシアに行った。
(旧日本領跡にも興味があるので場所は樺太とか極東だけど。)
共産党政権下で厳しい食料事情解消のために、
人々に与えられた土地がダーチャである。
当時の人々は郊外に畑をつくり、小屋を建て飢えをしのいだ。
荒れ地をみんなで開墾することから始め、
何年もかけてつくりあげられたダーチャ。
そのため集落ごとに組合があり、共同で電気をひいたり、
道路や貯水池をつくったり周囲との結束も強い。
そのダーチャが今でも受け継がれて残っているのだ。

殆どのダーチャの柵から家まで全て手作り。
日本の別荘とは趣が全然異なる。

自宅をダーチャのようにしたくて、
柵や鶏小屋、犬小屋、パーゴラを自作した。
だいぶ不格好だけど、愛着がわき夏がさらに好きになった。
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雪の滝谷

2016年05月29日 20時25分28秒 | life
亡き友人が出ている。





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今井くん

2016年05月24日 23時22分46秒 | life
20代の頃、冬休みになると決まって赤岳鉱泉にこもっていた。
正確に言うと赤岳鉱泉で働く代わりにそこに滞在させてもらっていた。(もちろん無給)
そこは大きなアイスの壁があって、時間が空くとアイスクライミングもできたし
雪山登山をして鉱泉までくる変わった人たちと話をすることが楽しかったのだ。

わたしと同じく、冬になるとこの赤岳鉱泉に働きに来ていたのが今井くんだ。
今井くんは駆け出しのクライマーだった。
最期の鉱泉で過ごした冬、その3月に一度教師を辞めようと思っていたから
今井くんと自分の夢のことや将来についてああでもないこうでもないと語り合った。

仕事を辞めて旅に出たときも、チベットのカイラスや、タジクのカラコルムの時も、
アルゼンチンのパイネ登頂のときもいろいろとアドバイスしてもらった。

帰国してからも登山に連れてってもらったりいい友達だった。
「最近連絡してないな、どうしてるかな」と思っている矢先に人づてに
今井くんの訃報を聞いた。

ネパールのチャムラン北壁はまだ単独初登頂をした人がいないとのこと。
その単独初登頂目指しての事故だった。今井くんらしいというか。
事故から半年も経っているなんて。
年下ながらもとても尊敬していた友人にもう会えないかと思うとすごく寂しい。
山に向かって叫びたくなった。

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小説が出版されるときのために

2015年10月13日 12時10分51秒 | thinking
理想的な本のまえがきってどんなものだろう。
作家ミルハウザーの「エドウィンマルハウス」のまえがきは
昔のわたしのひとつの理想形だった。

この本は、「少年が書いた友人の伝記」という設定になっている。
しびれてしまうのが、架空の作者である少年の書いたまえがきで、
ほんらい謝辞を書く場で彼はこんなふうに書いている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現時点で僕は僕以外に感謝を捧げる人を知らない。
僕はエドウィンの原稿も何もかも持ち去ったマルハウス夫妻に感謝していない。11章分をどこかへやってしまったクラディウス伯母さんにも感謝していない。僕は自分の原稿をすべて自分の2本の人差し指でタイプしたし、いかなる点についていかなる他人カからの助言を受けなかった。したがって僕は、多大なる感謝を僕自身に捧げようと思う。僕自身の絶え間ない励ましと関心がなければ、僕はこの本を完成させることができなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当時文章を書くことにはまっていたわたしは、
このスタイルに衝撃を受けた。
なんてかっこいいんだろうと思った。
これを読んで、もし小説をだすことになったら、
まえがきはぜったいこのスタイルでいこうと決意した。
誰にも感謝しないようにしたい、あくまで自分に対してのみ、
多大なる感謝を捧げる。他人の世話になるのもいやだし
助言されるのもかったるい、ぜんぶ自分ひとりでやりたい。
今の自分だったらこんなふうにとうてい思えない。


今日は運動会の代休。思い立って断舎利を決行。
若かりし頃の自信過剰で超屈折した生意気な自分の書いた
「まえがき」を先ほど発見した。
出版される妄想をして書いた夢見がちなまえがき。
ミルハウザーまんま引用みたいな恥ずかしいまえがき。

超いけてない稚拙なまえがき。
でもこれを書いた頃のわたしに
ひょっとして今のわたしは負けているのではないか。
まえがきのページを破いて額に入れて飾っておくことにした。
自分の好きなことに突き進んでいける人でいたい。
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ロバート・ヘンライの『アート・スピリット』

2015年07月28日 04時51分40秒 | books
最近のお気に入り、『アート・スピリット』。

『アート・スピリット』は、
表現者が「自分は何をどう表現すればいいのか」
「どうした心構えで、誇り高い作品は完成させられるのか」
を正しく理解する手助けとなり、
作品を完成させる信念と勇気を与える
熱きアジテーションの一冊だ。


『アート・スピリット』は、
アメリカの画家ロバート・ヘンライが1923年に出版した
絵画の指南書である。
映画監督デイヴィッド・リンチが創作のバイブルとして
読み込んだこの本は、絵画にとどまらず、
あらゆる表現ジャンルに応用可能なアドバイスが
きわめて的確に記されている。
本書におけるロバート・ヘンライの教えの数々は
名言とパンチラインのつるべ打ちであり、
読んでいるだけで高揚をもたらす。
しかし彼の教えは、
決して「君ならできる」式の無責任なアドバイスではない。

ヘンライはこう考える。
表現者は、もっとも美しいとおもう主題に対してでなければ
決して真剣に取り組むことはできないし、
それはときに他人から認められない作品になるかもしれない。
しかしほんらい表現とは孤独な行為なのであって、
表現者は勇気を持ってその孤独に飛びこんで、
何としても作品に取り組む以外に方法はない。
孤独を覚悟し、製作を続けよう。
そう前置きした上で彼はこう述べる。

「傑作を生みだせ──きみ自身と同じくらいの傑作だ。
 つねに自分が巨匠だと信じて仕事をしなさい。
 今度こそ傑作ができると信じて」

ヘンライのアドバイスはどれも具体的だ。
作品において重要なのは秩序とバランスであること。
流儀に固執せず自由に創作を進めること。
表現に対しては真剣に取り組むこと。
どれだけ他人の表現を参考にしようとも、
本人の独創性は絶対になくならないということ。
表現の背景にある全体像や大きなイメージを大切にすることで、
表現がより豊かになるということ。
こうした指摘がどれも具体的であり、
表現を進める上での参考になるのはもちろんだが、
なによりわたしの胸に響いたのは、
「われわれにとって最も悪いのは恥ずかしいと思うことである」
というヘンライの真摯な言葉であった。
創作をおこなう、あらゆるジャンルの表現者にとって
大きなエネルギーとなる一冊だと感じた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この本は、先日母からもらった。
忙しくて読まずにいたが、
読みはじめたら一気に心臓までつかまれてしまった
と同時に母がこのような本を読んでいたことが嬉しい。
母は、教師を辞めてから絵を描き始め
最近は全国の二科展にも出品できるようにもなったが、、
「技術に固執するので写実的には描けるけど、
 トレースするだけの主題がない上手い趣味のお絵かき」
と、わたしは心の底で少しバカにしていた。
でも表現者魂はあったのだと、母のことも見直すことができた。
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境界線について考えてたこと

2015年04月18日 09時09分14秒 | thinking
中学生の頃のこと。
とつぜん授業中の教室が騒がしくなって窓の外を見ると、
校庭に雨と晴れの境界線ができていた。
校庭に激しく雨が降っているのに、
ある部分から先は定規で引いたようにからっと晴れていた。
地面も乾いている。
はっきりとした境界線が、教室にいる誰の目にも明らかに存在していたのだ。
雨と晴れに境界線があるという話は聞いたことがあったけど、
こんなに明快であるとはおもわなかった。
普段はむだな口をきかない大人しい男性教師も、
「おっ、これはすごいな」と、めずらしそうに校庭を眺めていた。
ずいぶん非現実的な光景に感じたことをよく覚えている。
それいらいわたしは、雨が降るたびに、
雨と晴れを分けるはっきりとした境界線がどこかの場所に発生しているはずだと想像するようになった。

物心ついたときから、境界線について執拗に考える子どもだった。
状態Aと状態Bを分かつものは何かを、飽きもせずに考えた。
境界線に関する思考はひとりでに湧いてきて、
止めようにも止められない。
たとえば、眠りの境界線はどうすればわかるのだろうと悩んでいたときもあった。
布団に入るといつの間にか眠ってしまうので、
いったいどの瞬間に「眠りに入った」のかがはっきりしない。
目覚めた状態と眠った状態の境界線はどこにあるかが知りたかた。
また、「どのていど体調が悪ければ、学校を休んで許されるのか」
も気になっていた。
微熱と風邪の境界線が知りたかったし、
どのような条件であれば学校を休めるのかを
正確に定義してほしかった。
(気が弱かったため、どんなに体調が悪くても親に言い出せず、
がまんして登校するような子どもだったのだ)
子ども心にも、あまりに境界線のことを気にしすぎるのは
不健康であるようにおもったけれど、
境界線について考えることは止められなかった。


精神科医の春日武彦さんは、
境界線についていくつかの文章を書いている。
なかでもわたしが気に入っているのは、
「目黒区と渋谷区の境界線上にまたがって建てられたビル」
についての記述だ。
春日さんは
「どちらの区にこのビルのオーナーは税金を払っているのだろう、などと余計なことが気にかかる」と述べている。
「散歩のたびに、いつも区と区の境界線を意識してしまう。たんに行政上の都合で線が引かれているだけのことだが、それをいうならば子午線だとか赤道だとか国境にしても目に見えるようなラインが引かれているわけではないのである。だが、漠然と地図を頭の中へ思い描きながら、まぎれもなく存在しているはずの境界線を踏み越えることがなぜか嬉しい」
よくわかる、とおもった。ふしぎと境界線は人の思考を刺激するものなのだ。
わたしの大学の校舎も二つの都市にまたがって建っていて、校舎内でA市からB市の境をまたぐ瞬間、うきうきしたことをここに告白する。
旅をしていた時も陸続きで国境を超えることが大好きだった。
ウズベキスタンとトルクメニスタンのボーダーのあいまいな場所で両国の国境が夜で閉じてしまい、
中に取り残されて野宿したときは、さかいのあいまいさのことと
人間とロボットのさかいのあいまいなロボコップのことをずっと考えていた。

「何ごとにも明確な境界線があるはずだ」という、
子どものわたしが感じていた思考は、
「ものごとにはどちらとも呼べない中間の領域がある」
というあらたな段階の認識へと変化していった。
あいまいな領域を排除せず、
あいまいなままで存在させられる方法はないものかと考える。
できれば寛容でありたいし、あいまいな領域を受け入れたい。
すべての境がはっきり決まっている国より、
境界未定地域がある国の方が豊かであるようにおもうのだ。


今年は1年生を端インしている。
クラスの女の子のひとりが、わたしに向かって
「ピカピカの一年生はまだ終わっていない」
と頑なに主張してくるのだ。
母親には「もう終わったでしょう、がんばって勉強しなさい」と反論されるも、「まだ終わってない」と決して自説を曲げようとしないらしい。今日は4月中旬。判断のむずかしいところだ。
とはいえわたしにとっては、6歳の子どもがその視点を持つことじたいがすばらしいとおもってしまう。「ピカピカであること」がいつ終わるのかの境界線もまたあいまいだけど、「じゃあ、いつまでがピカピカの一年生?」と訊くあの子が、これからもずっと境界線について考えてつづけてくれればいいのにとわたしはおもう。
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500日のサマーが好きだ

2015年04月12日 16時09分13秒 | life
最近はまっている遊び。
友だちといっこ映画を決めて観る。
そして、それぞれのブログに感想を載せること。
こっそり相手のブログを見て
映画の感想の違いを楽しむのだ。
今回はこれ。「500日のサマー」

大好きなシークエンスは、
主人公がヘッドフォンでスミスを聴いていたら、
「スミス、すきなの?わたしも!」っていわれて仲良くなるところ。
きっと主人公は、この先スミスを聞くたびにサマーのことを思い出す。


わたしたちの頭のなかで、さまざまなできごとはだいたい、ずいぶんいいかげんに記憶されている。
しあわせな時間も、つらいできごとも、すべてが雑多に放り込まれていて、
おもいだそうとすると、順番がばらばらになり、記憶は混濁し、その意味あいはすこしずつ変わってくる。
おもわずスキップしてしまいそうなたのしさも、朝起きる気にすらなれない苦しさも、
すべてが同時にやってきて、記憶のリアリティや生々しさに圧倒されて、
身動きが取れなくなってしまったことはありませんか?

おもいだすだけで胸を抉られるような記憶を、
まるでかさぶたをはがすみたいに何度も反芻してしまう。
イケアのショールームで夫婦ごっこをして遊ぶ、しあわせなふたり。
そして、しだいに自分に興味を失っていく恋人と、不安でなにも手につかなくなっていく主人公。
ひとつひとつのちいさなディテールが積み重なることで、
幸福と痛みが同時にやってくるような感覚をわたしはそのまま味わえてしまうのだ。

つらいことがあっても人生は進んでいくし、誰かとつながらざるおえない。
でも、心配しなくても、そこには偶然があり、扉はあるときひとりでに開いていく。
だからたぶんだいじょうぶ、と感じることができた。
ホール&オーツの多幸感にはすっかりまいってしまう。さいこう。もう十回見たい!

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ヘンリー・ダーガーの世界はどこに存在したのか

2014年08月03日 04時18分40秒 | life
広島旅行の帰りに山口の仮説実験の勉強会に参加した。
ビール飲みながら授業したり、寝っころがってきいてたり、寝てたり
なんでもありな感じでゆるかった。

図工美術の分科会で会った先生と話していたら
ダーガーの話になって、心臓を雑巾みたいに絞られるようだった。
ダーカーでいいか、だめか みたいな話になった。
アウトプットの放棄というか、ダーカーの場合放棄するという意思すらないけど、
わたしは、自分の中の宝物は、みんなにはわかってもらいたくないけど
やっぱりわかってもらいたいと思う人にはわかってもらいたい。
みたいなことを言って、そしたら、
わかってもたいたい人にわかってもらえなかったら、裏切りって思うでしょ。
みたいなことを言われて、
でも、その裏切りって期待する自分の責任じゃん、みたいなことになり
結局着地地点は、求めないダーガーみたいなのがいい、でもそれはとても悲しいよねってなり、
でもその悲しさって美しいね、美しさの定義とは、、、、
ほろ酔いなのも手伝ってなんだかとりとめもなく話して面白かった。

そして昨日小包が届いて、その先生の授業の資料がどっさり届いた。
ダーガーいいっていいてたのに、
「教師はダーガーみたいにはなれないよね」
ってメモが入っていた。ぷぷぷ。



彼が死ぬまで、誰も彼が何者だったかを知らなかった。

■彼の略歴

•1892年4月12日シカゴで生まれる。

•4歳になる直前に生母と死別。また、妹は里子にだされる。足の不自由な父に育てられる。

•読書が好きで、小学校1年から3年にに飛び級をした。

•8歳で父親が体をこわして救貧院に入り、ヘンリーはカトリックの少年施設で過ごす。

•友達とコミュニケーションがうまくとれず、退学を体験する。

•12歳の頃、感情障害の兆候が現れたという理由で、知的障害児の施設に移される。

•15歳で父が死去した事を施設で知る。

•16歳で施設を脱走。260km徒歩で歩き、シカゴに戻る。聖ジョゼフ病院の掃除人として働き始める。

•19歳の時『非現実の王国で』の執筆を開始。執筆はダーガーの死の半年前まで続けられた。

•33歳の時、教会に養子を申請するが却下。だがあきらめきれず、何度も申請し続ける。

•73歳の時、掃除人の仕事を強制的にやめさせられる。できた時間で自伝を執筆する。

•1972年の暮れ、病気のために救貧院に。
アパートの大家であるネイサン・ラーナー(アーティストでもあった)が彼の部屋に入り、
彼の作品を発見して驚嘆した。
ダーガーは、それが作品という意識がなかったらしく
自分が死んだ時には全ての持ち物の焼却を希望していたとされる。

•救貧院にて、1973年4月13日、81歳で死去。
 ラーナーはダーガーの死後も部屋をそのままの状態で、2000年まで保管した。






非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あっという間に7月がいってしまった。
大好きな夏。
なつがーだいすきだー。
どんなけもの道も平坦にしていこうぜ!めざせローマ!
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「明日の神話」はどこに飾るべき?

2014年07月27日 00時52分12秒 | thinking
母と広島に旅行に行った。
正確に言うと、宮島に行った。
母と二人で旅行するのは今回で2回目。
初めは小学校6年生の時。
そして今回。
行先はどちらも宮島。
どうやら母は、厳島神社が大好きらしい。
だってみんなが日帰りする宮島に宿泊というか連泊。
ひたすら厳島神社をスケッチする母。熱い。。。暑い。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
宮島は夕方から夜が静かでゆるくて気持ちがいい。
ビールを持って厳島神社まで散歩したり、
日の出を弥山?から見たり、なんかダハブっぽかった。
夜のゆるさとか海とかすごくダハブっぽい。
宮島がダハブなら、さしずめ弥山はシナイ山ということになる。
なのでちゃんとUnderworldでborn slippyしました。
でも、シナイ山の初日の出にはやっぱりかないません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3日目に広島の平和祈念館に見学にいこうと母が言いだして
ちょっとした話をして面白かった。
母:「原爆ドームの横に岡本太郎の「明日の神話」が設置されたらよかったのに。」
  「どうして渋谷なんだろうね。」
私:「「明日の神話」と平和祈念館を一緒にしないで!」

「明日の神話」とは岡本太郎の作品で、原水爆の被害から再生する人の強さを表現したものだ。
この絵がメキシコで発見されて、どこに飾るかという話になった時に、
誘致に名乗りを上げた都市がいっぱいあった。広島もその一つ。

わたしは、渋谷にこの絵が飾られるのが一番ふさわしいと思う。
原爆ドームや平和祈念館の横には絶対に飾ってほしくない。
原爆ドームや平和記念館の主張とは、対極にあるものだと思っているから。
わたしは平和祈念館が苦手である。
なぜかうまく説明がまだでいないけど。
そこを母に突かれて結局この話は尻切れトンボになってしまった。

そんなことをとっかかりにして、母はスケッチしながら、
わたしはビール片手にいろいろ話せてなんかよかった。
意見は対立しっぱなしだったけど。

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岡村ちゃん

2014年07月24日 23時11分10秒 | life
仕事の納め会に来なかったS嬢。
有休でクリープハイプ見に行っていたとな。
来週も新潟にクリープハイプ。
再来週も。
そしてライジングサンへの参戦。
むむむ、なんだその体力。

誘われる度に断っているが本当はすごく一緒に行きたい。
ああ、フジロック。ライジングサン。
でもだめなのです。大人になったのです、わたしは。
お勉強したいのです。

でも今年のライジングは最高なのだ。
楽しいだろうな。
ビール飲んでおならでジャンプしてはしゃぎたい、すごく。
未だに聞きに入れる状態をキープしているS嬢を尊敬もしている。
何より岡村ちゃんに元気をもらいたい。

3ヶ月くらい前にリリースされた「愛はおしゃれじゃない」という曲がすごい良い。
岡村靖幸とBase Ball Bearの小出祐介のコラボレーションで、
クレジット表記も「岡村靖幸 w 小出祐介」だ。

岡村靖幸 w 小出祐介「愛はおしゃれじゃない」


この曲は小出祐介が作詞、岡村靖幸が作曲なのだけど、
this is 岡村靖幸という感じがしてすごく好きだ。
岡村靖幸って、今年で50歳くらいだ。
すごくいいなと思うのは、
この曲のリリースに合わせてやってた全国ツアーのタイトルが「将来の夢」であること。

私もいい歳になるけど、カッコつけて達観したフリとか、疲れたフリとかしないで、
もっと「将来の夢」とか「モテたい」とか、そういうキラキラしたことを言っていきたいと思った。
岡村靖幸が坂本龍一のラジオに出た時にセクシーさの話になって、
その流れで「音楽は求愛活動です」という感じの事をはっきりと言い放っていた。
つまり、女性に対するパフォーマンスであると。
この度、岡村ちゃんに教わった事は、結局のところ、全ての自己表現は「求愛活動」に他ならないという事だ。
他人の承認を得たい、認めてもらいたい、褒められたい。
愛やモテを求めて人間は歌ったり踊ったりツイートしたりするのだ。
「どうだい?俺って面白いだろう?いいだろう?」という求愛活動だ。
コンセプトだとかそういうの全然無いし、全然おしゃれじゃないって事。でもそれでいい。


あと、この人、3度もシャブで捕まってんのに
(2003年から2年間の懲役、2005年から2年間の懲役、2008年からまた2年間の懲役、っていう)、
出所する度に復帰しては「待ってました岡村ちゃん!」と歓声があがる。
こんなミュージシャンって、日本で他にいるのかな?
居ないかもしれないね。
タレントや芸能人ではなくて、純粋に「アーティスト」としてモテてるからだろうね。


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フェーズ

2014年07月23日 21時52分29秒 | life
たぶん人間にはインプットの時期とアウトプットの時期がある。
蓄える時期と消費する時期だ。

我々は、他人と情報を交換する事でコミュニケーションをとっている。
相手が知らない事を提供し合ったり、お互いに知っている事に共感したり、
時に議論したりして、時間をつぶして行くのだ。

愉快に時間を潰せれば、これ幸い。
不愉快に時間を潰してしまうと結構痛い。

人生はたぶん長い。
長い人生の内訳60%くらいは愉快に潰れて行けばいいと思っている。
残りの40%は、愉快でなくとも、まあ仕方ない。
人生にストレスや愛想笑いはつきものだ。

さて、情報のイン&アウトがコミュニケーションだとするならば、その交流の現場はどこにあるのか?

学校か?公園か?職場か?家の台所か?
キャバクラか?満員電車か?喫煙所か?
デイサービスか?自己啓発セミナーか?
教会か?カルチャースクールか?魚民か?
フェイスブックか?ツイッターか?LINEか?

きっとこの全てだ。
今も、5分後も、きっと10年後も、
あらゆる場所で我々はインプットとアウトプットのラリーを行いながら、
愉快に、不愉快に、時間をつぶしている。

情報には「質」と「量」があるように思う。
インプットする情報の量が少ないと、アウトプットする情報の量も少なくなるような気がする。
しかし、インプットする情報の質が良くても、
アウトプットする情報の質が良くなるとは限らない。ような気がする。

インプットとアウトプットの間にあるものが重要な気がする。
その「間」ではおそらく、なんらかの化学的なサムシングがあって、
二酸化炭素が発生する時もあれば、過酸化水素水が生成される時もある。
場合によってはダイヤモンドかもしれないし、あるいは毒ガスみたいなものかもしれない。
つまり、インプットされたものの影響も大きいが、
意思に起因することも結構大きいような気がする、という事だ。

インプット → 邪悪な意思 → アウトプット
この場合はきっと毒ガスが生成される。
これはまずい。

インプット → ぼんやり → アウトプット
この場合は「インプット=アウトプット」である。
つまり「スルー」である。


まあ、なんというか、
日々のインプットがうまくいっているのかどうかわからないし、
ここがいい環境なのかどうかはまだわからないけど、
私はダークサイドに落ちる事無く、愉快なアウトプットを心がけ、
できれば、あなたの暮らしのインプットになりたい。
なかなかなれないけど。
そう願う7月の今年一番暑い夜です。
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アールヌーボーな建築

2014年07月06日 06時49分12秒 | life
近所の工房。
ムイ ビエン。
まるで秘密基地だ!






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脳内麻薬

2014年06月26日 23時59分24秒 | books
を誘発してくれる一冊。
ブラスト公論が好きだ~。大好きだ~。

例えば、
「ホレ薬があったら飲ませるか」というテーマでは、
存在しない薬の使用をめぐって激論が交わされる。

この薬を使えば意中のヒトがなびくというホレ薬があったと仮定し、それを使用するか
──「それは自由意志に関する非常に深い話ですよ」
  「ガンガン使いまくるよ!」 
  「選択の意志がないところに生じたものに価値があるのか」
  「というよりほら……レクリエーションとしてのモテというか」
  「モテの具体像……モテの具体像ってなに?」。
やつらは議論する。
誰もが「その薬、ない」とあきれつつ、
五人の果てしない思考実験にどっぷりつかってしまう。
どうでもいい飲みの席でのくだらない話から真理へと収束されていく。
たまらないね、こういうの。
やっぱりこっちだよね。

よんでいると、久しぶりに気の合う仲間と飲みたくなる。
この夏は、ブラスト公論読んで集合ってことで!
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この夏は

2014年06月19日 23時46分23秒 | life
久しぶりに旅に出ようと決めている。
サハリンに行きたい。
タイとか韓国とかにいるへたな日本人旅行者もいないだろうし、
何よりも往復2万9千円のチケットを見つけてしまったから。
サハリンに残っている日本の建造物も今のうちに見ておきたい。
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文章に保証されているもの(ティンカーズ)

2014年06月13日 23時16分08秒 | books
小説という表現方法には無制限の自由度が保証されていて、
これはとてつもないことだと思う。
どれだけ長い時間の経過を描いてもいいし、何百人の登場人物がいてもかまわない。
宇宙創世から未来永劫までの無限に等しい時間を描くこともできれば、
テーブルの上のコップが倒れて、水が床にこぼれるまでの二秒間について書くこともできる。


でも過度に逸脱した小説はわけがわからなく、読むのがめんどうだ。
そんな自由さに耐えられるほどに読者の精神は強くないから。
だからこそ小説はみずから形式を求め、ある種のフォーマットを作り上げることで、
無制限の自由から身を守ってきた。
そうすることで小説はより普遍的、効果的にメッセージを伝達する機能を備えた。
でも、小説という表現形態に刻印された、あの過剰なまでの自由さが完全に消えるわけじゃなく、
たまにひょっこりと顔をだしては読者をはっとさせる。
小説は定型と逸脱のせめぎあいなのではないかな。

『ティンカーズ』は、八日後に死を控えて床に臥せる老人ジョージが、
死ぬまでに回想する記憶や過去のできごと、
周囲の人びとや他の登場人物たちなどのエピソードがあらわれては消え、
浮かんでははじけるという奇妙な構造の物語だ。
読み進めていると、しだいに自分がどこまであらすじを追えているのかよくわからなくなってしまい、
それでもなお読み進めていくと、
老人ジョージの意識は過去の記憶をさまよいながら、
実は自分の肉体を構成する細胞がすべて、
世界のあらゆる要素でできたアーカイブのようなものだと気がつくくだりに到達する。
こうして説明していてもわけがわからないし、
読んでいるわたし自身、この物語がどんなものなのかあまりよく理解できていない部分が多いのだけど、
それでも、老いた主人公ジョージが死を目前にしながら
「自分の肉体は世界のさまざまな要素によってできあがっているのだ」
と確信するシーンに至って圧倒される。




これはあくまで死の床に臥せる老人の語りであり、
彼の意識がもうろうとしているのであれば、思考は千々に乱れるのは必然だろう。
そしてテキストは、そのコラージュのような語りにおいてさらにリアルになっていくように感じた。
そうした逸脱を支える文体の力強さにもユニークさを感じたし、
それをうまく日本語に移し替える翻訳の技術にも目を見張った。
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