typeKIDS Report

活字書体を使う人のための勉強会

第7回 石井書体からオールドスタイルとニュースタイルを考える

2016年09月25日 | typeKIDS_Seminar
第7回 石井書体からオールドスタイルとニュースタイルを考える
話者:今田欣一
日時:2016年9月4日(日)13:00–15:00
場所:新宿区・榎町地域センター 工芸美術室


オールドスタイルの和字書体

石井明朝体と組み合わせている和字書体には3種あります。1933年に制作された「オールドスタイル」と、1951年に制作された「ニュースタイル」、さらに石井茂吉没後の1970年に橋本和夫氏によって制作された仮称「モダンスタイル」(縦組用かな・横組用かな)です。
オールドスタイル小がな(1933年)は石井中明朝体と組み合わされている和字書体のうち最初のもので、当時の主流のひとつであった東京築地活版製造所の12ポイント活字をベースにしたようです。のちにオールドスタイル大かな(1955年)も制作されています。
このオールドスタイルという名称を、明治時代の動的な和字書体に範囲を広げて使っていきたいと思います。

『二人比丘尼色懺悔』(尾崎紅葉、吉岡書籍店、1889年)は、株式会社ほるぷから新選名著復刻全集近代文学館『二人比丘尼色懺悔』として出版されています。新著百種の第一作として刊行されたもので、印刷は国文社です。この本から和字書体「はやと」を制作しました。
次の3冊は入手できなかったので、図書館などの電子複写サービスを利用しました。『長崎地名考』(香月薫平著、虎與號商店、1893年)の印刷は東京築地活版製造所です。この本を参考にして和字書体「きざはし」を制作しました。『尋常小學國語讀本修正四版』(国光社、1901年)は、国光社が独自に開発したとされる国光社活字が用いられています。これを参考にして和字書体「さおとめ」を制作しました。『富多無可思』(青山進行堂活版製造所、1909年)の、青山安吉(1865—1926)による「自叙」は四号楷書体活字、竹村塘舟による「跋」は四号明朝体活字で組まれていますが、その和字書体は共通しています。これを参考にして和字書体「まどか」を制作しました。
個人の蔵書からお借りして電子複写させていただいたものもあります。『内閣印刷局七十年史』(内閣印刷局、1943年)の本文に用いられた和字書体は、1877年(明治10)年4月に大蔵省紙幣局活版部で発行された『活版見本』みられる五号活字が『内閣印刷局七十年史』の本文で用いられた書体の源流だと思われるからです。これを参考にして和字書体「かもめ」を制作しました。『少年工芸文庫第八編 活版の部』(石井研堂著、博文館、1902年)は、大日本印刷の前身の秀英舎で印刷されています。これを参考にして和字書体「かもめ」を制作しました。

ニュースタイルの和字書体

石井細明朝体と組み合わされている和字書体として、「ニュースタイル小がな」が1951年(昭和26年)に制作されています。1930年代—1940年代に制作された活字書体の雰囲気を醸し出している書体です。「ニュースタイル大がな」が一九五五(昭和三〇)年に制作されています
このニュースタイルという名称を、大正・昭和時代初期の静的な和字書体に範囲を広げて使っていきたいと思います。
資料としたのは、各地で行われている「古本市」をめぐって、あるいは「日本の古本屋」というサイトから購入したものです。『書物の世界』(寿岳文章著、朝日新聞社、1949年)は、京都の内外印刷で印刷・製本され、朝日新聞社から発行されています。この本から「たいら」を制作しました。『新考北海道史』(奥山亮著、北方書院、1950年)も古書店で購入したものです。この本の「序」と「まえがき」にもちいられた活字をもとに「ほくと」を制作しました。『東京今昔帖』(木村荘八著、東峰書房、1953年)は、東京の明和印刷で印刷されています。木村荘八はエッセイも数多く残しており、本書はそのひとつである。この本から「あずま」を制作しました。
印刷関係の書物は古書ではなかなか見つからないので、やはり個人の蔵書からお借りしました。『日本印刷需要家年鑑』(印刷出版研究所、1936年)のなかに、「組版・印刷・川口印刷所 用紙・三菱製紙上質紙」と明記されたページが16ページほどあったので、この九ポイント活字をもとにして「たおやめ」を制作しました。『本邦活版開拓者の苦心』(津田三省堂、1934年)は昭和九年に私家版として発行されたものです。序文の宋朝体に組みあわされた和字書体は、彫刻の趣の残った書体です。この活字を参考にして制作したのが和字書体「みなみ」です。





補足1 明朝体・ゴシック体・アンチック体に調和する和字書体

石井茂吉(1887−1963)は、1930年から1935年までに、本文用の明朝体(のちの石井中明朝体+オールドスタイル小がな)、太ゴシック体(のちの石井太ゴシック体+小がな)、それにアンチック体(和字書体のみ)を制作しています。和字書体においても、明朝体に調和する和字書体・ゴシック体に調和する和字書体・アンチック体に調和する和字書体が基本的な3書体と考えています。



石井中明朝体+オールドスタイル小がな(1933年)
石井中明朝体(当初は明朝体とされた)は、写真植字機の特性を最も生かした「明朝体」をめざすことと石井の個性とが結ばれて、結果的に毛筆の味わいのある優美な書体となっていると思います。和字書体「オールドスタイル小がな」にも顕著にあらわれています。

石井太ゴシック体+小がな(1932年)
太ゴシック体も写植文字盤の特性を生かすように設計されています。金属活字のゴシック体は同一の太さで均一に設計されていましたが、この漢字書体では起筆、収筆を太くして、毛筆の味わいをとりいれた優美な書体に仕上げています。和字書体は、この漢字書体と調和するように制作されています。

アンチック体(1935年)
「特殊文字盤」扱いで、今でも単なる「アンチック体」のままであり、「石井アンチック体」とはなっていません。この「アンチック体」には漢字書体がないので地味な存在ですが、使用サイズに合わせて、小見出し用、中見出し用、大見出し用の3書体が作られています。



『組みNOW』(写植ルール委員会編、株式会社写研、1976年)は使いすぎてかなりくたびれていますが、書体見本帳としても役立っています。


補足2 和字書体の変遷 オールドスタイル、ニュースタイル、モダンスタイル

石井明朝体と組み合わせている和字書体には3種があります。1933年に制作された「オールドスタイル」と、1951年に制作された「ニュースタイル」、さらに石井茂吉没後の1970年に橋本和夫氏によって制作された仮称「モダンスタイル」(縦組用かな・横組用かな)です。

オールドスタイル小がな(1933年)、大かな(1955年)
石井中明朝体と組み合わされている和字書体のうち最初のものは、当時の主流のひとつであった東京築地活版製造所の12ポイント活字をベースにしたようです。けっして古拙感を演出して制作したのではなく、時代性を反映した書体になっています。
 
ニュースタイル小がな(1951年)、大かな(1955年)
石井細明朝体と組み合わされている和字書体のうち最初のものは、1930年代-1940年代に制作された活字書体の時代性を取り込みながら、独自の感性に基づいた和字書体になっています。

モダンスタイル(仮称)縦組用かな(1970年)、横組用かな(1970年)
この書体が発表された当時は、和字書体の字面を大きくして漢字書体とあわせようとする方向でした。この後に開発された平成明朝体、小塚明朝なども同じようなコンセプトだろうと思われます。








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