Merry Christmas!
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」ヨハネ1:4
2009年、にこだけのクリスマスになりました。
皆さまに祝福がありますよう。
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2009年、1月早々、息子夫婦に女の子が生まれた。退院してから我が家での育児が開始され、きらとにこは、また新たな赤ん坊とそれぞれの距離を保って生活するようになった。
3月にきらの左前足の完治が宣言された。
それでも2か月に一度程度は診察に行くことになり、7月になってレントゲン写真で内臓部の腫瘍が発見された。
早期なので摘出すれば広がることはない。
そんな告知を受けて、家族で検討し、8月を迎え、手術の決断をした・・・
その後のことは、8月26日のブログに書いた。もうそれで充分だろう。
息子のところの赤ん坊と母親は、6月半ばから8月25日(きらの手術の日)まで台湾に帰省していた。帰って来てからきらに会うことはなかった。
5月の末に、きらとにこと2人の赤ちゃんとで撮った写真が、4人で撮った最初で最後の写真となった。
赤ん坊たちはきらのことは覚えていないだろうが、いつか写真を見て、自分たちが赤ん坊の時、きらという犬がいたことを知ってくれるとうれしい。
犬を飼ったのは3度目。
子どもの時は「むく」という名の雑種がいた。
高校時代は「ペップ」という猟犬(ポインター)を親戚から預かって飼った。
むくももちろん死んだ。その時のことはかすかに覚えている。
ペップは短命だった。猟犬としての訓練を受けるために長野だかの方にしばらく預けられ、それで体を壊した。戻って来た時、というか戻されて来た時は、かつてのような活発さはなくなっていた。高校を卒業したクリスマスの頃に、苦しんで死んだ。わずか数歳だったのではないか。私は自分の人生のことで忙しく、精一杯で、ペップがなくなる前後の日々のことをあまり覚えていない。土間で苦しそうに横たわっていた姿だけ覚えている。
最期を懸命に介護した母は、今でも「犬はかわいいけど、死ぬ時がかわいそうで。」と口にする。
どちらの犬も懐かしく思い出すが、悲しみがよみがえるというのとは違う。
きらもいつかそのような思い出になっていくのだろうか。
「40代後半から50代後半にかけての10年間、きらという名の犬を飼っていてね。とてもかわいかった。」
そう懐かしく口にするだけの日がいつか来るのだろうか。
きらには、実はお別れを言っている。
手術の前日、リビングでくつろいでいると、いつものようにきらが体を寄せてきた。
なでてあげるとうれしそうに横たわりながら体を伸ばす。
「明日は手術だけど、特に問題ないとは言われているけれど、それでも手術だから何が起こるかは分からないから。もし万一のことがあるとしたら、お別れを覚悟しなければならないけれど、きら、10年間ありがとうね。一応、念のためだけど。」
そう語りかけていた。
お別れができていて良かった。きっと、そう思うべきなのだろう。
映画「スタンド・バイ・ミー」。
ひとりの男の死を報じる新聞記事をきっかけに、少年時代の友情の日々を思い出した作家が、「あの頃のような友人に出会うことは、人生でもう二度とないだろう。God knows.」と記すラストシーン。
きらは、かわいい犬だった。お転婆なにこももちろんかわいいが、そのかわいさとは違う。切ないくらい、かわいい犬だった。
けなげで、忍耐強く、気品があって、切ないほどにかわいかった。
10年前、危機の時代を過ごしていた頃の我が家に遣わされて来て、10年間、我が家でその一員として過ごし、務めを果たして、10年後、それぞれの子どもたちに赤ん坊が生まれてきた頃に、自分を遣わした方のところに静かに帰って行った。
きらのような犬に出会うことは、おそらく人生で二度とないだろう。神様しかわからないけれど。
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今年の更新は、これで終わりです。良いクリスマス、そして良い年を!