near streams of water


人生という旅・旅という人生。
流れのほとり、日々の歩みの中で、見たこと、聞いたこと、行ったこと、思ったこと。

札幌から旭川へ

2008年10月29日 00時28分27秒 | Weblog

昨日に続いて、あらためて会場に行って下見。
なかなか良くできている会場です。
隣接した施設も含め、コンパクトにまとまっていて、2500人規模の会合が充分できるでしょう。問題は昼食をどうするか、かな。
                

午後は、その会場の一室を実際に使って会議。

その後、マイクロバスで旭川に移動。
高速を2時間弱。雨になり、周囲は暗く、車は少なく。

それでも旭川は立派な街です。
夕食に外に出たついでに、ホテルに戻る途中、ちょっと足を延ばして旭川駅へ。
どこかの街に行ったら、玄関となる駅に表敬訪問しないと、その街に来た気がしない。
旭川駅。ずっと昔の夏の初めに立ち寄っているはず。
                

もう40年前になるのだろうか。
ここからバスに乗り換えて層雲峡を通って北見にきっと抜けたはずなのだが。
遠い記憶の向こうのかすかな思い出。

明日は三浦綾子文学館(という名称だったかな)に行く。
動物園はお休みなのだとか。

 

 


今週は北海道

2008年10月27日 22時16分43秒 | Weblog

札幌に来ている。
めずらしくツアー形式の団体旅行。2泊3日。
現地集合、現地解散タイプの人間としては、ツアーの一員となることなどほとんどない。
15人くらいのツアー。
来年の会議の現地下見旅行。

まあまありっぱな会場。
今日は夕方着いたので、メインホールをちょこっとだけ見学。
明日改めて会場全体を視察。
今夜は札幌泊。

明日の夕方には旭川に移動の予定。
「何の予定で旭川まで?」
まあ、なにしろ旭川ですから。


三都物語

2008年10月24日 01時07分41秒 | Weblog

3日間で駆け足の関西訪問。

中之島線が先週開通してホテルが便利になった。目の前に入り口ができたし、地下1階ではホテルとそのままつながっているらしい。
「乗るぞ!」と思って来たものの、ホテルと大阪駅間を無料のシャトルバスが頻繁に往復している魅力には抗しがたい。一応、駅だけでも見に行き、改札口の隣にコンビニができていて、小物の買い物が便利になったので、そこだけ使った。結局、構内には入らず、中之島線には乗らずじまい。
なんだ。

おとといは、西宮で知人に会って駅構内のカフェでティー・タイム。サンクス。
そのまま神戸の三宮へ。若者にいきなり「このおっちゃん、誰や?」とか言われてしまった。まいったね。

昨日は土佐堀で用事を終わらせて、再び西へ。西宮の一つ手前、武庫之荘で楽しいイタリアン。(これは昨日書いた。)
武庫之荘の駅は、30数年前に来た時とまったく同じ(らしい)。西宮が立派になったのに比べると、これはこれで感動もの。

今日は、大阪を離れて東へ。茨木で高校時代からの友人に会って、お昼に菓子パンをごちそうになった。気のおけないおもてなし。まあ、友人同士だから。

友人と別れてからは、その後、少し時間があったので、阪急桂駅から支線に乗り換えて、嵐山に案内してくれた(だれが?)。
渡月橋など初めて見た。渡った。散策した。雨が降って来た。
昨日の傘が役立った。

                

                

11月になると紅葉が見事らしい。

30数年前、半年ほど高槻に住んでいた。京都と大阪の中間。
どちらかというと京都寄り。
たまに阪急電車で京都の河原町に来ることはあったが、嵐山をはじめとしてほとんどどこにも行かなかった。
心の余裕がなかったのかな。もうちょっと楽しめばよかった。

今はまだ紅葉は、料亭の玄関口にちょこっとある程度。
                

                      

雨が少し強くなり、持参している504円傘を使いつつ、駅に戻り、コインロッカーから荷物を取り出し、阪急で河原町へ。正確にはその一つ前の烏丸へ。

去年も会った子たちに会いつつ2時間余り。
その子たちに京都駅まで送ってもらって、ずっと東へ。

紅葉にはまだちょっと早かったが、雨がちの秋の、神戸・大阪・京都。
いろいろと懐かしめの再会がありました。
また今度。
 


今年の秋も関西

2008年10月22日 22時30分21秒 | Weblog
昨年の10月後半と同様、今年の秋も大阪・関西へ。
昨年と同じ会場を訪問、昨年と同じホテルに宿泊。

朝散歩に出て、ホテルの近くの植え込みにある記念碑を発見。
「近代製紙業発祥の地」とのこと。1875年に初めてここで洋紙が作られたらしい。

ということは、聖書をはじめ洋風の本のための用紙の製造は、この地に端を発しているということか。
ということで、記念の写真。

昼頃から雨になる。
近所のコンビニで傘を購入。504円。ワンタッチ式。
もったいないから持って帰りたい。
となると明日快晴だといやだな、雨だと持ち歩きやすいのに、と思うから現金なもの。

夜は、武庫之荘でイタリアンをごちそうになってしまった。ラッキー!

明日は秋の京都へ。

hairspray

2008年10月12日 23時34分12秒 | Weblog

映画版の「ヘアスプレイ」、日本では昨年のいつごろ公開されたんだっけか。
劇場に結局見に行けなかった。
昨年11月の末に台湾に行った時に、帰りの飛行機の中の小さな画面で見た。あと少しで終わりというところで「当機はまもなく着陸態勢に入りますので、お楽しみいただいた映画サービスはこれで終了させていただきます」と、さっさと打ち切られてしまった。

ようやっとテレビのBSで放映されたので、見ることができた。もちろん舞台のオリジナルだった昔の映画(それも見てみたい)のほうではなく、舞台を映画化したミュージカルのほう。

昔は、たとえば「ウェスト・サイド・ストーリー」を映画で見て、パンフレットや資料などに「ブロードウェイで公開されたオリジナルの芝居では、ここはこうなっている。映画化にあたってこう変更している。ウェスト・サイド・ストーリーで言えば、映画では「cool」は事件の後で歌われるが、オリジナルの芝居では事件の前に歌われる」とあるのを読んで、オリジナルの舞台ではどうだったんだろうか、と想像しながらも、映画版以外の別の形など理解できなかった。

年を経て、最近では「シカゴ」や、この「ヘアスプレイ」も、映画化にあたって舞台をこう変えたのか、と以前とは逆の感慨を持つようになった。「ヘアスプレイ」は2003年の秋に見ている。

映画版「ヘアスプレイ」は、オリジナル舞台と細部が違うのはもちろんだが、カットされた曲がある。
「Mama, I'm a big girl now」と「It takes two」と「The big dollhouse」。
このミュージカルの中の曲はどれも好きで、車の中でよく聞いているのだが(写真は、このオリジナル・ブロードウェイ・キャスト・レコーディングのCDのジャケット)、カットされた曲もかなり好きだった。
「Mama, I'm a big girl now」は、最後のクレジットのバックに流されるので、おそらくこの場面を撮影したうえで、時間の都合でカットしたのだろう。「It takes two」は本編の中でチラッとだけ歌われている。
「The big dollhouse」は、映画の中では影も形もなかった。舞台では第2幕のオープニングを飾る楽しいナンバーで、ジャズ的なアレンジやコーラス、全員がぶち込まれている監獄の装置の見事さ(装置というか、全員が鉄格子をそれぞれ小道具のように持って右を向いたり、左を向いたり、正面に一列で並んだり、の振り付けで楽しませる)で気に入っていたのに、残念。映画でも見たかったな。

映画といえば、必ず映画専用のオリジナル曲が加えられている。オリジナル舞台の曲だけではアカデミー賞で「編曲賞」くらいにしかノミネートされないが、映画用の曲を加えれば「作曲賞」や「主題歌賞」が狙える、といった事情があるらしい。
「シカゴ」でも「ヘアスプレイ」でも、ラストのクレジットのバックで、芝居のテーマを分かりやすく表現した、前向きで印象的な曲が加えられている(たぶん、です)。舞台以上に世界大の大衆をマーケットにする映画らしいシンプルな肯定性。

そう言えば、主題歌でずっと昔から気になっているのは「バイ・バイ・バーディ」。プレスリー人気に題材を借りたいかにもミュージカル・コメディらしいミュージカルだが、映画の冒頭で、真っ白いホリゾントを背景に(ホリゾントがそもそも背景という意味か)主演のアン・マーグレットが主題歌の「バイ・バイ・バーディ」を歌う。中学生の時に田舎の映画館で見たきりだ。この映画がテレビで放映されたり、ビデオ屋でレンタルされたりしているのを見たことがない。幻の映画。(ずっと昔にとあるビデオ屋で一回だけ置いてあったのを見かけたが、その後見かけたことがない。もう何年もビデオ屋だかDVD屋に行ったことがないのだが。)
数年前に、NYのリンカーンセンターでのアンコール・シリーズで少しだけリバイバル上演されたらしいが、もちろん見ていない。
この主題歌はひょっとして映画用の曲であって、オリジナルの舞台にはなかった曲なのか、というのが、長年の疑問。そうだとすると、仮にいつか舞台がリバイバル上演されることがあっても、観劇意欲はかなりそがれるのだが、どうなんだろうか。
知りたいような、知るのが怖いような。

というか、人生だの人間の存在の意義だのに全く関係がない、トリビアな好奇心。
人間、こういった無意味無価値な好奇心もないと、生きていけないものね。