音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

フラワーズ (ローリング・ストーンズ/1967年)

2011-12-19 | ロック (イギリス)


1967年はポピュラー音楽にとって特別の年であった。この年には、ドアーズピンク・フロイド、プロコレ・ハルムがデビューした。そして、モントレー・ポップ・フェスティバルが開催された。これには30組以上のミュージシャンが出演し、今日のロック・フェスティバルの源流という位置付けがされている。そしてこれは、「Summer of Love」と呼ばれたヒッピー・ムーブメントの真っ只中で開催され、なんと当時としては驚きの20万人以上の観客を動員し、ここにはまだ無名に近かったジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリックスなど、このフェスティバルで知名度と人気を得たミュージシャンも多い。そう「サージェント・ペパーズ~」も、何度も書いてシツコイがこの年だった。当時、私は小学生になったばかり、音楽はクラシック・ピアノを習っていた。そして、ある「未来を予測する」というアンケートがあって、今でも覚えているのはその選択肢の一つに「ヒッピーやフーテンが増えて動物の世界になる」という文言で、この日本でも、ヒッピーという言葉はかなり一般的であった(しかし、ヒッピーとフーテンと動物を同じ軸位置で見ているのは笑った)。

ところで、そんな年に唯一、このローリング・ストーンズだけは大変残念な年になってしまったようだ。まず、キースとミックがそれまで何度も警告をされてはいたが一向に改善の余地がなく、キースの自宅が捜索され麻薬容疑の証拠品を押収。ミックとキースが有罪となりさらにブライアンが麻薬不法所持で逮捕された。また、ブライアンとキース、ミックの仲たがいはこのころ最悪の状況になっていたが、ブライアンの粗暴な振舞から、恋人であったアニタ・パレンバーグをキースに取られ、彼は決定的な精神ダメージを受ける。バンドの状況は最悪であった。この年の年頭には「ビトウィーン・ザ・バトンズ」をイギリス、アメリカと相次いで発表したが、前年1966年はビートルズ「リボルバー」を始め、ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」ボブ・ディランが「ブロンド・オン・ブロンド」という秀作が相次いで発表された年でもありストーンズもこれらの作品に追随しなければならなかったが、ミックはこの作品を否定したことにより、ストーンズは一段上に上がれなかった。その挙句に前述のような数々の不運が重なったのである。この「フラワーズ」は実は今でいうベストアルバム、コンピレーションアルバムであるが、米国で編集され当時はただ単にベストではなくコンセプトがあるという評価も受けた。確かにテンプテーションズのカヴァーである”My Girl”以外は全曲オリジナルであり、また3曲の未発表曲も入っていて、当時の所謂ヒット曲集とは違っているところでストーンズらしさを出して、何とかこの難局を乗り切ったのである。

一方でこの選曲はブライアン切りでもあった(しかし、後年、ミックの口から、”Ruby Tuesday”はブライアンの作曲だということが明らかにされた)。またジャケットも花に扮しているメンバーで一人だけブライアンだけが葉が一枚もついていないのが不吉だとも言われた。そしてこの直後、「サタニック・マジェスティーズ」というとんでもない作品を出してしまうが私はこれには触れない。そして翌1968年に、あの歴史的名盤の発表に繋がるのである。


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