音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

弦楽四重奏曲第7番へ長調<ラズモフスキー第1番> (ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン)

2009-12-08 | クラシック (室内音楽)


ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の鑑賞に関しては、第10番「ハープ」から書き出したが、そのときに痛切に感じたのが、やはり作品59の3曲、所謂、ラズモフスキー四重奏曲といわれる、第7番、8番、9番が彼の最初の四重奏曲の金字塔であり、ここからベートーヴェンのこの形式における完成形がスタートするのだから、この鑑賞を先に書かないとこれ以上は前に進めないと思った。今年の7月末のことで、随分、間が空いてしまったが、徐々に書いていこうと思う。ここのところ、ブラームスの第1番シューベルトの第14番を順に聴いていて、やはり色々な意味でこのベートーヴェンの作品59はとても重要な位置づけにあるということが分かった。上手く説明できないが、ここに交響曲の流れと共に、もうひとつ大きな古典派とロマン派の境界線が存在しているということが憶測できるのである。

まず驚くべきことは、このラズモフスキー伯爵に献呈された3曲をベートーヴェンは非常に短時間で作曲している。弦楽四重奏曲というのは、いわば交響曲や協奏曲と共にソナタ形式の代表とも言える構成であるから、ベートーヴェン暦で言えば、 「英雄」を発表し、続いてピアノソナタ「熱情」、ピアノコンチェルトの4番と書いて、その後交響曲第4番ヴァイオリンコンチェルトと名曲が続くその間に書いているから、まさにソナタ漬けの連続であった訳だ。だがどうだろうか、ベートーヴェンの人気曲で考えるから、「熱情」と「交響曲4番」の間という言い方をしているが、ベートーヴェン的には、交響曲という形式に於いて、過去にない最高の名曲を書き、またピアノソナタにおいても自己の集大成ともなる曲を書き、更には皇帝よりもこちらが上という評価も多いピアノコンチェルトを書いた。さて、この3つの自信をもって一気に弦楽四重奏曲という、まだ、彼的には納得のいかない形式に満を持して着手したという見方が正しいのではないだろうか。それが証拠にまず、この曲は第1楽章からして実に雄大に始まり、また革新的でもあった(勿論、発表当初は大変評判が悪かった)。4楽章すべてソナタ形式で書かれ、全曲を通してこのスケールの大きさは、これまでの弦楽四重奏曲の枠を超えたものであった。ブラームスの弦楽四重奏曲第1番のところでも少し書いたが、この時代、弦楽四重奏曲というのは、宮廷や貴族の屋敷で演奏する余興の範疇ではなく、立派な演奏会用の音楽として環境が変化しつつあった。音楽家としては一般市民にもオケを編成しなくても、手軽の自分の楽曲を披露することができたことと、同時に、出版社が一般市民の趣味としての楽器演奏の間口を広げるために、音楽家から楽譜を提供してもらいそれを印刷して販売するようになった。更には、今まではその意見のひとつひとつをすべて皇帝や宮廷音楽家の顔色を見ながら批評していた輩が、堂々と公然と音楽に関して論じるようになり、それがまだ多くの音楽音痴が多かった一般市民の価値基準となったために、音楽家は競って、意図的に印象に残る楽曲を作ることを生業とするようになった。そんな中で、耳が良くないベートーヴェンには幸か不幸かそういう流言蜚語が彼自身に聞こえることが少なく、ベートーヴェンは自身の音楽を確立していったのである。だから第3楽章では四重奏曲には当時珍しかった長い第1ヴァイオリンによるカデンツァや、切れ目無く入る第4楽章の溌剌としたロシア民謡(ロシア主題)を各楽器が引き継ぐという大胆な曲構成になっている。

また、このラズモフスキー弦楽四重奏曲は、作品番号が第1番の作品59-1から、第2番、第3番も同じ作品59-2、59-3とされていて、要するにこの3曲12楽章がひとつの作品だと明示している。ベートーヴェンには決して珍しくない(例えばピアノソナタ第14番「月光」は作品27-2で、ピアノソナタ第13番「幻想曲風ソナタ」の2番という扱いである。後年この2番の方が有名になってしまい「月光」と言われるようになった)のだが、これだけの大作をひとつの作品にしたというところも、注目度をあげる意図的なものだったという考え方が出来ると思う。晩年に成就するベートーヴェン音楽金字塔のまさに第1歩なのである。


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