音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ヴァイオリン協奏曲二長調(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)

2009-07-08 | クラシック (協奏曲)


俗に言う、「四大ヴァイオリン協奏曲」の一番最初に書かれたのがこの楽曲であるが、別の言い方をすれば、初めて「本格的に作られた」ヴァイオリン協奏曲という言い方もできる。後世にヴァイオリン協奏曲に分類されるものは多く、ヴィヴァルディもバッハも、勿論この直近ではモーツァルトが書いている。しかし、基本的に彼らの書いた協奏曲と違う点は、大勢の前で演奏するための曲であること、カデンツァが入り、ヴァイオリニストの楽曲に対する考察を重視するようになったことが上げられる。無論、まだ、ベートーヴェンの時代には、然程、作曲時にはカデンツァの意識は無かった思われ、この曲の少し後に書かれた名曲「ピアノ協奏曲第5番皇帝」にはベートーヴェン自身が不要と明示している。だが、時代とは面白いもので、この後に出てくるパガニーニーやリストは、作曲家であると同時にヴィルトゥオーソであり、彼らの協奏曲は彼ら自身で演奏されることにより、その楽曲の魅力を十二分に引き出し表現することに成功しているのである。ベートーヴェンがそこまで予想したかどうかは分からないが、ただ、ピアノと違って、ヴァイオリンは彼の得意楽器ではない(これはブラームスも同じ)。だからこそ、敢えてカデンツァについての指示はなく、当代や後世のヴァイオリニストたちは、この部分に自身の腕を発揮する格好の材料となったのであろう。

この楽曲がまず印象的なのは、冒頭のティンパニのリズムである。これは、行進曲なのである。協奏曲に行進曲ってどうなのかと思うが、これは彼の生きた時代と彼の置かれた境遇が証明していて、行進曲といえばこの当時は「軍隊」である。そう、この音楽が作曲された時代を考えればわかる通り、これは交響曲第3番「英雄」の、そして前述したピアノ協奏曲第5番「皇帝」の、「ヴァイオリン協奏曲版」なのである。しかも序盤はかなり木管楽器が引っ張り、第1主題、第2主題を終えたところで弦楽器が提示部を締めくくり、その後に真打ち登場となりヴァイオリンの独奏が始まる。この後はオケ全体の掛け合いで曲は進行するが、主導権はヴァイオリンにあり、全体を誘導していく。第2楽章も余りヴァイオリンが前面に出ず、ファゴットが目立つが、中間部からはヴァイオリンに主導権が移り、美しい旋律で第3楽章への誘導役になる。そして、第3楽章。私は四大ヴァイオリン協奏曲は、何れも第3楽章が好きだ。そして協奏曲形式の曲に第3楽章の魅力を最初に表現、構成した曲がこのベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」だと思っている。そして、この形式に倣っているのが、ホ短調のメンコンを含む、ブラームス、チャイコフスキーの協奏曲なのである。なので、この4曲は、まさに「四大」に名実共に相応しいといえよう。その基礎はすべてこの楽曲であり、彼はたった1曲で、それまで色々趣向を凝らしたこの分野を確立してしまったのである。無論、後世の音楽家が追随した者があったからという意見もあるが、あくまでも200年後の結果論として、である。

ベートーヴェンという作曲家は確かに作曲家という人間に潜む内面を重視した最初の人である。だから理屈っぽい曲も多かったり、偏屈だったという証言もある。また、時として何と難しい譜面なのだろうと、意地悪みたいな曲もある。しかし、こと、コンチェルトに関しては、ヴァイオリンもピアノも、すべて後世への教科書的な提示を行っている。失礼、無論、シンフォニーもである。いやいや、よく考えたら弦楽四重奏曲もである。だから古典派音楽家の最後だったのではなく、ベートーヴェンが総括した当時の西洋音楽を、後世が称して古典派と呼んでいるのが正しいのだと、こういう名曲を聴くたびに思うのである。


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