音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

トミー (フー/1969年)

2013-02-02 | ロック (イギリス)


1965年、「マイ・ゼネレイション」で、ロック界に本物の格好良さを持ち込んで、かつ、ロンドンっ子の代弁者としてデビューしたフーだったのだが、実は、「ア・クイック・ワン」、「ザ・フー・セル・アウト」の2枚の作品は、実は意外や意外、若者の代弁者というスタンスではなく、寧ろ、フーというバンドがロックという当時はまだ狭い領域の中で、未来の音楽的可能性を模索するための時間を費やした結果となっていった。しかし、全く逆の言い方、見方をしたのならば、その一見「無駄」だと思えた時間は、本作「トミー」と、さらにそれを音楽的に発展させて彼らの最高傑作「フーズ・ネクスト」、さらに映像的に発展させたものが、ミュージカル映画「トミー」に進化するのである。やはり、この時代にフーいうバンドは、ビートルズとは全く違う領域と感性において、類い稀な逸材だったのである。

筆者は年代的に、「トミー」は映画作品から先に入っている。それは1975年、フーのヴォーカル、ロジャー・ダルトリーが主演役を演じて、この直前に映画「マーラー」のメガホンを取った、ケン・ラッセル監督による、ロックオペラミュージカルであった。この作品は当時、日本のメディアでも大きく取り上げられたが、それは作品の内容的な部分よりも、エルトン・ジョンやクラプトン、ティナ・ターナーなどの多くのミュージシャンが友情出演していたことも大きい。勿論この作品は当時、上映を鑑賞したし、だが、その後暫くしてこの作品のオリジナルということで聴いたこのアルバムの方がすっと刺激的だったのを覚えている。無論、「トミー」のサントラ盤も聴いたが、サウンドトラック盤というのははっきり言って映像の副産物であること以上のものはなく、それ以上の感動を得られなかったところに、実は「これがオリジナル」って出てきた本作は、映像を遥かに超えていた。以来、筆者はどうも、サントラ盤というものには中々価値を見いだせない(無論映画「スティング」のサントラの様な凄いものも極稀には存在するが・・・)のである。さらに「トミー」はその後、ブロードウェイのミュージカルとなり数々の栄誉に輝く。だがそのすべてのオリジナルはこのアルバム作品であり、このアルバムは一貫して、三重苦の少年トミーを主人公にした物語を展開したもので、それは当時、ピート・タウンゼンドの実際の苦悩を表現したもの、あるいは、彼が崇拝するンド人導師ミハー・ババに初めて傾倒したスピリチュアルな内容として高い評価を得ていたし、なによりも「シングル・ヒット・メーカー」としてのフーのバンド活動を根底から(彼ら自身が)覆した「決意表明」でもあった訳だ。兎に角、作品の前半はスケールが大きいが、後半に向けては小品が続き、短いながらもそれぞれ存在感があり、メロディアスな構成は、まさにフーの最も得意としているところで、実に心地良い内容になっている。

フーはこの後、「ライヴ・アット・リーズ」、「フーズ・ネクスト」、「四重人格」と秀作・名盤が続く。特にこの作品を入れてスタジオ盤3作は兎に角スケールが大きい。だが、スケールが大きいだけでなく、フーほど、「音を大事」にしているバンドは少ない。勿論、それが彼らのやりたいことだったのだろうが、その一方で、ピートのステージ・パフォーマンスは派手さを増すし、キースのオチャラケもどんどん過激になっていく。そんな中、しっかりとフー・サウンドを根底から支えるジョン・エントウィッスルと、ロック音楽の三大ヴォーカリストらしくない超優等生なロジャー・ダルトリーの4人の立ち位置は常にはっきりとしていて、誰も、そこを逸脱しなかった。だからこれだけの質の高い音楽をロックという領域で完成できたのであろうか。ロックミュージシャンの中で唯一、「バンド」という集合体を確立、且つ、成功させたのは、紛れもなくこのフーだけである。


こちらから試聴できます。



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