音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ピアノ協奏曲第20番ニ短調 (ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト)

2009-07-01 | クラシック (協奏曲)


好き嫌いは別としてモーツァルトがやはりなんといってもすごいなぁと思うのは、ひとつひとつの楽曲の高い完成度にある。しかも、短い生涯に600曲以上を作曲していながら、現代でも演奏される率が極めて高いことにも現れている。そして、恐らくこのモーツァルトの人気というのは100年たっても変わらないと思う。た゜からこのブログでもベートーヴェンなんかに比べると中々楽曲についてのコメントを発表して来なかったが、先日来、企画物としてモーツァルトの楽曲に触れたら、やはりあれもこれも気になる曲がたくさん出てきてしまった。

私はピアノ出身だからという訳ではないが、モーツァルトが創始したものに「ピアノ協奏曲」がある。これは、ピアノという鍵盤楽器がこの時代に大きな発展を遂げたことと無関係ではない。ご存知のように、バッハなどはピアノの前身ともいえる「チェンバロ」で数々の名曲を残している。チェンバロ協奏曲もそうであるし、やはりブランデンブルグ協奏曲に使われているチェンバロは素晴らしい。しかし、モーツァルトの時代、古典派の後半に出されたピアノという鍵盤楽器は、それまでチェンバロにはなかった音の強弱を自由に操れる点が音楽家たちの表現方法のひとつとして大きく注目されたのである。同時にピアノという楽器は1台でオーケストラと同じ役割を果たすことの出来るというほかには全く例をみない楽器でもある。実は、モーツァルトが凄かったのはこの点に注目し、そのための協奏曲を作り出したことにある。そして、それを更に発展・加速させたのはベートーヴェンであった。特に、モーツァルトがピアノ協奏曲色々な観点から実験的に試したのが、20番から27番にあるという見方をしている。同時に、ベートーヴェンもピアノ協奏曲を5曲で完結させた。時代的にベートーヴェンは先人の天才の楽曲を知っていたかもしれないが、モーツァルトは試行錯誤で、このピアノ協奏曲という新しいテーマに取り組んでいたのである。モーツァルトはピアノの演奏には素晴らしいほど長けていた。だから彼はこれだけ色々な実験を出来たのである。

ピアノ協奏曲20番ニ短調(K.466)は、モーツァルトが始めて短調で書いたピアノ協奏曲である。短調はもう1曲第24番(ハ短調)があるが、この第1楽章の弦楽器が前奏を作り上げ、その後に如何にも真打登場という形でピアノが入ってくるまで(77小節め)の形を作り、ソナタ形式のためこれが第1主題である。その後へ長調に移調してから第2主題をピアノが奏でるというパターンは、後々の音楽家たちの「ピアノ協奏曲」のバイブルである。しかも、チェンバロでは出せなかった音の強弱を駆使した「情感」を表しているあたりは、ラフマニノフのピアノ協奏曲の時代にまで受け継がれているといって良い。第2楽章は映画「アマデウス」でも使われたが、中間部でお得意のト短調が見事である。そして第3楽章は、まるで第1楽章を全否定するようなピアノソロから入る。考えてみれば、これ以前にモーツァルトはピアノソナタを何曲も作曲しており、このピアノ協奏曲という新分野に、最後は自分の主張を思いっきり表現しているのである。この楽曲を何度も何度も聴いていると、モーツァルトという人は天才だったかもしれないが、実に研究熱心で、緻密な音楽を、大胆な発想で作り上げた人だったことが良くわかる。そして、この第20番から第27番には、ピアノ協奏曲の後世の音楽家たちへの沢山のメッセージが込められた作曲をしているのである。これらに関しても、私の勝手な意見を今後述べたいと思う。


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1 コメント

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 (Bunchou)
2009-07-31 01:40:25
一般的には20番~27番が実験的と称されやすいのですが、
個人的には17番~19番の3曲も加えてほしいと思います。
彼のピアノ協奏曲での「ソロとオケのつながり」が
急に強まるのが17番からだからです。

ちなみに、
ピアノをオーケストラ的に扱っている、という意味においては
2台のピアノのためのソナタや
4手連弾のためのソナタK497とK521も
是非、ご注目くださいませ。
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