音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

レッド・ツェッペリンⅢ (レッド・ツェッペリン/1970年)

2010-07-21 | ロック (イギリス)


セカンドアルバムで新しいハードロックの定義を構築したツェッペリンであったが、このアルバムは一転してアコースティックなサウンドを展開した。この当時は、これがツェッペリンの新しい一面だという見方と、セカンドアルバムの反動という見方がファンや音楽評論家の間でも話題になったが、そもそも「レッド・ツェッペリンⅡ」で書いたように、あのアルバム製作状況が異常だったのである。

ロックという音楽は間違いなくR&Bから生まれたものであるが、一方で、その出来上がったロック音楽に対して、今度はローカル的なフィードバックがされるというのも、音楽の歴史やなりたちを考えると当然の流れである。例えば、クラシック音楽がロマン派時代に殆ど完成の域に達したときに、新しく芽生えたものはロマン派を更に拡大解釈した方向性(標題音楽の発展)と、新たなる楽典を生みだす方向性(印象主義への展開)と、もうひとつが民族的にその確立した音楽をフィードバックしようという方向性だ。特に、3番目に関して言えば、古典派時代にモーツァルトも試みていたが、ブラームスやドヴォルザークにみられる、全く自分の出生とは関係のない地域との融合だったり、チャイコフスキーや五人組、それ以降のロシア音楽家に見られるような、自らにある伝統的な民族音楽との融合であったりと様々である。ロックという音楽が、例えば日本などでは一時期「ニュー・ミュージック」という括り中に収められてしまったように、まだロックが浸透していない時代には、フォークミュージック(あくまでも日本のフォークである)からの発展も、日本ロックの黎明とされているように、アメリカもフォークやC&Wという民族的な音楽との融合は、当然のことながらひとつの路線としてはあり得る流れであった。ある意味、このアコースティック・サウンドというものに関して、ツェッペリンはたいへん寛容だったという見方ができる。たとえば、このバンドがアメリカで実績をあげている頃、本家アメリカで人気があったのは、CS&N(クロスビー、スティルス&ナッシュ)や、ロギンズ&メッシーナというアコースティック軸なバンドであり、彼らの位置づけは当時のアメリカでは難しく、C&Wではないから、どちらかというとロック領域である。所謂、アメリカン・ロックの黎明期だという見方もできる。ツェッペリンはこのアルバムを製作する前に、ウェールズの「スノウドニアのコテージ」で束の間の休息を楽しんだが、同じ曲名の楽曲がこのアルバムに含まれている様に、彼らが休暇の中で取り戻した音はこのアコースティックなサウンドだった様に、ここにはツェッペリンがロックの成功者として、改めて自分たちのルーツを振り返り立ち戻ったサウンドであることが分かる。勿論、これがやりたかったということではなく、純粋に自分たちの音楽に向き合ってみたときにこういうサウンドもあったということである。だから冒頭で書いた、新しい一面でもないし、反動でもない。

しかしながら、私的には、やはり「移民の歌」がベストであるし、同時にブルースである「貴方を愛しつづけて」はツェッペリンらしい。勿論、「タンジェリン」や「ザッツ・ザ・ウェイ」にみられる、ジミー・ペイジのアコースティックギターに関しては否定しないし、人気にはならなかったが良いメロディだとも思う。それと、「祭典の日」が、このアルバムではこんなに地味な構成なのに、ライヴアルバム「永遠の詩」では、名曲「ロックン・ロール」と変わらないかそれ以上という曲に仕上がっているのは後々に驚きであった。そして、このアルバムは前作の影響もあり、予約だけでアルバムチャートの1位になったが、最終的には、前作2枚を上回る売り上げにはならなった。ファンが求めていたのは、やはりへヴィなツェッペリンのサウンドであることを証明したのである。


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