
「サザエさん」の波平さん組合を語る
「私たちは、奴隷か?」 DVD化裁判でも勝利
声優一人一人をオルグ 48年後99%組織化
■2006年組織活動者会議■ 2006/07/22-23
「常識を外れたとき、猛然と怒る」。
それが、動機だという。
生放送のとき、ギャラはその都度だったが、やがて録音の時代になった。その分のギャラを出す局もあったが、段々出さなくなった。
「おかしいぞ、何とかしようじゃないか」そう考えるアテレコの人が久松保夫さんを中心に10人集まった。共感する人は20人に増えて、毎週土曜日にオルグ。数年やったという。「そのころ声優は200人いたが、一人一人を呼んで喫茶店で口説いた」。
放送局の下請会社に「覚書き、要望書」を出すが、まるっきり無視。
「デモをやろう」と決意した。200人は自発的に動いた。
「下請会社は、どうして話合いに応じないのか」「俺たちは、新しい奴隷か?」マスコミに訴えた。傘に宣伝文句を書いた。カンパは一人50円、役員は無報酬。「何をやるか、分かっていた」。「やめろ、干すぞ!」と局側の百人中95人は、脅かした。でも5人は「やれ」と言ってくれた。「デモはたった200人。屁みたいなものだ」と局は、せせら笑っていた。
24時間の完全ストライキは、大成果を挙げた。スケジュールが詰まっている放送局にとって、番組に穴を開けることはできない。局は交渉に応じて、ギャラは平均3.14倍で合意。リピート料の支払いも認めさせた。完全勝利だった。昭和48年のこと、10人が集まってから実に10年後のことだった。
この経験で永井さんは、「共通の問題点を明確にする」「問題点の理解と、力の結集を仲間に呼びかける」「敵を恐れてはならない」「全員の問題を自分の問題と捕らえなければ、闘争には勝てない。自己犠牲を避けてはならない」ということを学んだという。
「世の中にアピールし、世の中の支持を得るためには、きわめて正しい常識が絶対の力となる」。
その後、声優360人が提訴した「DVD化裁判」では、6年以上にわたる法廷闘争の末、1億2000万円が声優たちに支払われた。裁判の途中、証人に立った永井さんの様子を、機関紙は次のように載せている。
「(前略)負けるかも知れない裁判でした。司法がしっかり時代を見据えていたことに敬意を表します。弁護士さん始め、スタッフの皆さん、ご苦労様でした。原告団の代表を引き受けてくださった野沢雅子さん、ありがとう。そして何よりも、皆さんの団結のおかげです」
昭和37年(1962年)に始まった声優の運動は44年たった。組織率は99%と笑う。
「俺たちの年金をつくろうよ」と200人で集めた3950万円の貯蓄は、今、他団体にも拡げて、140億円にも上る。
「どう世の中をまともにするか」
「常識で、ウンというところでやろうじゃないか」
永井さんは、熱い経験を、さらりと言ってのけた。
(写真 全県組織活動者会議・本会議場で「組合運動の実体験」を話す永井一郎氏=箱根湯本・ホテル岡田
(プロフィール)
永井 一郎(ながい いちろう)75歳
大阪府池田市出身
(芸歴)劇団三期会~俳協~同人舎プロ~東京アーチストプロ
(主な出演作品) 「サザエさん」波平、「ローハイド」ウィッシュボン、げげげの鬼太郎」子泣き爺、等々
「私たちは、奴隷か?」 DVD化裁判でも勝利
声優一人一人をオルグ 48年後99%組織化
■2006年組織活動者会議■ 2006/07/22-23
「常識を外れたとき、猛然と怒る」。
それが、動機だという。
生放送のとき、ギャラはその都度だったが、やがて録音の時代になった。その分のギャラを出す局もあったが、段々出さなくなった。
「おかしいぞ、何とかしようじゃないか」そう考えるアテレコの人が久松保夫さんを中心に10人集まった。共感する人は20人に増えて、毎週土曜日にオルグ。数年やったという。「そのころ声優は200人いたが、一人一人を呼んで喫茶店で口説いた」。
放送局の下請会社に「覚書き、要望書」を出すが、まるっきり無視。
「デモをやろう」と決意した。200人は自発的に動いた。
「下請会社は、どうして話合いに応じないのか」「俺たちは、新しい奴隷か?」マスコミに訴えた。傘に宣伝文句を書いた。カンパは一人50円、役員は無報酬。「何をやるか、分かっていた」。「やめろ、干すぞ!」と局側の百人中95人は、脅かした。でも5人は「やれ」と言ってくれた。「デモはたった200人。屁みたいなものだ」と局は、せせら笑っていた。
24時間の完全ストライキは、大成果を挙げた。スケジュールが詰まっている放送局にとって、番組に穴を開けることはできない。局は交渉に応じて、ギャラは平均3.14倍で合意。リピート料の支払いも認めさせた。完全勝利だった。昭和48年のこと、10人が集まってから実に10年後のことだった。
この経験で永井さんは、「共通の問題点を明確にする」「問題点の理解と、力の結集を仲間に呼びかける」「敵を恐れてはならない」「全員の問題を自分の問題と捕らえなければ、闘争には勝てない。自己犠牲を避けてはならない」ということを学んだという。
「世の中にアピールし、世の中の支持を得るためには、きわめて正しい常識が絶対の力となる」。
その後、声優360人が提訴した「DVD化裁判」では、6年以上にわたる法廷闘争の末、1億2000万円が声優たちに支払われた。裁判の途中、証人に立った永井さんの様子を、機関紙は次のように載せている。
「(前略)負けるかも知れない裁判でした。司法がしっかり時代を見据えていたことに敬意を表します。弁護士さん始め、スタッフの皆さん、ご苦労様でした。原告団の代表を引き受けてくださった野沢雅子さん、ありがとう。そして何よりも、皆さんの団結のおかげです」
昭和37年(1962年)に始まった声優の運動は44年たった。組織率は99%と笑う。
「俺たちの年金をつくろうよ」と200人で集めた3950万円の貯蓄は、今、他団体にも拡げて、140億円にも上る。
「どう世の中をまともにするか」
「常識で、ウンというところでやろうじゃないか」
永井さんは、熱い経験を、さらりと言ってのけた。
(写真 全県組織活動者会議・本会議場で「組合運動の実体験」を話す永井一郎氏=箱根湯本・ホテル岡田
(プロフィール)
永井 一郎(ながい いちろう)75歳
大阪府池田市出身
(芸歴)劇団三期会~俳協~同人舎プロ~東京アーチストプロ
(主な出演作品) 「サザエさん」波平、「ローハイド」ウィッシュボン、げげげの鬼太郎」子泣き爺、等々