ジオツアー三島31「千本浜と高尾山古墳出土遺物」
に参加しました
東海道線片浜駅から東へ
沼津市埋蔵文化センターに立ち寄ります
可愛らしい鳥形土器
三世紀中頃といわれる高尾山古墳の出土品が整理されていました
首長は舟の形をした「舟形木棺」に納められたと考えられ
内側には朱(硫化水銀を原料とした赤色顔料)が塗られたそうです
木棺の遺存例は少ないので貴重です
勾玉をつくったガラス鋳型が展示され、そのあたり興味深々
千本浜の岩石は強い沿岸流にのって東から運ばれてきました
浜辺とよく似た形の良い石が乗運寺の庭にもみられました
新中川という名称より地元では「囚人堀」で知られている河口
昭和10年代に工事が行われ、当時刑務所の囚人を使って
切り開いたといわれる排水路です
沼津駅北部一帯には当時沼津海軍工廠(工員養成所)があり
電波探信儀(レーダー)や航空用無線機が製造されていたそうです
新中川は浄化され、ゆるやかに駿河湾に流れているのでしょうか
ムクドリの数がすごい
に参加しました
東海道線片浜駅から東へ
沼津市埋蔵文化センターに立ち寄ります
可愛らしい鳥形土器
三世紀中頃といわれる高尾山古墳の出土品が整理されていました
首長は舟の形をした「舟形木棺」に納められたと考えられ
内側には朱(硫化水銀を原料とした赤色顔料)が塗られたそうです
木棺の遺存例は少ないので貴重です
勾玉をつくったガラス鋳型が展示され、そのあたり興味深々
千本浜の岩石は強い沿岸流にのって東から運ばれてきました
浜辺とよく似た形の良い石が乗運寺の庭にもみられました
新中川という名称より地元では「囚人堀」で知られている河口
昭和10年代に工事が行われ、当時刑務所の囚人を使って
切り開いたといわれる排水路です
沼津駅北部一帯には当時沼津海軍工廠(工員養成所)があり
電波探信儀(レーダー)や航空用無線機が製造されていたそうです
新中川は浄化され、ゆるやかに駿河湾に流れているのでしょうか
ムクドリの数がすごい
以前、仕事の時、千本浜の首塚のところで夜中に年中うろうろしていたのですが、その時「悪霊に祟られたら---」と気味が悪かったのですが、そこには首は無いという話を聞いて安心しました。昔は女性も戦いに参加していたンですね。
墓場でも古墳に入るような時の権力者もあれば、野戦の戦死者がどっさりというケースも。「割られた銅鏡」の理由がわかったらまた教えてください。
東京大学総合博物館に行ったことありますか?企画がかわるので今は公開しているかどうかわかりませんが、頭骨ばかりを展示していたことがありました。う~んんん、こういう世界もあるのかと思いました
東京の博物館は、行った事はないですが、頭蓋骨ばかりの展示じゃちょっと(笑)----骨から復元した「顔」がついていれば面白いのに(笑)。