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【霊学的イエス論(10)】イエスの人間くささ

2010-09-17 00:05:57 | 高森光季>イエス論・キリスト教論
 イエスというと、「神の子」というイメージばかりが強調されてしまっていて、祝福されて生まれ、奇跡の力に満ち、迷いもなくひたすら高貴にふるまった、と思ってしまうむきが強いが(特にヨハネ福音書はこういうイメージで書かれている)、共観福音書の記述からは、いかにも人間くさいイエスの姿がほの見える。

◆飲み食い好きでユーモアも

 イエスは大酒飲みで大食漢だった。
 《「……ヨハネがやって来て食べも飲みもしないと、人々は、『あれは悪霊憑きだ』と言う。人の子がやって来て食べたり飲んだりすると、彼らは、『見ろ、大食いの大酒飲み、徴税人たちや罪人たちの友!』と言う。」》(マタイ11:18-19、ルカ7:33-34)
 皮肉な笑みが浮かんできそうな物言いである。人々は謹厳な糾弾家バプテスマのヨハネを一応尊敬しながらも、「あんなに断食をしてきりきりと禁欲の生活を送っているのは、きっと悪い霊が憑いているからじゃない?」と陰口を叩く。そして断食をしない自分たちには「大酒飲みの大食漢」と悪口を言う。大衆というのはいつの時代も口さがないものである。
 「カナの婚礼」でも、奇跡の力で水をブドウ酒に変えたということになっているが、何のことはない、自分と仲間たちがここぞとばかり飲み過ぎて、母マリアから文句を言われたからである。

 茶目っ気というか、ユーモアもあった。水をブドウ酒に変える伝説も茶目っ気を感じさせるものだが、神殿税を要求された時の受け答えも、ユーモラスである。
 ある時、神殿税を徴収する役人がやってきて、弟子ペトロに言った。「あんたたちの先生は神殿税を払わないのか」。ペトロは家で休んでいたイエスのところへ行って「どうしますか」と尋ねる。特に収入のないイエスたちにとって、神殿税は大金だったろう。するとイエスは言う。「俺たちは神の子だろう、親が子供から税金を取ったりするもんかね」。
 もちろんユダヤ教神官権力に対する反逆なのだが、力まずしゃれていて、楽しい(神の子問題は後述)。さらに、「まあ、しかしそれじゃ徴税人たちも立つ瀬がないだろう。ちょっと湖に行って、つり針を投げて来いや。最初に釣れた魚の口に硬貨が入っているから、それで払ってやってくれ」(マタイ17:24ー27)
 実際に見つかったとは書いていない。普通に考えれば見つかるはずはない。「今はいい潮時だから、湖に行くといい魚が釣れるだろう。それを売って払ってやってくれ」と言ったのがこうなったのか。ともかく、人を食ったようなユーモアがある。

◆女好き

 イエスは女好きでもあった。弟子というと男ばかりだと思ってしまうが、実は女性の支援者たちもかなりいた。(なお、当時のユダヤ社会が、宴席には女は入れないなど、徹底した男性中心社会だったことは念頭に置いておく必要がある。)
 《すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。》(ルカ8:1-3)
 主に活動が展開されたガリラヤで、女性たちの支援集団ができていたようだ。イエスや弟子たちの活動をまさしく蔭から支えていたのだろう。
 そして彼女たちは、彼の人生の最期、あの逮捕劇の後、男の「弟子」たちが情けなくも恐れをなして逃走してしまった際も、イエスを見守っていた。彼が処刑された時も、埋葬された時も、共にいたのは女性たちであった。
 《イエスは大声を放って、息絶えた。……女たちも遠くから見ていた。その中にはマグダラの女マリアと、小ヤコブとヨセの母マリア、それにサロメがいた。これらは、彼がガリラヤにいた時、彼に従い、仕えていた者たちである。そして、彼と共にエルサレムに上って来たほかの大勢の女たちもいた。》(マルコ15:37-41)
 ちなみに、ここに出る「マグダラのマリア」をイエスの恋人ないし妻ではないかと推理し、中には子供も作ったと想像を逞しくすることもあるようだが(最近ヒットした「ダヴィンチ・コード」もそうだ)、福音書ではこの女性は、イエスに「七つの悪霊」を追い出してもらい、処刑と埋葬に立ち会い、イエスの「復活」を最初に目撃したと記されている(マルコ付加部分、マタイ)だけである。もっとも埋葬の部分では主要人物となっているから、恋人ではなかったという断定もできないが。
 「七つ」は誇張表現だとしても、イエスから除霊してもらったということからすると、マグダラのマリアは霊能者体質だったと言える。こういう人たちは身体からはみ出るほどの幽質(エーテル質)を持っている。それがしばしば望ましくない憑霊の原因になるわけだが、逆にそれは霊的現象を起こす際のエネルギーともなる。ブラジルの有名霊的治療者は、霊的手術をする際、たくさんの若い女性霊能体質者を集め、会堂の別室で祈りをしてもらう。その人たちのガードやエネルギーによって驚異的な手術がなされるのだという(私はこの場面をビデオでしか見ていないが、一心に祈る女性たちの姿はとても感動的なものだった)。
 イエスもまた、マグダラのマリアのそうしたエネルギーを、嬉しく思っていたかもしれない。肉体関係ではなく、霊的エネルギーで一時の暖かい安らぎを与えてくれる相手だったかもしれない。恋人とか妻とかではなかったにしても、きわめて大切に思っていた女性であることは確かだろう。
 (ちなみに、シモン・ペテロもそういったタイプだったかもしれない。彼は弟子の中心人物として遇されているが、あまり言葉も知性も政治力も優秀ではない人物であるようであり、むしろそうした霊的エネルギーを持っていた人物かもしれない。)

 有名な香油を注ぐ女性の逸話もある(よくマグダラのマリアと混同されるがそうとは書いてない。ヨハネ福音書では後出のマルタの妹マリアとなっている)。
 《彼がベタニアでらい病の人シモンの家にいた時、食卓に着いていると、一人の女が、非常に高価な純正のナルド香油の入った雪花石膏のつぼを持ってやって来た。女はつぼを砕き、それを彼の頭に注いだ。しかし、憤慨した者が数人いて、こう言った。「なぜその香油を無駄にしたのか。この香油なら三百デナリ以上で売れたし、そうすれば貧しい人々に施すことができたのに」。しかしイエスは言った、「彼女をそのままにしておきなさい。なぜあなた方は彼女を悩ませるのか。彼女はわたしに良い行ないをしてくれたのだ。あなた方には、貧しい人々はいつでも一緒にいて、いつでも望む時に彼らに良いことができる。だが、わたしはいつでもいるわけではないからだ。」》(マルコ14:3-9、マタイ26:6-13、ルカ7:36-50)
 弟子たちの非難は、まあ功利的に正しいと言えば正しい。でもね、そんなところまで細々と難癖をつけるなよ、この人は尊敬と愛情を心底表わしたいと思ったのだから。

 ルカが記録しているマルタとマリアの姉妹の話も微笑ましい。
 《彼はある村に入り、マルタという名の女が彼を自分の家に迎えた。彼女にはマリアという姉妹がいたが、イエスの足もとに座って、その言葉を聞いていた。しかしマルタは、多くの給仕で取り乱していた。そこで彼女はイエスのところに来て言った。「先生、妹がわたしだけに給仕をさせているのを何とも思われないのですか。わたしを手伝うよう彼女におっしゃってください」。イエスは彼女に答えた、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことを心配して動転している。だが必要なのは一つだけだ。マリアは良いほうを選んだのだ。それが彼女から取り去られることはないだろう」。》(ルカ10:38-40)
 イエスにぽーっとなっている妹を働き者の姉がたしなめる。あたしだってイエス先生のそばにいたいのに。イエスはたぶん笑顔で、まあ、そんなにあくせく気を遣うな、人間はほんとにしたいと思うことをすればいいじゃないか、と、自分に首ったけのマリアをかばったわけだ。護教学者はこのエピソードから「マリアは信仰に生きる人間」などというお説教を引き出すようだが、それはあまりに臭すぎる。

 女好きだと言うと、けなしているように取られるので、彼が子供も愛したということを付け加えておく。
 《イエスにに触ってもらおうとして、人々は幼子たちを連れて来ていた。ところが、弟子たちは、彼らをしかりつけた。イエスはそれを見て憤り、言った、「余計なことをするな! こういう子どもたちこそ、神の国にふさわしいのだ」。そして子どもたちを両腕に抱き寄せ、彼らの頭の上に両手を置いて祝福した。》(マルコ10:13-16、マタイ19:13-15、ルカ18:15-17)

◆愚痴と癇癪

 愚痴をぼそっとこぼすこともあった。
 病気を癒やしてくれると聞いて、多くの人が押し寄せてきていたため、イエスの日常はかなり忙しく、むしろやってくる人から逃れたいと思うこともしばしばあった(マルコ3:9、4:1、4:36、6:45など頻出)。優秀な癒やし手はそういうものである。
 イエスだってゆっくりと休みたいこともあっただろう。
 《「キツネたちは引き籠もれる穴があるし、空の鳥たちは休める巣があるけど、俺にはゆっくり頭を横たえる所もないんだよな」》(マタイ8:20、ルカ9:58)

 弟子たちに対しても、「まったくほんとに」と愚痴をこぼす。
 イエスは多くの譬え話をしたが、弟子たちもよく理解できないことがあった。「パリサイ人たちのパン種とヘロデのパン種とに用心しなさい」といった警句を聞いて、弟子たちは「われわれがパンを持ってこなかったことを叱っておられるんだ」と騒いだ(本当だとしたら相当頓珍漢である)。すると、イエスは苛立った口調で言う。「まだ気づかず、理解できないのか。お前らの心はそんなにわからんちんなのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか」(マルコ8:17)。

 イエスは神の子であったから、決して怒りを表わすことなどなかった、と思う人々は、特に西洋のキリスト教徒には多いらしい。だが、マルコ福音書には明らかにイエスが怒り、あるいはかなり露骨に苛立っている記述もある。
 弟子たちを叱りつけるのは、先ほどの子供の祝福のところでもあったが、治療の場面でもあった。
 ある男の息子が霊に取り憑かれていて、口から泡を吹き、歯ぎしりして暴れまわり、衰弱していた。弟子たちはその悪霊を払うことができなかった。するとイエスは、かなり激した調子で言う。「なんでお前らはそんなに信仰が足りないのか。いつまで俺がお前らと一緒にいられると思っているのか。俺はいつまでお前らに我慢しなきゃならないんだ!」。(マルコ9:19、マタイ17:17、ルカ9:41)
 てんかんに近いものだったのだろう。イエスの治病は霊的なもので、遠隔でも働くはずだったが、弟子たちが動転してうまく媒介の役割を果たせなかったのだろう。それでつい癇癪を起こしてしまったようだ。
 この場面では、治療を頼んだ男も叱られている。
 《父親は言った。「もし何かおできになるなら、わたしたちを哀れんでお助けください」。するとイエスは、「できれば、と言うのか。信じる者にはすべての事ができる」。すぐに、その子の父親は涙ながらに叫んで言った、「信じます。わたしの不信仰をお助けください!」》(マルコ9:22-24)
 怒ったとは書かれていないが、父親が涙ぐんだというのは、きつく叱られたことを示している。「できるのでしたら」なんぞというのは、失礼ではないか、と。

 治療依頼者を叱るという話はもう一つある。
 《一人のらい病人が彼のもとに来て、懇願してひざまずき、「あなたがもしそうお望みになれば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスは怒って、手を伸ばして彼に触り、彼に言った、「わたしはそう望む。清くなりなさい」。するとすぐにらい病は彼から去り、彼は清くなった。イエスは彼に厳しく注意して、去るように言った。そして彼に言った、「誰にも何も言ってはいかん。ただ行って、自分の体を祭司に見せ、自分の清めのためにモーセの命じた物〔律法による供犠〕をささげなさい」。しかし彼は出て行くと、この出来事について言い広め始めた。》(マルコ1:40-45、マタイ8:1-4、ルカ5:12-16)
 ここでも「あなたが望むなら」と言われてかちんと来たらしい。さらに治った男に対して、「厳しく注意して」とある。男のその後の言動からして、ちょっと気に障るような物言いや行動をするタイプだったのかもしれない。
 ちなみに、この箇所の「イエスは怒って」は、大半の写本では「憐れみを抱いて」となっている(現行の日本語訳はすべてそうなっている)。イエスの怒りが理解できにくいのと、神の子が怒るというのはよろしくないと思った書写者が、変改してしまったのである。聖書が書写されていく中で改竄されたという、一つの好例である。

 律法ばかりを言い立てる教条主義者に対して、イエスはしばしば厳しく糾弾したが(後述)、怒りとはっきり書かれているのは、次の箇所だけである。
 《イエスが会堂に入ると、片手のなえた人がいた。人々は、安息日にその人をいやすかどうか、イエスの様子をうかがっていた。彼を訴えるためであった。イエスは片手のなえた人に、「立ちなさい」と言い、彼らに言った、「安息日に許されているのは、善を行なうことか、悪を行なうことか。命を救うことか、殺すことか」。しかし彼らは黙っていた。イエスは怒りをもって彼らを見回し、彼らの心のかたくなさを悲しみながら、「あなたの手を伸ばしなさい」とその人に言った。手を伸ばすと、その手はもう一方の手と同じようによくなった。パリサイ人たちは出て行き、すぐにヘロデ党の者たちと、どのようにしてイエスを滅ぼそうかと陰謀を企てた。》(マルコ3:1-6、マタイ12:9-14、ルカ6:6-11)

 イエスの癇癪については、こんなとんでもない失敗談もある。
 ある時、イエスと弟子たちが歩いていると、お腹が減ってきた。イエスは遠くにイチジクの木を見つけて、歩み寄った。だがそこには葉っぱだけで、実はなかった。イチジクの季節ではなかったからである。するとイエスはその木に「もうだれもお前から実を食べることがないように!」と呪った。夕方になって、一行が再びそのイチジクの木の前を通りかかった。すると木は根もとから枯れていた。ペテロが言った。「先生、ご覧ください! あなたが呪われたイチジクの木が枯れています」。(マルコ11:12~24、20~21)
 ずいぶんな話である。イチジクは季節でないから実を結んでいない。それをイエス先生は実がないといって呪って枯らしてしまったのである。弟子たちに指摘されてイエスは、「信仰は山が海に入るまでの力を持つ」という教えを述べたと記されている。またまたずいぶん大きな話で、イチジクを枯らしたことと「信仰の力」とはだいぶ次元が違うだろうに、先生もバツが悪くてついムキになってしまったのだろうか。それともマルコはこの話が何となく好きで入れてみたが、すわりが悪いので別に伝承されていた「信仰の力」の教えを合成したのかもしれない。
 いずれにせよ、あまりイエスの聖性を高めるのに効果的な話ではない。むしろイエスの人間臭さを感じさせる逸話で、だから、返って妙に信憑性が感じられる。

 イエスの怒りの最も激しい表われは、逮捕のきっかけとなった、エルサレム神殿での乱暴狼藉である。「お前たちは祈りの家を強盗の巣にしやがった」と両替商の屋台などをひっくり返した。これについては後で触れる。

 怒りのついでに言えば、人(集団)を呪うという、ちょっとかんばしくない言葉もある。奇跡(病気を治すということか)を見せたのに改悛しないコラジンとベトサイダの町(人々)を、「禍いなるかな」と呪ったのである(後述)。まあ、町はずれの高みから見下ろして大声で呪ったのではなく、一向に見向きもしない都市の人々にあきれ、苛立ち、引き上げる際にぼそっとつぶやいたのだろう。

◆冷淡あるいは突き放し

 どうもあげつらうようで申し訳ないが、時にイエスは冷淡さも見せた。「ギリシャ女の娘の癒し」の場面である。
 ガリラヤを離れてフェニキアのテュロス(ティルス)の近郊に行った時のことである(なぜ「外国」へ行ったのかは不明だが、支援者がいたと思われる)。イエスは家に籠もっていたが、一人の女性(マルコではギリシャ人、マタイではカナン人)が来て、娘の治病を依頼した。籠もって瞑想していたのを中断されて機嫌が悪かったのか、イエスは答えた。「わたしはイスラエルの民を救うのが務めなのだよ。子供たちのパンを子犬にやってしまうのはよくないことだろう?」
 結局、女性は「子犬だってテーブルから落ちるパン屑にはありつけます」と機転を利かせて答え、離れたところにいる彼女の娘を治してもらうことになるのだが、ちょっとイエスさん、意地悪くないか、と思える。まあ、外国には外国なりの神様とその使者がいるのだから、あまり手を出したくないと思ったのかもしれない。別の個所で、弟子たちに「サマリアに入るな」と命じているところもあって、そのあたりは結構神経質だったのかもしれない。

 聞かないやつはほっておけ、という態度もある。弟子たちにイエスは行った。
 「訪れたところで、そこの人々がお前たちを受け入れなかったら、出て行く時に、足の裏の埃を落とせ。それが彼らへの証となる。」(マルコ6:11)
 マタイやルカはこの後に「裁きの日にはソドムよりひどい目に遭うぞ」という呪いの言葉が付け加わっているが、それはコラジンとベトサイダへの呪いが混入したのだろう。
 別に呪う必要はないが、「せっかくしてやったのに」と思うのは人情である。ルカには、サマリア人の村で受け入れられなかったことに憤った弟子がイエスに「あいつら、天から火をくだして滅ぼしてやりましょうや」と言ったとある(9:54)。そうした思いを消すには、「なかったことにする」のが一番である。「足の裏の埃を落とす」のは、突き放しではあるけれども、精神衛生上はよろしい行為であろう。

◆家族嫌い

 もうひとつ、イエスの人間くささというよりも、聖人らしくなさを示すのが、母や家族に対する態度である。
 《イエスの母ときょうだいたちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスのまわりにすわっていた。「ご覧なさい。母上ときょうだいがたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしのきょうだいとは誰か」と答え、まわりにすわっている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしのきょうだいがいる。神の御心を行なう人こそ、わたしのきょうだいであり、母なのだ。」》(マルコ3:32-35、マタイ12:47-50、ルカ8:20-21)
 マルコは、家族が来たのは、イエスが「気が狂っている」と噂になっているので「取り押さえに来た」と記している(3:21)。まあ、「あんたんとこの長男、何だかとんでもないことになっているらしいよ」と言われて、マリアは心配になって弟妹たちを連れて見に来たのだろう。これは確かにうざい。
 「カナの婚礼」でも母マリアに向かって「女よ」と言い返したことになっている。まあヨハネなのでこれは嘘かもしれないが。
 人類の道徳律に「家族を大切にしなさい、とりわけ父母を敬いなさい」というのがあるが(ユダヤ教の教えにもあり、イエスもそれに言及している)、にもかかわらず、イエスはどうも「反・家族主義者」だった気配がある。(繰り返しになるが、イエスの母親嫌いは、婚前に不埒をして自分を身ごもった母親への反感だったなどと推理する人がいるが、ちょっとそれは低俗すぎるだろう。)
 《はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者は誰でも、……永遠の命を受ける。》(マルコ10:29-30、マタイ19:29、ルカ18:29-30)
 《あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂をもたらすために来たのだ。今からのち、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。」》(ルカ12:50-53、マタイ10:34-3)
 《わたし以上に父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。また、わたし以上に息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。》(マタイ10:37)
 《もしある人がわたしのもとに来て、自らの父や母や妻や子供たちやきょうだいたちや、さらには自分の命までも憎まないならば、わたしの弟子になることはできない。》(ルカ14:26)
 こうした見解は、後に触れるイエスの「反現世主義」に深く関わっているものと考えられる。
 とはいいつつ、どうもそれだけでは収まらない、イエスの「家族への忌避」があるようにも感じられる。
 ニーチェは「人間の悟性が成熟してくると、自分が親から生まれてきたことは不当だと思うようになるものだ」と言っている。まあ、自分が存在するために、ああいう妙なプロセスが必要だということは、あまり気持ちのいいものではない。親の愛、家族の絆は至上のものであると同時に最大の桎梏でもある。要するに、自らの精神的・霊的なありようと、地上の肉体的絆との間の、根本的かつ感覚的な齟齬・対立というようなものなのかもしれない。イエスもそうした意味で、「家族への忌避」を感じていたのかもしれない(そういえば、彼の数百年前、インドでも家族を捨てた偉い聖人がいたような……)。
 ついでに言うと、イエスの死後のエルサレム教団で、弟ヤコブはかなりの地位を得たとされているが、ヤコブは生前まったくイエスと行動を共にしていないし、何らイエスの言行についての証言もしていない。イエスは弟なぞを一緒に連れ歩く気は毛頭なかったのだろう。その他の弟妹たちのはっきりした消息は残っていない。

      *      *      *

 イエスは人間である。飛び抜けた力と知恵と愛を持っていたが、それでも人間である。そして人間が偉大なことをなしたのである。神の子がスーパー・ロボットのように動いたのではない。イエスは人間であって、だからわれわれ人間の一つの手本となりうる。

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